其の十七 欲望の坩堝

 小さな寝息を立てるキャロルティナの傍へ行くと、ゴードンは彼女の金色の髪を掬い上げて匂いをかぐ。そして恍惚の表情を浮かべると舌なめずりをした。

 キャロルティナの身体をテーブルの上に寝かせると胸元から首筋、そして頬へと舌を這わせる。


「お母様に似てお美しくなられたぁ。私はね彼女のことを手に入れたいとずぅっと願っていたんだ。それが叶わない夢だったとしても。けれどあなたなら、今のあなたなら私のものにぃ」


 ゴードンがキャロルティナの胸元に手を添えたその時、後方からドアをノックする音が聞こえた。振り返ると閉じられたドアに背もたれる長身の男の姿。いつの間に音もなく入って来たのかとゴードンは驚くのだが、この男なら造作もないことだと納得した。


「ゲルト・シュナイダー……」

「お楽しみのところ失礼、ノードベルさん。人の性癖をとやかく言うつもりはないが、あまりいい趣味とは言えないな」


 ゴードンは舌打ちするとキャロルティナから手を離した。


「言う通りにグリフォンの娘は眠らせたぞ。それ以外は何も約束はしていないんだ。それを区長子飼いの傭兵風情にそんな風に言われる筋合いはないな。大体おまえらの方こそ本当に黒装束の剣士は生け捕りにしたんだろうな?」


 忌々しげに言うのだが、ゲルトと呼ばれた男が睨みを利かせるとゴードンは黙り込んだ。

 ゲルトはキャロルティナを肩に抱えると部屋から出て行こうとする。ゴードンがそんなに目立つ格好で出て行くのかと慌てるのだが、裏口に馬車を着けてあるとゲルトは表情一つ変えずに出て行くのであった。


 銀替商の建物を出て馬車で約20分ほど。街の中心にある繁華街、その一角にある巨大な建物の裏手に馬車が着くと中から男が四名出迎えた。男達はゲルトからキャロルティナの身柄を受け取ると中へと足早に戻って行った。


「おいゲルト、区長との約束は本当なんだろうな?」

「貴殿と区長殿が交わした約定のことなど、私には関わり合いのないこと。それは区長殿に直接聞くのだな」


 男達の後についてゲルトとゴードンも中へと入って行く。幅の細い石造りの階段を深く深く下って行くと広い通路へと出た。そこを右へ曲がり、さらに奥へと進んで行くと鉄扉があった。扉を開け中へ入ると部屋の奥には椅子に腰掛ける小太りの中年男性が居た。


「ほぉほぉほぉ、よくやったなゴードン。こんなにも早く捕えてくるとは思っていなかった」

「ゾーン区長、そんなことより! 例の約束はっ?」


 小太りの男のことをゾーン区長と呼ぶゴードン。この男はグリフォン子爵より命を授かりこの街の行政を任されている、正真正銘の上流階級の者だった。

 ゾーン区長はゴードンの言葉に、わかっていると手を振るとニヤニヤと下卑た笑みを浮かべる。


「わかっている。約束通りおまえの借金の肩代わりはしてやる。ここでのおまえの負け分も帳消しだ」

「あ、ありがとうございます。小娘一人の身柄と引き換えに、あの額がチャラになるってんなら易い仕事だったぜ」


 ゴードンは多額の借金に喘ぐ生活をしていた。それは全てギャンブルに注ぎこんだものであった。最初は少額を賭けるほんのお遊び程度のものであったのだが、勝ったり負けたりを繰り返す内に次第にギャンブルにのめり込んでしまったのだ。

 気が付けば借金で首が回らなくなっていた。そこでゴードンは一時凌ぎにと、グリフォンの資産に手をつけてしまったのだが、これが彼の運命を大きく変えてしまった。

 先祖代々、資産を管理していた彼はグリフォン家からの信頼も厚かった為に、簡単にちょろまかすことができたのだ。しかしそれが積み重なっていくと誤魔化しきれない金額へと膨れ上がってしまった。結果ゴードンは違法な金貸しから借金をしてしまい、それを返す為にまとまった金を得ようとギャンブルに注ぎこむことを繰り返していたのだ。


「それにしてもゾーン区長。その娘の身柄をどうするつもりで? まさか性奴隷にでもして売り飛ばそうってんじゃ?」


 ゴードンの質問にゾーンはなにを言っているのかと馬鹿でかい笑い声をあげる。脂ぎった額をハンカチで拭うと椅子から立ち上がり、床に寝かされているキャロルティナの髪を掴むと顔を上げて覗き込んだ。


「確かに、美しい娘であるな。これなら高く売れるだろうが、そんな端金などに興味はない。この娘の身柄はなゴードン。エルデナーク卿が欲しがっているのよ」

「エ、エルデナーク………辺境伯が、ですか……」

「そうだ、あの青二才の小僧。民衆共にはまだ知られていないが、グリフォンを乗っ取ってなにか企てているそうではないか」


 謂わんとしていることがよくわからないゴードンは首を傾げるのだが、それを鼻で笑うとゾーンは再び椅子に腰掛ける。


「青二才ではあるがあれも辺境伯だ。恩を売っておいて損はあるまい。直にグリフォン子爵の死は民衆にも知れる所、その時この娘のことが必要となるのだろう。皇帝陛下がどのように命を下すかはわからないが、おそらくは……」


 そこまで言った所で大きな歓声が鳴り響いた。

 ゾーンの後方、階下に広がる大きな空間、そこには大勢の観客が中央の闘技場を取り囲むようにひしめき合い、異様な熱気を放っていた。

 VIP席に居るゾーンは賭け闘技場を一瞥すると振り返り言い放つ。



「今宵も、狂気と狂熱の宴が始まるぞ」



 続く。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る