其の十九 将を射んと欲すれば
これは私刑だ。法で裁き、法の下で刑を執行する死刑ではない。
キャロルティナの目の前で腕を喰われ、脚を喰いちぎられ、腹に卵を産えつけられて、そのまま蟲の幼生に臓物を貪り喰われた男は死罪人である。
おそらくはこの死闘を最後まで生き抜くことが出来れば、無罪放免にしてやろうという甘言にでも乗ったのだろう。或いは生きて帰ることが出来ないと知りつつも一縷の望みに賭けたのか。いずれにしてもこの異常な光景を見た観客達の乱痴気騒ぎ、まるでこの世のものとは思えない地獄絵図にキャロルティナは吐き気を催し嘔吐した。
やれやれと言った顔をするとゾーンは、部屋の外に居た召使いを呼びキャロルティナの吐瀉物を片付けさせた。
「あの程度でそんなでは、この後のメーンイベントではどうなることやら」
なにを言われているのかわからないキャロルティナ。再び場内に響き渡る銅鑼の音が、ごーんごーんと頭の中で反射する。酷く気持ちが悪い、ふらふらする頭でぼーっとしながら闘技場に目をやると出てきた男の姿に息を飲んだ。
黒い着流しに草履姿。この街では決して見ることのない出で立ちに気が付かないわけがない。
「じゅぅ……ろぉた」
十郎太の名を呟くとキャロルティナは、観客席へ飛び出そうとするのだがゲルトに腕を掴まれて止められた。
「離せええええっ! やめさせろっ、今すぐにやめさせるんだっ! ジューロータっ! 駄目だそんなの、ジューロータぁぁぁぁ」
黒髪に黄色い肌と、見たこともない異国の男の姿に観客達は沸く。この場に居る者全てが、十郎太がスティマータにどの様に嬲られ死んでいくのかに注目していた。
勿論これも賭けの対象になっている。当然大多数の観客がスティマータが勝つ方に賭けているのだが、中には一攫千金を狙い十郎太の方に賭けている者もいた。
しかしそんな賭け事よりも、人間が無惨な死に方をする。それを目の前で見ることができる興奮にこの場に居る皆が酔っていた。
「やれやれ……。どんな世の中にも人間の死を弄んで商売にする鬼畜の輩がいるもんだ」
十郎太は手枷を外されると兵士に背中を押されて歩み出す。そして闘技場の中央まで行くと大声で叫んだ。
「おい、糞豚どもおっ! てめえら全員、畜生にも劣る豚どもだあっ! 全員まともな死に方ができると思うんじゃねえぞおっ! って、俺も他人のことを言えた義理じゃねえがな」
最後の部分は小声で言う。それを聞いた観客達は一斉にブーイング、親指を下に向けて十郎太のことを罵倒し始めた。
そして、スティマータの居る鉄格子が開け放たれた瞬間、十郎太は全速力で走りだす。 まずは蟲を相手にできる武器を手にしなければならない。武器棚まで行くと迷うことなく槍を手にしてスティマータへと矛先を向けた。
槍を選択した理由は相手との距離が取れるから、この一択である。スティマータの堅い装甲に矢が通るとは思えないので弓矢は却下。ダメージを与えるなら斧が有効かもしれないが動きが鈍くなる。剣に至っては刃の部分がボロボロで、こんな鈍らでは人間ならともかくスティマータ相手では使い物にならないと考えた。
「糞がぁ、端から勝たせるつもりなんてねえだろ」
十郎太は槍を突出し蟲と距離をとりつつ、この状況をどう切り抜けるかを考えていた。
周りは己の身の丈三人分はありそうな高さの壁で囲まれている。己が出てきた場所は鉄扉で閉じられていた。蟲の出てきた場所は鉄格子なので上手く行けば通り抜けられるかもしれないが、蟲の巣窟の可能性がある為却下。
どうするべきか、悩んでいるとスティマータが素早い動きで回り込んで飛び掛かってくる。それを躱すと十郎太は槍で背中を突くのだがやはり外骨格は貫通できなかった。
あとは狙うとすれば目か口である。スティマータの生命力は昼に戦ったので把握していた。胴体を斬り裂いた程度では死なない蟲の、目や口内を一突きした所で絶命まで至らすことはできないだろう。せめて妖刀と化した己の剣があればと思うのだが、あれは捕えられた際にゲルトに奪われてしまった為に手元にはない。まあ尤も抜けなければ意味はないのだが。
「ちぃ、八方塞だな。ここは一か八か、あるもん全部で斬りつけてやるしかねえか」
そう考えたその時、十郎太の目に飛び込んで来た光景。客席の上階部分の升席。己を捕えた長身痩躯の男と両替商の前で見た優男。一人は知らないデブであったが、もう一人。
「あの馬鹿、やっぱり騙されやがったな……」
げんなりすると十郎太は上階のVIP席に向かって声を張り上げた。
「キャロルティナあああああっ! この阿呆があっ! 今助けに行ってやるからそこを動くんじゃねえぞおおおおっ!」
キャロルティナもなにか叫んでいるのだが、場内のざわめきに掻き消されて十郎太には届かなかった。
十郎太はこの窮地を脱する為のある手を思いついていた。己も助かりキャロルティナを助け出し、この場から逃げ出す方法。その為には幾つか乗り越えなければならない壁があるが、なんとかするしかない。
「ちっ、斬るのは得意だが、射るのは苦手なんだよな」
そう零すと再び武器棚へと駆け出した。
続く。
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