其の九 焦燥に駆られる剣

 キャロルティナはとても信じられない思いでいた。

 無数のスティマータの死骸を作り出した十郎太の剣の腕はもちろんであるが、それ以上に気になるのは手にしている剣である。

 見たところ異国の片刃剣のようであるが、長さはおおよそ60~70㎝、刃の部分は銀色に輝いてはいるが刀身は黒鉄でも使っているのか、鴉の様に真っ黒であった。

 いともあっさりとスティマータの堅い外骨格を切り裂いたその切れ味は、さも名のある名剣なのだろうと思うのだが、それと同時にその剣の纏う禍々しい妖気に背筋が寒くもなるのであった。


 十郎太は己の剣をマジマジと見つめると「うぅむ……」と呻り声をあげる。


「ど、どうしたのだ?」

「いや、これは俺の剣で間違いはないのだが、なぜこのように刀身が黒くなっているのかと不思議に思ってな」

「なにを言っている。それは其処許の所有物なのだろう?」

 

 その時、ズシンという地響きと共に建物が揺れる。

 それが何度も続き、次第に大きくなっている。建物が崩れる危険があった為、外に出ようとしたところでキャロルティナがなにかに気が付いたかのように声を上げて、十郎太を制止すると出入り口から外を覗いた。


「そんな……。まさかとは思ったけれど、こんな所にギガース級が現れるなんて」


 絶望的な表情を浮かべて立ち竦むキャロルティナの肩を掴み十郎太は、何事かと問いかけるのだが、要領を得ない彼女の説明に痺れを切らして自ら外を見ることにした。


「な……なんと……。先刻から一体、これは幻か? やはり俺はあの時死んで、地獄に……いや、魂が魔界にでも迷い込んでしまったのか?」


 十郎太の目に飛び込んで来たのは、身の丈10メートルはありそうな巨大なムカデの様な生物であった。暫く二人、固唾を飲んで巨大なスティマータが通り過ぎて行くのを待つのだが、キャロルティナが小声で言う。


「たぶん、仲間を探しているんだと思う」

「どういうことだ?」

「こんな所にあんなに沢山のスティマータ共が居るなんておかしいと思ったんだ。あんな群れを成していたということは、おそらく軍隊の様に統率された蟲達。あのギガース級はその司令塔だと思う」


 キャロルティナの説明に、なるほどと頷く十郎太。

 つまりは、先ほど蹴散らした蟲どもの親玉が、あの巨大なムカデであると言う事だ。身の丈が五尺程度の大きさの物であれば、剣さえあれば相手にできようものだが、あんな大きさになってはとてもこんな太刀一本で勝てる相手ではない。

 ここは気づかれないように身を潜めているのが一番だと考え、今一度様子を窺おうと外を見た瞬間、十郎太の背筋に悪寒が走る。


「しまった! 気づかれたぞっ!」


 そう叫んだ時にはもう、大型スティマータは凄まじい速度で十郎太達の居る建物へと地鳴りを起こしながら迫ってきていた。


「走れっ! 建物ごと押しつぶされるぞっ!」

「なぜ気づかれたのだ? 相当距離があったはずなのに」

「臭いだ。あの野郎、蟲どもの血と臓物の臭いに気が付きやがったんだ。行くぞっ!」


 十郎太はキャロルティナの手を掴むと走り出そうとするのだがなぜか抵抗される。


「どうしたっ!?」

「待って、サシャが、このままじゃサシャの身体が建物に押しつぶされてしまう」


 今度こそ諦めろと言いたいところであったが、そう言っても聞かないであろうことは既に理解していた。

 仕方がないので十郎太はサシャの遺体を担ぎあげる。その間にキャロルティナは衣類の端切れを胸と腰に巻きつけると、裸のままでいるよりはマシだとそれで我慢することにした。


 建物の裏口から飛び出したその時、轟音と共に地面が揺れる。スティマータが体当たりをして建物を押し潰したのだ。間一髪、難は逃れたのだが、まだ無事に逃げ切れたわけではない。

 十郎太もキャロルティナも蟲の血を体中に浴びていた為に酷い悪臭を放っていた。当然それに気が付いたギガース級スティマータは、頭の付いた長い身体をもたげると十郎太とキャロルティナの方を見る。


「ちぃ、やるしかねえのか」


 サシャの遺体をゆっくり下ろすと、十郎太は再び剣を構えようとするのだが、なぜかまた鞘から引き抜く事ができなかった。


「なんだっ! またか? どうなってやがるこの剣は?」


 どうしようかと思ったその時、キャロルティナが十郎太の眼前に飛び出して剣を構える。


「なにをしているっ! おまえがどうこうできる相手ではない! 今すぐその剣を置いて逃げろっ、この化け物は俺が相手をする」


 十郎太が声を張り上げるのだが、キャロルティナは振り向かずに答えた。


「スティマータの跳梁跋扈する辺境の地でありながら、なぜ勇者たちが誰一人としてその命を落とさずに封印の術を施して生還できたと其処許は思う?」


 その答えを十郎太は当然知る由もない。あんな化け物の存在など、お伽噺の中でしか聞いたことがない。十郎太が問い掛けに答えられずにいると、キャロルティナは剣を振り上げて何かの呪文を唱え始めた。


『彼の地におわします大地の精霊よ。太古の盟約をもって我は汝に命ずる。汝の力をもって我らが前に立ち塞がりし魔を討ち祓わんことを! 我が前に顕現せよっ! 聖剣エッケザックスっ!』


 剣を振り上げるのだが、なにも起こらなかった。その瞬間、スティマータの身体が震え、尻尾の方から複数の棘が伸びキャロルティナへと襲い掛かった。間一髪十郎太が飛びつき、キャロルティナと一緒に地面を転がる。


「なにをやっているんだっ!」

「どうして? どうして現れてくれないのエッケザックス? どうして? 私が未熟だから? 正式に盟約を受け継いでいないからなの? お願い、力を貸してよ。どうして、どうして私には戦う力がないのよおおおおおっ!」


 剣を抱えて泣き叫ぶとその場に蹲ってしまうキャロルティナ。十郎太は舌打ちをすると、鞘に収まったままの剣をスティマータへと向けた。

 絶体絶命の状況である。巨大な化け物を前に、泣き喚いて蹲ってしまったガキに、戦おうにも己の剣は鞘から抜けない。まともな武器はキャロルティナが抱え込んでしまっている為に奪うこともできない。


 今度ばかりは万事休すであると、十郎太は唇を噛むのであった。



 続く。

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