其の三十 腐肉に沈む夕暮れ
深い森を進むこと三日。
街道を行くことはなるべく避けたいとはいえ。陽が昇って沈むまでほぼ休むこともなく、慣れない山道を行くことはキャロルティナにとっては過酷な行程であった。
膝に手を当て息を整えていると、構わずに十郎太は先を進んでしまう。その度に後を追おうとペースを上げる為に余計に息が上がってしまうのを繰り返すので、陽が沈むころにはキャロルティナはへとへとになっていた。
「ジュ、ジューロータ。も、もう限界だ今日はここまでに」
弱音を吐くキャロルティナのことを坂の上から冷たい目で十郎太は見下ろしている。ボリボリと頭を掻きながら倒れた樹木の上に腰掛けると呆れ顔で言った。
「おまえさんが言いだしたことだぜ? もう音を上げたのかよ?」
十郎太の言葉にキャロルティナは唇を噛む。なにもそんな言い方をしなくたってと、悔しかったがなにも言い返せなかった。
喧嘩をした翌日。やはり十郎太はパトラルカ領へ行先を変えることには納得しなかった。
そもそもの目的が違うと言う事と、一刻も早く信頼の於ける、更には権力を持ったボルザックの元へ向かうことが急務であると首を縦に振らなかった。
ならば、休みなく森を進めば二日で着ける。そこで馬を借り受ければボルザック領へも足で行くより早く着くだろうとキャロルティナは半ば強引に十郎太を説得したのだ。
「二日の行程の筈がもう三日目の夜を迎えようとしているぞ?」
「わかっている。はあっ、はあ……。だが、もう……限界だ」
十郎太は深く溜息を吐くと立ち上がり坂を上り始める。
キャロルティナは乱れる息をなんとか整え踏み出そうとするのだが、脚が震えて一歩も進めなかった。悔しさのあまり、目に涙が滲む。己がこれまでどれだけ安穏とした生活を送り、世間を何一つ知らずに育ってきたお姫様であったのか、ここ数日で嫌と言う程思い知らせた。
ふと上を見上げると、坂を上がり切った所で十郎太が立ち止まりキャロルティナの方を見ていた。なにやらニヤニヤといやらしい笑みを浮かべているので、キャロルティナは怪訝に思うのだが、十郎太の言葉に我を忘れて走りだしていた。
「集落が見えるぜ? 今日は野宿をしなくても済みそうだ」
坂を駆け上がると眼下に見える集落にキャロルティナは安堵して地面に膝を突いた。
さっきまで限界だと言っておきながら現金なものだと十郎太は再び呆れるのだが、まあぐずぐずと駄々をこねられるよりはマシかと集落へ降りて行くことにするのであった。
集落に近づき、一番手前の家屋が近くなるに連れて十郎太はなにかの違和感を感じ始めていた。
キャロルティナはというと、先程までの疲労はどこへやら。歩を鈍らせる十郎太に早くしろとせっついてくるのだが、集落の半ば手前まで来た所で十郎太は歩を止めてぐるりと廻りを見渡した。
「ど、どうしたのだジューロータ?」
「おかしいな? まるで人の気配を感じねえ」
「そ、そうか? もうすぐ日暮れだから皆家の中に」
それにしても妙だと十郎太は感じていた。日も暮れて夕飯時だってのにどの家からも火を焚く煙すら上がっていない。部屋の中から明かりも漏れてこず、まるで人の息遣いを感じないのだ。キャロルティナも段々とその違和感に気が付き始めていた。
「打ち捨てられた村なのかもしれねえな」
「そ、そうか、そうだな。もうここから街へもそう遠くない場所だろうし。皆そこへ越して行ったのかもしれないな」
とにかく誰もいないならいないで好都合と、十郎太は煉瓦造りの家屋の中へと入って行く。キャロルティナも遠慮がちにその後をついて行くのだが、中に入った途端に声を失った。
「うぅ、なんだこの酷い臭いは? ジューロータ、一体なにが?」
先に奥へ行った十郎太の元へ行くとキャロルティナは、この酷い悪臭の発生源がなんなのかがわかった。
部屋の片隅に腐り果てた肉の塊、溶けた皮膚と肉の中に見える骨は紛れもなく人の頭蓋であった。
キャロルティナは胃酸が込み上げてくるのを口を抑えて必死に抑え込む。流石の十郎太も酷い臭いに顔を歪めていた。
「ちっ、どうやらここの奴ら全員、蟲の餌になったみてえだな」
「そんな……ひどい」
スティマータの姿はない為、おそらくは餌を喰いつくした為に既に移動したのだろうと思われた。
そこで十郎太は気が付く、パトラルカ領に危機が迫っているという書状とキャロルティナがやたらとそれに執着していること。そして、自分の迂闊な判断と行動を後悔する。喧嘩をして気まずかったとはいえ、少なくとも行先を変える理由くらいちゃんと聞いておけばよかったと、今更になって後悔したのだ。
「おいまさか、これから行こうとしてるのって」
「そうだ。パトラルカ領内及び、城下まで大量のスティマータの軍勢に包囲されている、カミラ様とパトラルカ領民の救出に向かうのだ」
十郎太は額に手を当て天を仰ぐ。またしてもこの小娘の無駄な正義感の所為で厄介事に巻き込まれたと辟易とした。
「なあにっ! 私のエッケザックスとカミラ様の聖機兵ホヴズが揃えば、スティマータなど物の数ではないっ!」
「乗るのは俺だろうが」
「だから今度は私が乗るっ!」
馬鹿なことを言うなと再び口論になるのだが、突如十郎太はキャロルティナの口を塞いで物陰に隠れると窓際から顔を少し覗かせて外を見た。
口を塞がれたキャロルティナは十郎太の腕の中で暴れて呻き声を上げている。
「んー! んーっ!」
「静かにしろ、蹄の音だ。誰かが来るぞ」
すると次第に馬が駆けてくる音が聞こえてきた。足音からして大体3~4頭ほどであるとキャロルティナにも分かるほどに、近づいてくると窓の外に見えた甲冑を着こんだ騎士の姿を見てキャロルティナは再び声をあげた。
「んんんんーっ! んんんんんんっ!!」
「馬鹿やろう、騒ぐなって、痛っ、噛みやがったなてめえっ!」
口を塞ぐ手を噛み腕から摺り抜けるとキャロルティナは外へと駆け出し、一目散に騎士の元へと向かっていた。
「アトミータっ! 私よっ、キャロルティナよっ!」
先頭に立つ騎士は一瞬驚いた様子を見せると、すぐに馬から飛び降り兜の面を上げながらキャロルティナに駆け寄り言うのであった。
「キャロ? 本当にキャロなのっ!」
続く。
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