其の十二 信頼に足るもの

 剣を手にした瞬間、吐き気も苦痛もなくなっていた。

 最早、巨大なからくり人形に乗っているという感覚はなく、己の身体のように自由に動ける。いや、それ以上に馴染んでいるように十郎太は感じた。

 まるで鞍馬天狗にでもなったかのような気分、強力な神通力で肉体が強化されたのかと錯覚してしまう程であった。

 真っ二つにされたスティマータは、尻尾の方が地面でのたうつと暫くして動かなくなるのだが、頭の付いた方はシャシャカと小賢しく地面を這っている。


「なるほど、ムカデと同じく頭を潰さなければ死なないようだな」


 十郎太は一足飛びで近づくと、スティマータは口から毒液を噴き出すのだがそれを回避、更に身体から針を飛ばしてくるが全て剣で打ち落すと、剣を振り上げて頭を縦に斬り裂いた。

 大量の血液が雨の様に降り注ぎ、スティマータはその場でピクピクと痙攣し動かなくなるのであった。





 崩れた教会の中から掘り出した女神像を置いただけの簡素な墓の前で、祈りを捧げるキャロルティナの姿を十郎太は少し離れた場所から見つめていた。


「ごめんねサシャ。こんな所に一人置いて行ってしまうことを許してね」


 森を少し入ったところに湖があり、その畔に咲いていた花を手向けとして供える。遺体を担いで移動するわけにはいかないので、簡易的な墓を掘って埋葬してやったのだ。

 十郎太が墓を掘っている間に、湖で身体を清めたキャロルティナはサシャの着ていた衣服を身に着けている。


「服も借りるね。全部……全部終わったら必ず迎えに来るから。それまでここで我慢していてね……必ず……むかえ……に……うぅ、あぁぁぁあぁぁぁぁん、サシャぁぁぁ、サシャぁぁぁぁ」


 堪えきれなくなって大声で泣くキャロルティナのことを、泣き止むまでずっと十郎太は待ち続けてやるのであった。


 目覚めた頃には高かった陽も傾きかけていた。このままでは森の中で夜を過ごさなくてはならないと十郎太は少し焦る。キャロルティナを追ってきている者がいるやもしれない、或いは野盗などがうろついているやもしれない。まあそれらであれば斬って捨ててやればよいのだが、やっかいなのは獣の存在であった。

 一匹二匹の野良犬程度であれば難はないのだが、暗い森の中で群れをなしていた場合に非常に危険だと十郎太は思っていた。


「キャロルティナ、そろそろ陽も沈む。十分な備えもない中で夜の森は危険だ」

「うん……わかってる」


 意気消沈するキャロルティナのことを見て、十郎太は無理もないと思う。

 14~15の娘が、親類を亡くして従者と一人逃れてきた心労は計り知れない。それに加えて親しかった従者までも目の前で無残な死を遂げたのだ。

 ずっと気丈に振る舞ってきて一気に緊張の糸が切れたのだろう。しかしそれでも再び気を張ってもらわなければならない。ここから先は時間との勝負になるのだ。


「キャロルティナ、酷ではあるが立って先を進んでもらわなければならない。折角化け物を倒して生き延びたのに、獣に食い殺されては意味がなかろう」

「わかってるっ! ジューロータ」


 キャロルティナは立ち上がると十郎太の傍へと歩み寄って来た。そして顔を見上げると睨み付ける。その眼は真っ赤に腫れ上がっていたのだが、気力を失った眼ではなかった。いや、それどころかなにか強い意志の光を感じる、そんな眼に十郎太は思えた。


「其処許に……其処許に改めて依頼する」


 と、思ったのだが、なぜかキャロルティナはもじもじとしだし、なんだか頬を赤く染めて恥ずかしそうに言いだした。


「きょ、今日出逢ったばかりの其処許に、こんなことを言うのもなんだが。わ、私は、その、其処許のことを信頼した上で、その、改めて頼みたいのだ」

「信頼……だと?」


 十郎太はその言葉に眉を顰めた。桂の言葉を思い出したからだ。


「そうだ、私は其処許が信頼に足る人間だと、そう思える。だから、だから私の復讐を遂げる為に其処許の力を貸してほしい」


 やっぱりなにも知らない餓鬼であると十郎太は思った。

 確かにさっきは勢いであんなことを口走りはした。思い返すだけでも恥ずかしくなるような台詞がよくべらべらと己の口から出て来たものだと、十郎太は今頃になって後悔する。

 勿論正式に暗殺者として雇うというのであれば考えなくもないが、なんの大儀もないこんな小娘とそんな契約を交わす気にはなれなかった。


「小娘、さっきはおまえさんを鼓舞する為にああ言ったが、そんな簡単にどうして人斬りである俺のことを信用できるよ? 途中の街までなら用心棒代わりについていってやるが、子供のお守などいつまでも」

「馬鹿にするなっ!」


 十郎太の言葉を遮り、今まで以上に大きな声で言うキャロルティナ。


「子供などと馬鹿にするなっ! 父を亡くしたのだっ! 母を亡くしたのだっ! サシャまでもっ……」

「……すまない」


 さすがに今の言葉はまずかったと、十郎太は頭を下げる。


「其処許は、私がサシャの為に命を投げ出したことを不思議に思っていたな」

「正直、俺には理解できないことだった。死者の為に己の命を懸けることに何の意味があるのかと」

「では、其処許は見ず知らずの私の為に命を懸けることにはなんの抵抗もなかったのか?」

「俺が生きる為でもあった」


 キャロルティナの謂わんとしていることがまるでわからない十郎太は、なんだか誘導尋問を受けているような気分になる。困惑する十郎太を見てキャロルティナはクスリと微笑んだ。


「其処許は冷酷を装っているように見えるが、その実は優しいだけの単なるお人好しなのだ。出逢ったばかりの見ず知らずの娘など放っておいて逃げれば良いものを、血反吐に塗れながら守り抜いた。其処許は、損得ではなく感情で動ける人間だと私は思った。だから信頼に足ると思ったのだ」


 その時、十郎太は桂の謂わんとしていたことが少しだけわかったような気がした。


 それはきっと、己が人を斬るだけの心を失くした殺人鬼だけにはなるなと言う桂なりの優しさだったのではと、今になってやっとわかった気がしたのだ。


「ジューロータ、私は其処許を信頼している。だから、だから其処許も私のことを信頼して欲しい。私は、絶対に其処許を裏切るような真似はしないっ!」


 十郎太はキャロルティナに背を向けるとゆっくりと歩みだした。


「あーあー、まったくこれだからガキは。どこの世界にお人好しだなんて言い方で頼みごとをする奴がいるってんだ」

「な、ちゃ、ちゃんと頭を下げてお願いしたであろうっ!」

「大体、その言い方が上から目線で気に喰わねえんだ。これだから武士ってのは」

「ブシとはなんだっ! 私は騎士だっ!」


 足を止めると十郎太は振り返り言い放つ。



「いいから行くぞ。おまえの仇討をする前に、狼にでも喰われちまったら目も当てられねえだろう?」

「じゅ……ジューロータぁぁぁああああっ!」

「ば、馬鹿っ! やめろ、抱きつくんじゃねえっ!」



 夕陽に照らされた二人の影が重なりあうと、心地よい風が吹き抜けるのであった。

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