其の二十九 雨の夜に
巨大な樹木の洞の中、雨を凌ぐ為に一時的に避難したのだが既に日も暮れて夜になっていた。
キャロルティナの説明で、蟲の外殻は死体から剥ぐとよく燃えると聞き、十郎太はそれと枯れ木を拾って来て火を起こした。エッケザックスの刃を刀の鞘に打ち当てると上手い具合に火花が散り火打石の代わりとなった。
「刃こぼれ一つしないとはな。これもこれで異様な剣よ」
感心する十郎太のことは無視して、騎士から受け取った書簡をキャロルティナは食い入るように読んでいた。
火に薪をくべながらキャロルティナの向かいに座ると十郎太は地面に横になる。
こちらに来てから約二日間、連戦に継ぐ連戦で碌に身体を休めていなかった。商人のおっさんの馬車で仮眠と軽食は取ってはいたが十分な休息とは言えなかったので、地面の上とはいえこうして身体を横にできることは有りがたかった。
目を瞑りしばらくするとキャロルティナの方から書簡を仕舞う音が聞こえてくる。最初キャロルティナは拒んだが、騎士の持ち物であった皮袋に入れたのだろう。中には金貨が一枚と銅貨が十枚ほど、路銀としては十分すぎる額であると言うのだが、キャロルティナが金貨は冥銭にと騎士の手に握らせて行った。
こんな状況でも騎士の誇りと死者への敬意などと馬鹿げたことを言って、更には墓まで掘ろうとし始めたのだが、雷鳴が聞こえ始めていたので雨に降られると強引に十郎太が引き摺って来たのだ。
パチパチと木の爆ぜる音を聞きながら、桂に拾われる前はこんな感じで野宿をよくしていたものだと十郎太はなんだか懐かしくなる。ウトウトし始めたその時、キャロルティナがボソリと呟いた。
「ジューロータ。行く先を変えるぞ」
「どこへ行くってんだ? 桂さん?」
寝ぼけていたのか、うっかり桂の名を呼んでしまい十郎太は慌てて起き上がるとキャロルティナの方を見る。きょとんとした表情のキャロルティナと目が合い、なんだか気恥ずかしくなった十郎太は頭をボリボリと掻いた。
「カツラ、とは誰だ?」
「気にすんな、寝ぼけていたんだよ。で、どこへ行くって?」
つれない感じの十郎太の返事にキャロルティナはムっとするのだが、自分だって十郎太のことをまだ許したわけではない。もちろん頭では理解していた。あのままあそこで時間を取られて雨に降られて身体が冷えてしまったら体力を消耗するし、なにより別のスティマータが合流する可能性もあった。
余裕に見える十郎太であったが、ほとんど休みもなく戦い続けてきたのだ、当然疲労もピークに来ていただろう。それは分かっていた。
しかし、だったらなぜそう言ってくれないのか。十郎太の行動は理に敵ってはいるが、酷く合理的で機械的で、どうしてそうも簡単に人の死に対して感情を切り捨てることができるのか理解しがたかった。
「ボルザックおじさまのカルデロン領を目指していたが、進路を真逆に変更する」
キャロルティナの突然の言葉に十郎太は真剣な表情になると、立て掛けていた刀を手に取り地面に先を打ち付けた。
「却下だ。今は一刻も早く最初の目的地を目指す」
「駄目だ。この書状にはカミラ様……パトラルカ子爵領が未曽有の危機に瀕していると書いてある。これは、それを報せ救援を求める火急の手紙だった」
「知った事か、今は他人様の事情に首を突っ込んでる場合じゃねえだろ。てめえだって今尚、危機的状況にあるってことを理解しやがれ」
相も変わらず、相容れぬ二人の考え。キャロルティナはそれでも引かなかった。
「其処許だって三度もそうやって私のことを救ったであろう」
「何度も言わせるな、俺に必要な事だからやった」
「初めはな。だが後の二回は違う。私に雇われたとは言え、手付け金もなければ報酬の話もしていないのにだ」
十郎太は、「へぇ……」っと嘲笑すると立ち上がり鞘の先をキャロルティナへと向けた。
「だったらその報酬とやらの話をするか? 払う金だ、あるのかてめえに?」
「今はない」
「じゃあどうする? ここでおめえを置いて行ったっていいんだぜ?」
「ふっ、できるのか? 娘一人見捨てることのできない、お・や・さ・し・い、ジューロータ殿に?」
最早、売り言葉に買い言葉。というか幼稚な口喧嘩であった。
まるで兄と妹がするそれのように、お互いのイライラと感情をぶつけ合う。
気が付けば子供の喧嘩のように掴みあいになるのだが、十郎太が少し力を入れるとキャロルティナが尻餅をついく。その時スカートが捲れあがり太腿が露わになってしまった。焚火の赤い火に照らされた真っ白な肌は、柔らかくしなやかで程良い肉づきであった。
十郎太は一瞬目をやるとすぐに視線を離すのだが、キャロルティナは徐に胸元を少しはだけると甘く囁いた。
「なんだったら、この身体で前払いでもいいんだぞ?」
その瞬間、十郎太はキャロルティナに飛び掛かり胸倉を掴み上げる。動揺するキャロルティナのことを睨みつけると十郎太は低く重い声で言った。
「もう一度そんなふざけた真似をしてみろ。本当に捨ててゆくぞ」
「……ごめん……なさい」
十郎太は手を離すと、火の番は自分がするからもう寝ろと言って黙り込んでしまった。
またやってしまった。
なんてみっともなく恥ずかしい事をしたのだろうと、キャロルティナは自分の行いを後悔した。そして洞の隅に行き身体を横たえると、いつしか眠りについているのであった。
続く。
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