其の七 死者の尊厳

 この教会を出て東へ進み、森を抜ければ父と懇意にしていた子爵の領地に入る。そこまで行けば身の安全は保障されると言うキャロルティナの言葉を、十郎太は話し半ばに聞いていた。

 グリフォン領には、既にレオンハルトの私兵が入ってきている為にどこに居ても危険だとも言っていた。

 そもそも、爵位を持つ七聖剣達であっても軍隊を持つことは許されていなかった。しかし、身辺警護や領土を守る為の私兵であれば別と言うのだが、その線引きがどこにあるのかは定かではない。結局、秘密裏に軍備を進め巨大な軍隊を皆持っていることは暗黙の了解であったらしい。


 さて、そんな状況下でキャロルティナがなぜこんな朽ち果てた教会で祈りを捧げていたのかと言うと。斥候に出した下女が戻るのをここに身を潜めて待っていたというのだが。


「その下女はどれくらい戻っていないんだ?」

「もう、1時間ほどになるけれど…………なんだ? ジロジロと」


 キャロルティナの手にする懐中時計を見て、十郎太は珍しいものを持っているなと興味津々なのだが、それをめんどくさそうにあしらうキャロルティナであった。


「そんなに戻って来ねえんじゃ、ヘマしてとっつかまっちまったんじゃねえか?」

「縁起でもないことを言うな」


 受け取った懐中時計を物珍しげに見つめながら言う十郎太の横で、不安気な表情を浮かべているキャロルティナ。そんなキャロルティナのことを横目で見ると、この娘は一人になったら間違いなく死ぬであろうと十郎太は思った。

 先刻、外に出て見てわかった事だがこの森は相当に深い。余程の運の持ち主でもなければ、道のない山を抜けるのは困難であろう。

 そんな十郎太の視線に気が付き、キャロルティナは少し恥ずかしそうに言う。


「な、なんだ? 私の顔になにか付いているか?」

「いや、おまえさん……。復讐なんてもんやめといたほうがいいぜ」


 突然の言葉にキャロルティナは再び激昂する。すぐ頭に血の上る娘だと十郎太はうんざりするのだが、こんな所で人斬りの己と出会ったのも何かの縁と根気よく諭そうと考えた。

 なによりこのまま放って行くのも夢見が悪くなりそうだと思った。


「父親の仇を取りたいという気持ちはわからんでもない。だがここから先、娘一人の力でどうこうなるものでもあるまい。下女が戻ってきたら大人しく来た道を帰れ。一時的に捕えられはするかもしれないが、おまえさんも名のある武家の娘であるなら相手もそう無茶はしないだろう」

「父を殺した相手の庇護を受けろと? 騎士である私にそんな辱めを受けながら生きながらえろと言うのか其処許は」

「今は耐えがたいかもしれないがここから先の人生、生きてこそと言えるもの」


 言いながら十郎太はまた姉のことを思い返していた。それが出来得なかったから、今の自分がこの様な人生を送っているのだと身に染みた。


「言っただろうっ! そんな生き方、騎士の誇りを捨ててまで生き永らえてなんの意味がある? そんな生き方をするくらいなら死んだ方がまっ! むぶふぅぅっ!」

「騒ぐな、気配を殺してじっとしていろ」


 捲し立てる途中、手で口を塞ぐと十郎太はキャロルティナの頭を抱え込み長椅子の間に身を屈めた。

 長四角の教会内には横幅2メートル程ある木製の長椅子が並べられていた。その後方、出入り口のドアが開くと何者かが入って来るのが見えた。

 自分を追ってきた新撰組の隊士か? ごそごそと蠢く黒い影が二体、そしてもう一つ動かない誰かがその足元に横たわっている。

 十郎太の場所からはよく見えなかったのだが、なにやら布を引き裂くような音が聞こえてくると、腕の中でキャロルティナが呻りながら暴れ出した。首根っこを掴んで床に頭を押し付けると、十郎太は苛立ちながらキャロルティナに小声で言う。


「いい加減にしろ、おまえから先に締め上げてやってもいいんだぞ?」

「サシャだ、あいつらが喰おうとしているのはサシャなの。助けなきゃ、早くしないとサシャが殺されてしまう」


 キャロルティナは取り乱して今にも飛び出して行きそうな状態であった。

 おそらく下女のことを言っているのだろう。それにしても喰うとはどういうことだ? 怪訝に思い十郎太は椅子の下から覗き込むと、思わず声を上げそうになった。


 見たこともないような生物が……いや、まるでダンゴ虫を巨大にしたような5尺程の蟲に手足の生えた生き物が、女の衣服を引き裂いて腕や脚に喰らいついていたのだ。


「なんだ……あれは?」


 流石の十郎太もこれには参ってしまう。これまでに百人以上を斬って来た己だが、ついぞ幽霊や物の怪の類に出くわしたことなど一度たりとてなかった。

 しかし、今目の前にいるあの化け物はなんだ? キャロルティナの話を半分も信じていなかった十郎太であったが、二体の化け物を目の前にした時、ここは本当に自分の知る世界なのかと疑問を持ち始めていた。

 困惑する十郎太の力が弛んだ隙に飛び出そうとするキャロルティナであったが、すぐに我に返った十郎太に再び押さえつけられる。


「諦めろ」

「嫌だっ!」

「よく見ろっ、あの女はもうダメだ。既に事切れている、出て行ったところで助けられはしない」


 サシャは既に死んでいた。それに気が付いた十郎太は説得するのだが、キャロルティナは涙ながらに懇願を始めた。


「お願い、甲虫種あいつらは人を喰った後に、臓物だけを残してそこに卵を産み付けるの。腸を喰らって成長した蟲がサシャの身体から這い出してくるのなんて、私には我慢できないっ!」

「もう死んでいる」

「だからこそっ! 死者の尊厳を踏みにじるような蟲どもの行為が許せないんだっ!」


 死者の尊厳。


 それは、十郎太にとっては思いもつかない言葉だった。



 続く。

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