其の五 斬るということ、斬られるということ

「やめておけやめておけ、そんな構えじゃ巻藁すら斬れんぜ」


 祭壇上から降り立った十郎太は、擦れ違いざまにキャロルティナの肩をぽんぽんと叩きその場を去ろうとした。

 馬鹿にされた、一度ならず二度までも。キャロルティナは十郎太の侮辱的な態度と言葉にカっとなる。


「貴様、騎士である私を侮辱するのか? 撤回しろっ!」

「きし? なんじゃそりゃ? まあ俺の言ったことを侮辱と思ったのなら悪かったよ。ただ言ったことは真実だぜ? おまえさん、それで人を斬った経験ことなんてないだろう?」


 へっぴり腰で柄を握る手は震えている、ど素人丸出しのキャロルティナの姿。十郎太は人斬りであるが、別に殺人鬼というわけではない。このまま相手が引いてくれるのなら良いのだが、キャロルティナにも騎士としての誇りがあった。どこの誰だかも知れない不逞の輩にいいように言われたまま引き下がることはできなかった。


「おいおい、そいつを抜いちまったら後戻りはできないぜ?」


 剣を鞘から引き抜き、切っ先を十郎太に向けるとキャロルティナは名乗り口上を始める。


「私の名はキャロルティナ・ロゼ・グリフォン。グリフォン家の長女にして現当主である。先祖代々受け継ぎしこの聖剣エッケザックスの名にかけて、グリフォン家を侮辱したきさまを許すわけにはいかない。今ここで、きさまに決闘を申し込む!」


 十郎太は呆れ果て天を仰ぐ。お家だのなんだのと、体裁に拘って命を張る馬鹿を前に怒りさえ覚えた。女子供を斬る趣味はないが、少し痛い目を見させた方がこの女も諦めるだろうと思った。

 それにしても、今日はやたらと饒舌に舌が回るもんだと、十郎太は自分自身のことが可笑しくなる。気が付くと「くっくっく……」と小さな笑いが漏れていた。


「なにが可笑しいっ! きさま、どこまでも無礼な奴だ」

「いやいや、すまなかったな娘。いいだろう、相手をしてやる。人を斬るということがどういうことか教えてやろう」


 そういうと十郎太は手にしていた刀を腰に差して引き抜こうとした。


「あれ?」


 しかし、剣はがっちりと鞘に収まりどんなに力を入れても引く抜くことができない。血を拭き取らずに戻した為、中で固まってしまったのだろうか? 

 これはしまったと十郎太は思うのだが、キャロルティナはそんなことにはお構いなしに斬りかかってきていた。それを躱すと十郎太は間合いを取る。


「きさま、なんのつもりだそれは?」


 キャロルティナの問いに十郎太は不敵な笑みを浮かべる。


「おまえさん相手ならこれで十分ってことよ」


 剣を鞘に納めた状態で構える十郎太にキャロルティナは怒り心頭、再び斬りかかるのだが簡単に躱されてしまう。擦れ違いざまに軽く尻を鞘で叩かれると、キャロルティナは小さな悲鳴を上げた。

 そんなことを何度か繰り返していると、仕舞いには息が上がり足が縺れてキャロルティナは転んでしまった。

 こんなつまらないお遊びに付き合わされて、十郎太は辟易すると大きく溜息を吐いた。


「はぁぁぁぁ、やめだやめだ。このまま続けても尻が腫れあがるだけだぞ」

「ふざけるなあああっ! どこまでも馬鹿にして、いっそのこと殺せえ! こんな惨めな……惨めな思いをするくらいなら死んだ方がマシだ……」


 喚き散らすキャロルティナのことを睨み付ける十郎太。この娘がなぜこんな癇癪を起しているのか理解できなかったが、その物言いには我慢がならなかった。

 十郎太の怒りを察したのか、キャロルティナは口を紡ぎ不安気に見上げる。大股でのっしのっしと眼前まで迫ってきた十郎太が刀を振り上げたところで目を瞑ってしまった。

 しばらくそのままで居るのだがいつまで経っても剣は振り下ろされてこなかった。

 恐る恐る薄目を開けると頭をコツンと叩かれた。


「いたっ……」


 ずきずきと小さな痛みの広がる頭を擦ると、目の前にはしゃがみ込んだ十郎太が自分の顔を覗きこんでいる。キャロルティナは気が付くと大粒の涙を流していた。


「どうした、恐ろしいのか? 死んだ方がマシではなかったのか?」

「そうだ……私は……私はもう……死んでしまいたい」

「殺す度胸も死ぬ度胸もねえ奴が、いっちょ前なことを垂れ流すんじゃねえよ。民を守りたい、親父の仇を討ちたい、そう言っていた奴がもう死にてえだなんて。甘ったれてんじゃねえガキが」


 そう言って十郎太は思う。目の前の少女は、本当に子供であった。背格好からして十四から十五といったところだろうか? 年端のいかない娘が家だの名誉だのを口にしてそれに押しつぶされそうになっている姿を見て、己が幼少の頃それを庇ってくれた姉の姿をいつの間にかキャロルティナに重ねて見ていた。


「なにか他人には思いもつかねえもん抱えてるのかもしれねえけど。おまえさんくらいの年の頃の娘が、お家の事情に振り回されて生きていかなくちゃならねえ世なんてな」

「おまえに、騎士でもないおまえになにがわかる……」

「はははっ、まあわからねえな。しょうがねえってもんだ、徳川が天下を取って三百年、安寧の世に生まれた俺達にはわかりようもねえことかもしれねえな」


 キャロルティナは怪訝顔で十郎太のことを見つめていた。なにかおかしなことを言ったか? と思うのだが、キャロルティナの言葉に今度は十郎太が怪訝顔をするのであった。



「トクガワ? とはなんのことだ?」




 続く。

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