其の二十 禍転じて厄災となす

 キャロルティナは恥ずかしさと悔しさ、そして申し訳ないという気持ちで胸が張り裂けそうであった。

 たった半日前に出逢ったばかりの男が、見ず知らずの娘を助ける為に一度ならず二度までも死地に居る。

 そんな男のことを本心からではないといえ、信じたことは軽率であったと口にしたことに、キャロルティナはなんという恥知らずな女であったのだろうと自分で自分を許せなかった。


「ジューロータああああっ! 逃げろっ! 私のことなど捨てて、其処許だけで逃げるのだあっ!」


 目いっぱい叫ぶのだが、キャロルティナの声は歓声に掻き消されて十郎太には届かなかった。


「はっはっはああ! あの場からどう逃げろと言うのだ? あなたを守る為に雇われた用心棒が、自分の身さえ守れないようではどうせこの先逃げ延びることなんてできはしなかっただろう」

「ゾーン区長、おまえは狂っている。こんな鬼畜にも劣る所業……。これが、こんなのが人間のやることかああっ!」


 睨み付けるのだが、ゾーンは悪びれた様子もなく笑うと再び闘技場へと目を向けるのであった。

 そこでキャロルティナは気が付く、ゾーンの足元に立て掛けてある聖剣エッケザックスの存在に。あれを奪い返して聖機兵を呼び出すことができれば、この窮地を脱することができると。


 十郎太は飛び掛かってくるスティマータを闘牛士の如くひらりひらりと躱し続けているのだが息が上がって来ていた。

 昼間の傷は不思議なことに聖機兵から降りる頃には塞がり始めていたのだが、疲労だけはそうはいかなかった。そう時間もおかず一日に二度も化け物を相手にしているのだ、動きが鈍るのは当然であった。

 気が付けば爪や牙で裂かれたのか、ところどころ腕や足などから血が滴り落ちていた。それでも十郎太は槍を肩に担ぐと再び武器棚に向かって走りだす。


「ふぉっ、ふぉっ、ふぉっ、槍では効果がないと武器を変えるのか? どう思うゲルト?」


 愉悦の表情を浮かべながらゾーンが質問すると、ゲルトは量りかねているのか顎を擦りながら十郎太の選択を待つ。

 十郎太はスティマータが飛び掛かって来るのを右に左に器用に避けながら武器棚に辿り着くと、槍を地面に突き立てて、矢を数本掴み取り背中の帯に差す。そして弓をたすき掛けにするともう一つ、両刃の剣を腰に差して再び槍を引き抜いた。


「なにをしようとしているんだ。黒い剣士……」


 ボソリと言うと再び黙り込むゲルトのことを、ゾーンとゴードンは眉を顰めて見つめた。


「持てるだけの武器を持ってなんとか生き延びようとしているのではないのか?」

「動きが鈍くなる。纏めて持つ意味がありませんな」

「そ、そうか? ゴードン、おまえはどう思う?」

「さ、さあ? 闘いの事となると私にはとんとわかりません」


 十郎太の狙いがわからないので、事の次第を誰もが息を飲んで見守っていた。


 皆の注意が闘技場に向いたその瞬間、キャロルティナは今が好機と動き出す。ゾーンの腰掛ける椅子に走り寄るとエッケザックスを奪い返そうと手を伸ばした。

 それに気が付いたゾーンも手を伸ばすのだがキャロルティナの方が早かった。

 剣を抜くとゾーンの手を斬りつける。手の平を斬られたゾーンは声を上げて椅子ごと後ろに倒れ込んでしまった。

 すかさずキャロルティナは飛び掛かろうとするのだが、後ろからゲルトに襟首を掴まれると思いっきり引っ張られて床を転がった。その間にエッケザックスは手から離れ再び奪い取られてしまった。


「ゲルトおおおっ! なぜしっかり見ていなかったあああっ! 糞おっ、この小娘がぁぁぁ。うぅぅぅ、痛い、痛い。誰か! 誰か居ないかっ!」


 ゲルトを叱責すると治療にと召使いを呼ぶゾーンは、背中をしたたかに打ち床の上で喘いでいるキャロルティナを忌々しげに見下ろし腹に蹴りを入れた。


「大人しくしていればなにもせずレオンハルトに引き渡してやったものを! ゴードン! この娘きさまの好きにしてかまわん。壊れない程度に遊んでやれ」


 ゾーンの言葉にゴードンは薄ら笑いを浮かべると、息が詰まり苦しそうにしているキャロルティナの上に覆いかぶさった。


「こ……の……卑劣……漢め……」

「はっはっ、はは、そんな口が利けなくなるくらいに、いい思いをさせてあげますよ。キャロルティナお嬢様」


 最早興奮の抑えきれないゴードンは鼻息を荒げると、キャロルティナの腕を押え込み首筋に舌を這わせ下半身へと手を伸ばした。


 キャロルティナは声を上げることもできなかった。悔しくて悔しく、こんな男に凌辱されるくらいなら舌を噛んで死んでやると思ったその時、ゲルトが叫んだ。


「しまった! 壁を超えるぞっ! 衛兵っ、矢を持てっ!」




 十郎太はスティマータに背を向け壁に向かって走り出した。

 その後を追ってスティマータも走りだす。十郎太の向かう先は高い壁、当然飛び越えることなど出来はしない。

 十郎太は壁の所まで来ると振り返り背をつける。そこへスティマータが飛び掛かって来るのだが槍を突き出すと口腔を貫き串刺しにした。

 尚もスティマータは絶命することはなかった。複数ある肢をカシャカシャと動かして前進しようとするのを、十郎太は槍を持った手を上げて壁に立て掛けた。

 壁から離れると助走をつけて走り出す十郎太。そしてスティマータを踏み台にすると跳躍。座っていた観客が見上げるほどに高く飛び上がると手にしていた弓を引き絞り矢を放った。

 同じように見上げて茫然としていた衛兵の足に矢が刺さると、観客席に着地した十郎太は嬉しそうに叫んだ。


「はっはああああああっ! 与一や雑賀もこんな気分だったのかあ!?」


 弓や火縄の名人にでもなった気分であったのか、笑いながら再び弓を引くと今度はVIP席に向かって矢を放つ。それを見たゲルトはゴードンに蹴りを入れた。

ゴードンは床を転がり丁度居た場所へ矢が刺さるのであった。


「当てずっぽうか」


 そう言ってゲルトは小さく笑う。

 十郎太は弓矢を放り投げて両刃剣を抜くと一足飛びに観客席を駆け上がって行く。


「どけどけどけどけええええっ! 斬り捨てるぞおおおおおおっ!」


 観客達は悲鳴を上げながら逃げ惑う、パニック状態になり我先にと逃げだそうとする為に、そこら中で将棋倒しの状態になっていた。


 目の前までやってきている鬼神の如き形相の剣客を前に、ゾーンもゴードンも震えあがり逃げ出すことさえできないでいた。

 そしてVIP席に十郎太が飛び上がり、おそらくはこの場で一番の権力者だろうと当たりをつけてゾーンに斬りかかるのだが。


 十郎太の剣はゲルトの剣によって遮られた。


「俺の前で、勝手横暴は許さぬぞ。黒い剣士」

「てめえぇぇぇ!」



 続く。

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