其の三十九 ハニートラップ

 部屋に戻った十郎太はベッドの上で横になると考え込んでいた。

 カミラと話していた時に気付いていればよかったのだが、話しが終わった後だったので聞きに戻るのもどうかと思いそのまま部屋に帰って来たのだ。

 しかし、後になってちゃんと聞いておくべきだったと後悔する。これは敵を知る上で最も重要な事ではないかと思ったからだ。

 こちらの世界に来てからというもの、十郎太はずっと調子が狂いっぱなしであった。

 キャロルティナに対する態度もそうであるが、人斬りとして桂に仕えていた頃であれば、斬る対象のことを知ることは、仕事をする上でも最も重要なことの一つであった。相手を知ることで、その思考や行動を読み取る易くなるからだ。

 即ち、十郎太の知りたかったことというのは、スティマータの目的である。

 感情や思考を持っているのかわからないスティマータの目的と言われても、実際のところそんな物があるのかどうかすらわからない。しかし、これまで見てきたスティマータの行動は一貫しているように思えた。

 まずは人を捕食すること、これは生物の三大欲求の一つであるので当然と言えば当然である。そして生殖行為、子孫を残す為に卵を産みそれに受精させる。この二つの行動をするのだが、生命の危機に対しての防衛行動が十郎太は気にかかっていたのだ。

 命の危機に直面した時の防御行動、一見当たり前の行動に見えるが、スティマータは仲間の死を敏感に察して行動している。そして命を脅かす危険な存在を排除する為に、群れが行動を起こしているように思えた。

 そんな蟲達が、何度も殲滅という憂き目をみながら、尚もこのパトラルカ城を攻撃し続けているのはなぜなのか? 何かの目的があって行動しているのか、或いはその目的は蟲達の目的ではなく、もし誰かの意思の下、蟲達が操られていると考えたら、これはただ敵を殲滅したところで終わる話ではないように思えたのだ。


「厄介な話になって来たな……」


 見知らぬ世界に来て、成り行きとは言え他人の仇討を引き受けて、それがなぜか今は化け物共に囲まれているこの状況に、さしもの“人斬り十郎”も気分が滅入ってきてしまっていた。


「風呂か……」


 キャロルティナがアトミータに誘われて風呂に行ったことを思いだして、久しぶりに己も熱い湯に浸かって身体の疲れを取りたいと考えていると、部屋の戸を叩く音がした。


 戸を開けるとそこにはいつもカミラの横に居る金髪長身の女性が立っていた。十郎太が名を思い出せずにいると相手の方から名乗ってくる。


「カミラ様の側近をしているイルティナだ」

「ああ、甲冑を纏ってねえから気が付かなかった。へぇ、案外そういう恰好のほうが似合ってるんじゃないのか?」


 鎧を脱いだ私服に身を包んだイルティナのことを見ながらにやにやとする十郎太。その不躾な物言いに、イルティナは眉をピクピクと動かしながら不機嫌な様子を見せるのだが、急に部屋に押しかけてすまないと前置きした上で、キャロルティナとアトミータの後であるが、十郎太も疲れを癒す為に一湯どうかと言ってきた。

 丁度、ひとっ風呂浴びたい気分だった為に十郎太は、それは有り難いと、素直に好意を頂戴することにした。

 イルティナに案内されて脱衣所に来ると衣類を取り浴場へと向かう。浴槽の脇にあった桶を手に取ると身体を流して十郎太は湯船へと身体を沈めた。

 少し温く感じたが、久しぶりの風呂に疲れも一気に吹き飛ぶ。湯に浸かりながら目を瞑りうとうとし始めるのだが、その時誰かの気配を感じた。


「誰だ?」

「失礼いたします。イルティナ様からお申し付け授かり、お背中を流しに上がりました」


 湯女か、と十郎太は特に珍しいものでもないと気にしなかった。

 江戸の初期の頃にはよく居たらしいが、風紀が乱れるからと銭湯の混浴禁止の触れが出るのと時期を同じくしてめっきり減ったらしい。しかし、そういった風俗なんてものは禁止してもなくなるものでもなく、また公儀も民衆の不満の息抜きにとお目こぼししてきたのは言うまでもなかった。


 十郎太が浴槽から上がると湯女は少し動揺を見せる。


「だ、旦那様。それは?」

「ああ、風呂のような場所は、特に奇襲をかけられやすいのでな。まあ用心の為だ、おまえさんを斬ったりはしないから安心しろ」


 湯女は十郎太の持つ日本刀を一瞥すると、そうですかと言い洗い場へと案内した。


 背中の垢を落としてもらいながら十郎太は湯女へ話しかける。


「おまえさん、歳は?」

「16にございます」

「へえ、若いな。まあ詮索はしないが、こんな仕事だ。苦労が絶えねえだろう?」

「旦那様、なにか勘違いをされているようでございますね。私共は普段はカミラ様の付き人として仕えております故、苦労だなんてことは」

「そうかそうか、じゃあおまえらの大将はよっぽどの阿呆か、或いはおまえさんが阿呆なのか」


 その言葉に湯女は小首を傾げるのだが、十郎太は背中を向けたままに言い放った。


「その後ろ手に隠し持っている得物、使えば斬るぜ」


 その瞬間、湯女は驚愕する。殺気は押さえていた筈、相手に気取られることは微塵もないと思っていたのに。十郎太の勘の良さに驚きはしたが、しかし相手は背中を向けているのだ。これが隙でなければなんだと言うのだ。湯女は左手に持っていた暗器を十郎太の後頭部に突き立てようとした。

 その瞬間、左手を捩じり上げられると喉を鷲掴みにされて床に叩きつけれた。


「やめろと言ったはずだ」

「カっ、ハっ……。や……やめ」


 十郎太は首を絞める手に力を籠めるのだが、その時湯女がか細い声で十郎太の名を呼んだ。


「じゅ……ろうた……やめ……て」


 その言葉に十郎太は首を絞める手を緩めてしまった。自分の甘さに辟易するのだが、湯女は呼吸を整えるのに精一杯の様子。大声を上げることもできないだろうと思ったその瞬間。


「きゃああああああああっ! 誰かあっ!」


 悲鳴を上げると湯女は酸欠で気を失うのだが、それに気が付いたイルティナがすぐに部下を引き連れて駆け付けるのであった。




 続く。

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