其の十六 雷鳴の夜、揺れ動く心

 月夜であったはずが、気が付けば空には暗雲が立ち込めていた。

 湿った空気と土の臭いを感じてこれは一雨くるかもしれないと、こんな時に十郎太は空模様のことを考えていた。

 目の前の男達は十郎太の隙を窺いながらジリジリとにじり寄ってきている。

 十郎太は刀の柄を軽く握ると引き抜こうとしてみるが、やはりうんともすんとも抜けない。予想の範疇であったので十郎太は鞘のまま刀を構えると目の前の男達に言った。


「鉄ごしらえの鞘だ。このままでも力いっぱい振り下ろせば頭を砕くことくらいできるぜ?」


 剣が鞘から抜けないことを知らない男達はくすくすと失笑するのだが、十郎太は構わずに一番近い男の顔面を殴り飛ばした。鼻がへしゃげ前歯が飛ぶと、殴られた男は顔面から血をボタボタと垂れ流しその場に膝から崩れ落ちる。それを見て他の男達の表情が一変、得物を振りかざして一斉に飛び掛かって来た。

 しかし十郎太が少し身を躱しただけで、男達は互いの武器がぶつかりてんやわんや。まるで統率の取れていない素人の動きに十郎太は呆れ気味に溜息を吐いた。

 追ってくる男達を一人、また一人、次々に鞘で殴り倒して行く。それにしても異常に数が多い。気が付けば十郎太の後には十数人もの男達が呻き声をあげて倒れていた。

 そんな感じで暫く人目を避けるように路地裏を走り続けていたのだが、角を曲がった所で袋小路へと出てしまった。

 土地勘がまるでない場所で闇雲に逃げ回るものではないなと思うものの、あんな輩がどれだけ出て来た所で問題はないと思うのだが振り返った所で十郎太はげんなりする。

 狭い路地にひしめく様に並んだ男達の手には長さ4尺ほどの刺又。どうやら十郎太のことを生け捕りにしようとしているようであった。


「なんだなんだ。どうも殺気のかけらも感じねえから、ど素人共の集まりかと思っていたら。生け捕りにするのが目的だったのか?」


 十郎太の言葉に一人の男が返す。


「お、おまえは生かして連れて来いって。く、区長の命令だ」

「区長? 誰だそりゃ」


 答えた男はしまったという表情になると、周りの男達に馬鹿だの阿呆だのと罵られ袋叩きにされていた。

 この街どころかこの国において、己のことを知る存在が居るわけがない。

 そもそも、どうしてこんな所に居るのか十郎太自身にもわかっていないのだ。そんな己のことを生かして連れて来いとは一体何者なのか甚だ疑問に思う、しかし大人しく捕まってやる義理もないと十郎太は鞘を腰に差し直すと体勢を低くした。

 男達も身構えるのだが、十郎太は男達に向かって全力で駆け出す。前方の男達が刺又を突き出した瞬間、十郎太は跳躍。ぎゅうぎゅうに詰まった男達を踏み台にして人垣を飛び越えた。

 慌てふためく男達の後方に着地したその時、十郎太の背筋に悪寒が走る。目の前には身の丈6尺はあろうかという細身の男が一人。男の発散する陰気なオーラに十郎太は息を飲んだ。


 この男、間違いなく他の有象無象とは一線を画す輩であると。数々の修羅場を潜りぬけてきた十郎太の直感が危険を報せる。


「……人斬りか?」


 十郎太の問いに少し間を置いて男は答えた。


「いかにも」


 その瞬間、甲高い雷鳴が辺りに響き渡る。

 まさに雷と見紛う如し一閃。間一髪、十郎太の引き上げた鞘の横っ腹には銀色の輝きを放つ刃があった。

 手練れの持つ抜身の剣を相手に鞘刀では太刀打ちできないと、十郎太はすかさず距離を取ろうとするのだが、後方から突き出された何本もの刺又に捕えられてしまうのであった。



*****



 突如豹変したゴードンの態度にキャロルティナは困惑する。それに気が付いたゴードンは、ハっとするとすまなそうな顔をして頭を下げた。


「すみません。急に大声を出したりして、とんだ無礼をお許しください」

「い、いいえ。確かにゴードン、あなたの言う通り少し軽率だったかもしれません。ああするしかなかったとはいえ、どこの誰かもわからない者に頼るなんて。ありがとうゴードン、心配してくれて」


 その言葉にゴードンは喜びに打ち震えるような表情を見せると紅茶を淹れ直してきましょうと部屋から出て行った。


 一人残されたキャロルティナは溜息を零す。


 心にもないことを言った。自分はついさっき十郎太になんと言ったのかと、それを思い返して自己嫌悪する。其処許のことを信頼すると、だから復讐の為に力を貸してくれと頼んでおきながら。今のを十郎太が聞いていたら何と言われただろうかと考えると胸が苦しくなった。


 しばらくするとゴードンが戻ってきて紅茶を淹れ直してくれた。

 今さっき使いを出して宿の手配をしている所だから、もうしばらくここでゆっくりしてくださいと言うゴードンであったが、キャロルティナは外に待たせている十郎太のことが気になっていた。


「あの男のことが気になるのですか?」

「もう2時間近くも待たせているので」

「お気になさる必要はありませんよ。奴なら生け捕りにされたと今しがた連絡がありました」

「は?」


 ゴードンの言っている意味がわからず聞き返すキャロルティナであったが、急に視界が歪む。酷い眠気に襲われて、立ち上がろうとしても足元がおぼつかなかった。


「ゴードン……な……に……を」


 そのままテーブルに突っ伏し眠りに落ちてしまったキャロルティナのことを見下ろすと、ゴードンは口元に笑みを浮かべるのであった。




 続く。

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