其の八 吠えよ魔剣

 初めて暗殺しごとで人を斬った夜は恐ろしくて一睡もできなかった。

 人を殺したという己の行為にではなく、ただただ化けて出てくれるなという思いだった。

 しばらくは幾ら水で濯ごうと、布で擦ろうとも両の手に付いた血が落ちないような気がして、血と脂の臭いがいつまでも鼻の奥に残って気分が悪かった。

 それを桂の為、攘夷の為、ひいてはお国の為にと自分に言い聞かせてきた。

 初めの内は亡骸に手を合わせたりもしていたが、こなしていく内に難しい暗殺も依頼されるようになってくる。わざわざ斬る対象に手を合わせてやる余裕もなくなってきて、そうしている内にいつしか人を斬るという事にも抵抗がなくなってきた。

 死人に口なしとはよく言ったもので、それは死んでしまえば余計な事を喋らないのと同時に恨み言を漏らす事もないということ、死んでしまえばただの肉塊にすぎないということであった。



 茫然とする十郎太の腕から摺り抜けると、キャロルティナは剣を抜き甲虫種スティマータに向かって全速力で向かって行く。十郎太は、なぜあの娘は死人の為に命を懸けているのかまるで理解できなかった。

 人を喰う化け物を相手にできる剣の技量ではないことは先程の一件でわかっていた。

 キャロルティナの剣はスティマータの外骨格にいとも簡単に弾かれる。力いっぱい打ちつけたのだろう、手が痺れたのか剣を取り零してしまった。

 スティマータは新しい獲物が現れたので、先にそれを仕留めようとサシャの肉を喰らう事を止めてキャロルティナの方へ向き直った。


 結局はただの犬死、そう思った時、十郎太は何故か恐ろしくなる。

 己はこれまでに、どれほど死に近い場所に居たのかと。

 いつしか己もあのように無残に死ぬのだろうかと思うと、無性に恐ろしくなったのだ。

 なぜ今こうして生きているのかはわからないが、沖田に胸を突かれたあの時、一度は死を覚悟しながらも死にたくないと願った。

 命を失った死者に尊厳があると言うのなら、生きながらにして人としての尊厳を失った己の命とはなんだったのか?


 ―― ならば、今一度守ってみせなさい ――


 目覚める直前に聞こえた声。それは、誰かをと言う意味なのか? 己をと言う意味なのか? 答えはわからない。しかし今、死者の尊厳を守る為に自らの命を投げ出そうとしている阿呆が目の前に居るのだ。



 スティマータは見かけからは想像もつかない俊敏な動きでキャロルティナに飛び掛かってきた。

 一匹がキャロルティナを押し倒すと手足を押え込む、そしてもう一匹がキャロルティナの胸当てを衣類ごと強引に引き剥がした。

 乳房を露わにされたキャロルティナは悲鳴を上げると、拘束から抜け出そうともがいたがまるで身動きがとれない。このまま喰われて死んでしまうのかと思うのだが、スティマータは一向に自分を喰おうとはしなかった。

 更には下半身の衣類まで引き裂かれるとキャロルティナは裸同然の恰好になる。そこで恐ろしいことに気が付いてしまった。まさかこの蟲は雄で生きながらに自分を犯し、同時に雌の方が膣内に卵を産み落とそうとしているのではないかと、そんな悍ましい予感が的中する。


「いやあああああああああああっ! 助けて、サシャっ! そんなの嫌よっ! 誰かっ! お父様ああああああああああっ!」


 悲鳴をあげて暴れるのだがどうにもできなかった。どうしてこんなことになってしまったのか。たった一ヶ月前には父と母と、大好きな家族と幸せな日々を送っていたというのに、なにもかも失ってしまった。

 家も家族も姉の様に慕っていたサシャも、皆死んでしまった。それを全て奪った憎き仇の命を取ることもできずに、自分はここで蟲に犯されながら惨めに死んでいくのかと思うと、悔しくて涙が溢れてきた。

 そんなのは堪えられないと、キャロルティナは舌を噛んで自ら命を絶とうとしたしたその時。


『ギュイキュィィィィイイイイイイイイイイ』


 気味の悪い鳴き声が耳を刺す。同時に温かく生臭い雨が体中に降り注いできた。

 恐る恐る目を開けるとその目には、漆黒の剣を手にした黒い悪魔の姿が飛び込んでくる。悪魔は飛び掛かってくる雌のスティマータを軽く躱すと一太刀で身体を両断した。


 なにが起こったのかまるでわからなかった。放心状態になるキャロルティナの元へ十郎太はやってくると、目の前にしゃがみ込み言い放つ。


「生娘であったか」

「な、ななな、なにをっ!?」


 真っ赤になり動転するキャロルティナを尻目に十郎太は再び立ち上がると背を向ける。


「どういうことか。先刻はどんなに力を籠めても抜けなかった剣が、おまえさんを守ろうと思った刹那、いとも簡単に抜けやがった」


 言いながら再び剣を構える十郎太。辺りには大きい物で2メートル強、小さい物でも1メートルは超える大小様々な甲虫種が取り囲んでいた。


「キャロルティナ、そこを動くなよ」


 そう言うと十郎太は蟲の群れの中へと飛び込んで行くのであった。




 そこら中に散らばる蟲の残骸、その山の上に腰掛け肩で呼吸をする十郎太の姿。返り血なのか、己の血なのか、真っ黒に染まる姿は、神に助けを乞うた自分の元に舞い降りた天使とは到底思えなかったのだが、キャロルティナはその姿を神々しく思い十郎太から目を離すことができなかった。


「其処許は……、いったい何者なのだ?」


 その問い掛けに、十郎太はほんの少しだけ笑みを浮かべると答えた。


「不破十郎太、ただの人斬りだ」



 続く。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る