其の十八 螺旋する悪意と狂気

 鼻の奥にツンとした刺激を感じて、キャロルティナは意識を取り戻すと大きく咳き込んだ。どうやら気付けの香料を嗅がされたらしいのだが、少し強く吸い込んでしまったらしい。ようやく咳が収まり息を整えて辺りを見回すと、見知った顔の男達がいることに気が付いた。


「ゾーン……区長……それにゴードン」


 自分の置かれている状況がいまいち把握できない。しかしキャロルティナは眠りに落ちる直前のことを思いだし、おそらくは薬で眠らされてここに連れて来られたのだろうとすぐに察した。


「これはどういうことだゴードンっ! きさまっ、返答次第ではただではおかないぞっ!」

「おお、怖い怖い。先程までのしおらしいお嬢様は一体どこに行かれたのか」


 今更隠す必要もないのでゴードンは開き直った態度に出る。その後ろでニヤニヤと下卑た笑いを浮かべるゾーン区長。この異様な光景にキャロルティナは飲まれそうになるのだが、ここで臆するわけにはいかないと虚勢を張った。


「ゾーン区長、あなた方はいったいなにをしようとしているのだ。ここは一体……!?」


 立ち上がりながらそこまで言ってキャロルティナはゾーンの後方を見るとその光景に声を失った。

闘技場では数人の男達が剣を片手に死闘を繰り広げていた。既に何人かは血を流して倒れ込んでおり、おそらくはもう息がないように思えた。


「こ、こんな……これは一体……ゾーン区長っ! なんだこれはっ! こんな剣闘試合、あれは真剣か? なぜ、こんな……」

「ふっはっはっはっは、試合? これはそんな安っぽい代物じゃありませんよお嬢様。ここはアンダーグラウンドで行われている賭け闘技場。ああやって剣闘士どもを戦わせて、誰が生き残るのか、そんな賭け事を行っている場所なのです」

「ふざけるなっ! そんなものをこのグリフォンの領土内で、誰の許可を得てやっているっ!」


 激昂するキャロルティナのことを一瞥するとゾーンは鼻で笑う。


「はんっ、誰がだって? この私だよキャロルティナっ! この街の支配者であるゾーンが許可して行っているのだっ!」

「きさまぁ、誰に向かってそんな口を。私はこの領地を治めるグリフォン家の長女にして現とう」

「現当主とでも言いたいのですかなっ!」


 遮るようにゾーンが大声で言い放つと、その威圧感にキャロルティナは目を見開き言いかけた言葉を飲み込んだ。


「キャロルティナ、我々がなにも知らないとでも思っているのかね?」

「な、なんのことだ?」

「はっはっは、小娘が動揺の色を隠しきれていないぞ。あまり大人の世界を甘く見るなよ。みんな知っている。おまえの父親、トーマス・ベルデ・グリフォンが既にこの世を去っていることも。このグリフォン領がすでにレオンハルトの手中にあることも、みーんな知っているのだ」


 馬鹿なという表情を浮かべるキャロルティナ。それを見てゾーンが大口を開けて笑いだすと、釣られるようにゴードンもくすくすと笑い声を零していた。


「ゴ、ゴードン。なぜこんな、おまえは私を騙していたのか? どうして?」


 問い掛けには答えないゴードンにキャロルティナは詰め寄ると胸倉を掴んで強く問い詰めた。


「答えろゴードンっ! なぜこんなことをしたあっ! この仕業はなんなのだっ? なぜこんなふざけた場所がグリフォン領内にある? おまえはすべて知っていたのか? 答えろっ! 答えてくれ……」


 懇願するように言うのだが、ゴードンは白けた表情をするとキャロルティナの手を払いのけて言い放った。


「そうだよキャロルティナ! 俺はおまえを売ったんだよっ!」


 その言葉にキャロルティナは言葉を失う。幼い頃から兄の様に慕い信頼していたゴードンの言葉に強いショックを受ける。目には涙が滲み視界がボヤけて見えた。

 悔しかった。憎かった。信じていた相手に裏切られたことに、なによりそんな奴の言葉に絆されて、舞い上がっていた先程の自分に吐き気がした。

 気が付くとゴードンに飛び掛かっていたのだが平手で顔を殴られるとその場に倒れ込む。階下ではまた誰かが切り殺されたのか、ギャラリーの歓声と拍手が湧き起こっていた。


「ゾーン……私をレオンハルトに引き渡すのか?」

「そうですなぁ」

「父への恩を仇で返すような真似を……反吐が出る」

「お嬢様が口にするような言葉ではないですな。それよりも、今夜はおもしろい余興を用意しておりまして。エルデナーク卿に引き渡す前に、あなたにもそれを是非ともご覧になってもらいたいのですよ」


 そう言うと椅子に座り直し闘技場を見下ろすゾーン。ゴードンも同じようにしている。背を向けている二人の姿にキャロルティナは隙ができたと思うのだが、この場所にもう一人男がいることを失念していた。無駄なことはやめておけと釘を刺されキャロルティナは、大人しく闘技場を見下ろすと唇を噛んだ。

 闘技場には死体を片付ける兵士達を茫然と見つめる仮面の男が一人。おそらくこの死闘の生き残りなのであろうが、闘いが終わっても戻っていかない所を見るとまだなにかあるのか。不思議に思っていると、ゾーンが語りかけてくる。


「ここからが見物ですよお嬢様。ここからが彼の本当の闘い。生き残りを賭けた最後の闘いになります」

「まだなにかさせるつもりなのか? もう解放してやれっ! 彼がなにをしたというのだっ!」

「強盗っ! 強姦っ! それに殺人だっ! 奴は元々、死罪を免れない犯罪者。あそこにいる奴らは、そんな死んで当たり前の碌でもない輩共ばかりなのだっ!」

「な!? そ、それでも……あんな、あんな非人道的な……」


 最早正気の沙汰とは思えなかった。死罪人や犯罪者を使って、こんな狂気に満ちた賭け事を行っていることも。それに熱狂している民衆達にも。キャロルティナにはその全てが異常で気味の悪い物に思えて、恐ろしくて震えが止まらなかった。


 銅鑼の音が鳴り響くと、闘技場の袖にある鉄格子がガラガラと大きな音を立てて上がる。そこからスティマータが飛び出してくると観客達は更に大きな歓声を上げた。


 キャロルティナは最早驚くこともできず、ただ茫然とその様子を見ているしかないのであった。



 続く。

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