其の四十 イミテーションラヴァー

 ミルガルド帝国パトラルカ領主カミラ・リラ・パトラルカは、自室の書斎に籠りながらずっと考えこんでいた。

 燭台の上で揺れる蝋燭の火を見つめながら、これからの領主としての己の在り方を、有事の際に領民を守る為、その身を挺して戦うのは騎士として当然の務めであること。戦いの果てにその命が尽きたとても本望であると。だがそれは騎士としての己の矜持に酔っているだけであって、責任を果たすものではないとも言える。

 己が死ぬと言う事はつまり、領民にも共に死ねと言っているようなものだ。だから、領民を守る為には死ぬことは絶対に許されない。生きて守り抜いてこそ、騎士道を全うすることができるのだと。だから今は、領民になにを言われようと、それは甘んじて受け入れなければならない。若い身空で領主となり、古参の貴族達には小娘と嘲笑われながらも、その職務を全うせんが為に己を律して生きて来たのだ。


「お父様、お母様……私はどうしたら……」


 そんなカミラは父と母が他界してからもう4年経つのだが、この書斎に一人籠る時だけは自分自身に弱音を吐くことを許してきた。


 キャロルティナもたった一月前に、同じように父と母を同時に亡くしたと言っていた。レオンハルト・グレン・エルデナーク辺境伯がその仇であると。俄かには信じられなかったがしかし、キャロルティナが自分に対してそんな嘘を吐くとも思えなかった。


 カミラは深い溜息を吐くと天を見上げて呟く。


「キャロルティナ、私は今、自分のことで一杯一杯なのだ。私は……弱い女だ。おまえの思い描くような……強い、騎士では……ない」


 自然と溢れてくる涙を拭うとドアをノックする音が聞こえたので返事をする。中に入って来たイルティナが心配そうな顔をするのだがすぐに険しい表情になった。


「カミラ、あの二人が居なくなった」

「あの二人? キャロルティナとその用心棒のことか?」

「あぁ、この四面楚歌の状況だ。逃げ出したくなるのは無理もないだろう」


 イルティナが俯き肩を落としながら言うのだが、実のところカミラはその報告にホッとしていた。

 そうか、キャロルティナは居なくなったのかと。あの娘の自分を見る眼、あの輝きに満ちた尊敬の眼差しに、カミラは押し潰されそうになる自分が居る事に気が付いていた。

 同じ七聖剣の血を引くものとして、いつしかキャロルティナも聖剣を受け継ぐ日が来る。その時、彼女の模範として居られるだろうか。彼女の思い描くような、崇高なる聖騎士として己は振る舞えるだろうか。そんな重圧を感じていたことは紛れもなかった。

 これまでのような平和な時代なら、或いはそんな風に居られたかもしれない。だが今は、スティマータの群れに囲まれ日に日に疲弊していく己の情けない姿をキャロルティナに晒すことが、カミラには耐えられなかったのだ。

 カミラは椅子から立ち上がるとイルティナの方は向かずに答える。


「そうか、まあ仕方あるまい。元々これは我が領土の問題だ。彼女まで巻き込むわけにはいかないだろう」

「カミラ……」


 イルティナはカミラの傍に行くと、そっと右手で肩に触れる。カミラは震えていた。こんなにか細く小さな肩に、どれだけの重圧が圧し掛かっていたのだろうと思うと、すごく居た堪れない気持ちなるのと同時に、自分がこの愛する人を守ってやらねばと気が付けば背後からカミラのことを抱きしめていた。


「な? ど、どうしたのだイルティナ? 急になにを?」

「大丈夫だカミラ。私が付いている。小さな頃からずっとそうだっただろう? 例えこの世の全ての人間がおまえの元から去ったとしても、私だけはおまえの元から居なくなったりはしない。だから、安心しろカミラ。私は……、おまえがその命を挺して領民を守るというのならば、私がこの命を懸けておまえを守ろう」


 そう言うとイルティナはカミラを自分の方へ向かせ唇を重ねた。

 突然のイルティナの行為にカミラは何をされたのかわからず呆けてしまうのだが、舌が唇を割って入って来たところで我に返り、イルティナのことを突き飛ばした。


「な、なにをするんだイルティナ! こんな、女同士でこんなはしたない真似を、恥を知れっ!」


 袖で口を拭うカミラのことを、イルティナは床にへたり込み悲しげな眼で見つめている。


「ごめんなさい……でも、あなたのことが好きなの。カミラ、私はずっとあなたのことが好きだったのっ!」

「正気か? 私は女だぞ」

「どうして? 女が女を好きになってはいけないの? カミラ、私はあなたが女性であろうが男性であろうが、そんな性別なんて些細なことはどうだっていい。 私はカミラ、あなたという存在を愛しているのよ」

「いい加減にしろっ! 今はそんなくだらないことをしている時かっ!」


 その言葉にイルティナの表情が曇る。


「くだらないこと?」


 イルティナはそう呟くと、ゆらりと立ち上がって背中に差していた剣を引き抜きカミラへと見せつけた。


「ど、どういうことだイルティナ? なぜおまえがそれを持っている?」

「グリフォンの娘が置いていったものだ。彼女には扱えなかったのだろう。これはせめてものお詫びにと、彼女の部屋に置き手紙と共にあったものだ」


 そんな馬鹿なとカミラは困惑するのだが、イルティナは悲鳴のような声を上げて続ける。


「今、私の手には聖剣があるっ! 私は、あなたと同じ力を手に入れたの! カミラ、あなたの隣に並び立てる存在は私だけ、そうでしょう? ずっと一緒よ。私はあなたと一緒になりたいのよっ、カミラああああああああっ!」


 最早気が狂っているとしか思えなかった。笑い声をあげながら叫ぶイルティナのことが恐ろしくなり、カミラは彼女を書斎から叩き出すとドアに鍵を掛けた。

 しばらくは扉を叩く音が響き、イルティナの怒声が聞こえていたのだが、いつしかそれも聞こえなくなった。


「お父様、お母様……。誰か……助けて」



 カミラは壁に背を付くと、膝から崩れ落ち涙を流すのであった。



 続く。

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