其の十 天より舞い降りて地より這いあがりしもの

 スティマータの身体がぶるぶると震えるのを見て、次はなにが起こるのかと十郎太は警戒した。

 はっ、とした瞬間、足元のキャロルティナを蹴り飛ばすと十郎太自身も反対方向へと飛ぶ。スティマータの吐き出した青い液体が、今まで己達の居た場所に着弾するとじゅうじゅうと音を立てて煙を上げるのであった。


「毒液か何かか……。おい小娘っ! そんな所でいつまでも蹲っていないで逃げろっ! 次は庇いきれんぞっ!」


 十郎太はなんとかスティマータの気を引こうと、大声を上げたり石を投げつけたりするのだが、蟲は動きの鈍いキャロルティナを標的に決めたのか、再び身体を持ち上げると胴体に付いた足をわしゃわしゃと動かした。

 そのまま飛びついて一飲みにされてしまったらどうすることもできないと思うが、その時はその時、キャロルティナの剣を奪って腹を裂いてでも抜け出してやると十郎太は駆け出す。そしてキャロルティナを庇うように眼前に飛び出すと、蟲の身体から無数に伸びた棘が十郎太の身体を貫いた。


「ぐっ! ぬぅぅうううっ!」

「なにをやっているっ!? なんで……どうして、そんな無茶を?」


 痛みを堪えてキャロルティナを抱えると、十郎太は森の中へと転がり込んだ。

 臭いで追って来ている相手に、森に潜んだところで幾ばくの時間稼ぎにもならないことはわかってはいたが、生身を晒しておくよりはマシと判断した行動であった。


「い、痛むのか? 酷い怪我だ、早く止血をしないと」


 左の脇腹を押さえる指の隙間から、ボタボタと鮮血が流れ落ちていた。キャロルティナは震える声で十郎太に言う。


「もういい、もういいんだ……。」

「なにがもういい?」

「私は、ここで死ぬ運命にあったのだ。お父様が亡くなって、病に臥せっていたお母様も亡くなり。そして、サシャまでも……。私にはもう、なにも残ってはいない。戦う力さえない私には、騎士の誇りさえも……いや、元からそんなものなんてなかったんだっ!」


 手にしていた聖剣を地面に叩きつけると、キャロルティナは涙を流しながら怒声をあげる。


「なにが聖剣だっ! なにが騎士だっ! 私は、私はこんなところでボロボロになりながら惨めに蟲に喰われるだけの、ただの憐れな小娘だっ! 私はぁぁぁ」


 再び蹲ろうとしたその時、十郎太がキャロルティナの肩を掴んだ。


「しかしおまえは、ただのか弱い小娘でありながら。死者の尊厳を守る為に立ち向かったであろう。そんなおまえが、おまえは生きながらにして尊厳を失うのか?」

「じゃあ、じゃあどうすればいいんだ? 聖剣を手にしていても、私は聖機兵を召喚することさへままならないのだぞ?」


 どう足掻いたところで、あの巨大な蟲を倒すことができないことはわかっていた。それどころか逃げ遂すことさえ困難だろうと。しかし十郎太はキャロルティナの目を見据えると静かに告げる。


「俺を雇え」

「はあ? なにを藪から棒に」

「俺は人斬りだ。人を斬ることを生業としてきた。いや、思えば俺にできることと言えばそれだけしかなかったのかもしれん。ならば、一度は胸を突かれ死の淵を彷徨った俺が、仇敵を討たんが為にと、神に力を願ったおまえの前に現れたのも天命だったやもしれぬ。だから、おまえは俺を雇い復讐を成し遂げるまでは死ぬべきではない」

「其処許は……其処許はなにを言っているのだ。復讐を諦めろと言ったり、成し遂げろと言ったり、いったいなんなのだぁぁぁ」


 十郎太は泣きじゃくるキャロルティナの頭を鷲掴みにするとグシャグシャと掻きまわした。


「剣を拾えキャロルティナ、今一度おまえがやろうとしていたまじないを試してみろ。それが、この窮地を脱する唯一の切り札なのであろう?」

「でも、私には……」

「足掻け、どうせなら最後まで足掻いてみせろっ!」


 そう言うと、十郎太は己の剣を再び鞘から引き抜いて見せた。

 目の前には森の木々を薙ぎ倒しながらスティマータが迫ってきている。それを見てキャロルティナも剣を拾い上げて、横に並び立つと先ほどと同じように剣を構えて見せる。同じ様に十郎太も剣を振り上げると二人で同時に呪文を唱えた。


『彼の地におわします大地の精霊よ。太古の盟約をもって我は汝に命ずる。汝の力をもって我らが前に立ち塞がりし魔を討ち祓わんことを!』



「神だろうが仏だろうが鬼だろうが構わねえっ! 出て来やがれえええええええええっ!」



 最後に十郎太がアレンジを加え剣を振り下ろしたその時、頭上に現れる光陣。その空間が切り裂かれると中から現れたのは、光の鎧を身に纏った巨人であった。


「な、なんだあれは? 巨人……いや、からくりか?」

「やった、やったぞ十郎太! この私にも、伝説の聖機兵を召喚することができっ」


 その瞬間、聖機兵が地上に降り立つのだが、地面に切り開かれていた別の空間へ、ぼちゃりと音を立てて落ちた。


「なあああああああああああああっ!?」

「な、なんだ? 何が起きたキャロルティナ? あれで良いのか? からくりの巨人はどうなった?」

「良いわけがないだろう馬鹿あああああっ! 空から落ちてきて地面の穴に落ちて消えたのだぞっ! あぁぁぁぁぁエッケザックスぅぅぅ、どうしてくれるのだ馬鹿者ぉぉぉ」


 己が悪いのかと十郎太は納得がいかなかったのだが、そんなことを言っている場合ではない。大型スティマータに匹敵する巨大なからくり武者であったが、戦う前に姿を消してしまっては意味がない。というか、己は何をしているのかと十郎太は少し切なくなった。


「ちぃ、仕方がない。この太刀でなんとかするしかねえ」


 言ってはみたが、あまりにも無謀。それに脇腹の傷も痛む。しかし。こんな絶望的な状況にありながら十郎太は、沖田を前にした時のような死の予感は感じてはいなかった。なにか第六感の様なものが働いているのか、まだ終わっていないとそう感じた。


 その時、先ほど光の巨人が落ちて行った目の前の穴から泥水の様な液体が噴き出す。それと同時に巨大な手が突き出て来ると穴の縁を掴んだ。

 泥濘の中をのた打ち回るが如く這い出てきた真っ黒な巨人は、まるで当世具足を身に纏った鎧武者のよう。見るも無残な姿に成り果てた聖機兵の姿を前にキャロルティナは開いた口が塞がらなかった。


「な、なんてことを。聖機兵がこんな、こんな姿に変わってしまうなんて、なんということをしてしまったのだ」


 そんなキャロルティナのことは尻目に、十郎太は聖機兵を見上げると目が合ったような気がした。


 そして、こう言われたような気がした。



―― 乗れ、貴様が望むのなら、敵を滅する力を与えてやろう ――




 続く。

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