其の二十七 強襲

「旦那、一雨くるかもしれまんよ」


 空を見上げながらおっさんが呟く。

 随分と雨の多い所だと思い、十郎太は梅雨時期なのかと尋ねるのだがおっさんはよくわからないといった顔で小首を傾げた。


 キャロルティナは尚も不貞寝をきめこんでいた。

 ゴードンとゲルトに告げられた非情な真実。

 罪人を使った地下闘技場を領主である父親が作った物だということを知ったキャロルティナは、その場にへたり込むと放心状態で動かなくなってしまった。

 いつまでもそのままでいるわけにはいかないので、十郎太がキャロルティナを抱え上げて、ゲルトに言われるままにカルデロン領を目指して街道を北東へ歩いていた所を商人のおっさんに出くわしたのだった。


「キャロルティナ、その、ぼるざっく? とかいう奴がおまえが身を寄せようとしていた奴のことなのか?」

「旦那、ボルザック様のことを知らないのですかい?」

「知らねえよ。俺はこっちに来たばかりでな。ここいらのことはてんでわからん」


 それを聞いたおっさんが簡単に説明をしてくれる。


 ボルザック・ド・カルデロン子爵。

 七聖剣の一人、5の剣リジルを継承する聖騎士である。

 グリフォン領との交流が一番盛んなのもこのカルデロン領で、高山地帯であり牧畜が盛んだと言う。良品質の羊毛が仕入れられるということもあり、おっさんもよく出入りしていると言う話であった。

 交流が盛んだったと言う事は、おそらくはキャロルティナも幼少期からよく知っている人物なのだろう。しかし、同じように信頼していた男に裏切られたばかりのキャロルティナは、一体誰を頼りにすればいいのか迷っているよう十郎太には思えた。


 そんな話を聞いているとキャロルティナが消え入りそうな声で呟いた。


「ジューロータ……私は、民を見捨てた……」


 その言葉に十郎太は答えない。


「民を見捨て、領土を捨てたのだ。私は高貴なる者には義務があると、弱きものに手を差し伸べる責任があると言いながら、お父様の守ってきたこの生まれ育った土地を捨てて、己の復讐の為に民を見捨てたのだ」


 涙声でそう漏らすキャロルティナ。たぶん、街があんな状況にありながら離れることを言っているのだろう。それは無理もないことだと十郎太は思った。

 出会う前にどんなことがあったのかはわからないが、おそらくはレオンハルトにより軟禁状態にあったのだろう。

 意を決して逃げ出してきた矢先に、親しかった下女を亡くし天涯孤独の身となったあげく、死にそうな目に合いながら命辛々ここまでやってきて突き付けられた残酷な現実の数々。十四の年頃の娘には過酷であったろうと心中察しはした。

 かと言って十郎太は、それを可哀相にと慰めてやるほど気の利いた人間でもなかった。なんて言って言葉をかけてやればいいのかわからない十郎太であったが、慎重に言葉を選び話してきかせる。


「キャロルティナよぉ。俺も脱藩者だ。国を捨て、忠義を尽くすべき主君に弓引いた謀反人の一味だ。そんな俺が言えた義理ではないが、今はそうする他あるまいよ。他にもっと利口なやり方があるのかもわからん。だが、今はなによりおまえが生き延びてこそではないのか?」

「ダッパンモノ……とはなんだ?」

「おまえと似たようなもんだ。俺も武家の出よ。領土とそこに住む民草を捨てて、寄る辺もないままに彷徨い今もこうして生き恥を晒しているのよ」

「其処許も貴族だったと言うのか? 信じられんな」


 十郎太が妙に優しく諭してくるのがなんだか嬉しかったのか、キャロルティナはようやく機嫌を直すと被っていた毛布からもぞもぞと抜け出してクスリと笑った。

 それを見てやれやれといった感じで十郎太が嘆息すると、突然街道沿いの森から一頭の馬が飛び出してきた。あわやぶつかりそうになるのだが、おっさんは暴れる馬をなんとか制御しながら怒声をあげる。


「ばっきゃろおおっ! いきなり飛び出してきやがってえっ!」


 しかし暴れ馬に乗った甲冑を着こんだ騎士は、馬車と並走しながら森の反対側を指差してなにも言わない。おっさんは怪訝顔をしながら十郎太に問いかけてきた。


「なんだいありゃあ? 旦那、一旦馬車を止めて先に行かせますかい?」

「いや……なにか様子がおかしい。野郎、ずいぶん酷い怪我を負っているように見えるな?」


 騎士の足元、あぶみにかけた足からは大量の血が滴り落ちていた。

 もう声を上げることもできないくらいに消耗しているのか、なんらかの合図をし続けている。こんな状態になりながらも騎士が馬を降りずに走らせ続けているのが気になり、十郎太は嫌な予感がして同じように馬車を走らせろと言ったのだ。


 その予感が的中する。後方で木がへし折れ薙ぎ倒される音が響く、振り返ると三匹のスティマータが飛びだして後を追って来ていた。


 荷台の後方まで行ってそれを確認したキャロルティナが声を上げる。


「ジューロータ、スティマータだっ!」

「ちぃ、蟲に追われていたのかっ!」

「ひっ、ひぃぃぃぃいいいっ! 神よおっ!」


 蟹のような足の四足歩行ですさまじい速度で追ってくる。身体からは鎌のような肢が二本生えていた。

 重い馬車では追いつかれてしまうと焦るのだが、騎士の乗った馬が後方に回ると何かを蟲に投げつけた。

 スティマータの前で眩い閃光の後に爆発音、騎士は馬を森と反対側の草原に走らせると上手く三匹とも誘き寄せることに成功した。


「い、命拾いしましたね。勇敢な騎士様だ、この隙に逃げましょう」


 おっさんが青褪めながら馬に鞭を入れようとしたその時、キャロルティナがそれを止めた。


「駄目だっ、落馬したぞ。まずい、あのままではスティマータに襲われて殺される。助けなければ!」

「よせっ、キャロルティナっ! あれはもう助からねえっ! あの速さで落馬したんだ、蟲にやられる前にもう命はないっ!」


 しかしキャロルティナは十郎太のことを睨みつけると少し残念そうな顔をして言った。


「出逢って間もないが、其処許はもう少し私のことを理解してくれていると思っていた」


 そう言って馬車から飛び降りるキャロルティナは、草原の上を転がるとよろよろと立ち上がり走りだした。

 それを見て十郎太は頭を掻きむしり怒声をあげる。


「ちぃぃいいっ! 行動力のある馬鹿ほど手に負えねえもんはねえっ!」

「だ、旦那っ! 行くんですかい?」

「おまえはそのまま逃げろ。また、どこかで会った時にはよろしく頼むぜっ!」

「旦那あああああああっ!」


 十郎太が馬車から飛び降りると、馬車はそのまま走り続けるのだがおっさんが何かを叫んでいるのが聞こえてくるのであった。




 続く。

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