其の四 神に願いて悪魔が来たる
斬りも斬ったり百余人。
三十を数える人生で、どれだけの命を奪ってきたのだろうか。そう思うと己のこの死に方は必然であったのだろうと十郎太は納得していた。
初めて人を斬ったのは十四の時であった。次男坊であった為か、家督を継げない己に対する親類縁者の目は冷たかった。
そんな己に唯一優しかった姉の為に振るった兇刃。人を殺めた人間を家には置いておけないと言われ、名を捨て脱藩という道を選ぶことで生き長らえてから十五年以上の歳月が経った。
その終着点が侍に胸を突かれて死ぬという結末。己にしては出来過ぎた話ではないかと十郎太は永遠の眠りにつくことを受け入れようと思った。
いや……違う……。
桂に拾われてから十年以上、言われるがままに人を斬り続けてきた。
異国の脅威に晒されそれに従順しようとする情けない幕府。これを見限り王政復古を成さんが為に奔走する桂の力になろうと。国を捨てた己の成せることなど、他人の為に剣を振るう事だけだとずっとそう思ってきた。
だが違った。剣によりすべてを失った己が剣によってなにかを成そうなどと。本当に望むものとはなんだったのか? 己が剣を振るうのは他人の悲願の為か? 国を憂いてなのか? 己自身に問う。
「ちがう、ちがうちがうちがうっ! 俺はただ守りたかっただけだっ! ただそれだけなのにっ! 守りたかっただけなのに」
死にたくないと思った。国に帰らぬままこのまま命果てることが、十郎太には耐えられなかった。なにかに縋るように震える手を目いっぱい天へと伸ばしたその時。
―― ならば、今一度守ってみせなさい ――
声が聞こえたような気がした。
十郎太は薄目を開けると、辺りが既に明るくなっていることに気が付いた。いつの間にか夜が明けていたらしい。
ゆっくりと身体を起こすと辺りを見回す。昨夜、新撰組の沖田総司に胸を突かれて空き家に転がり込んだ所までは覚えている。しかし今、己が寝転がっているのはどこかの屋敷かなにかか? 天井がとても高く、石造りの建物のような場所であった。
そう言えば、胸を突かれた筈なのに痛みはない。その部分に手で触れてみると、古傷が塞がったような痕があった。
傍らには鞘に収まった己の剣。これも沖田に奪われ自らの胸を貫いた剣の筈なのだが、もうわけがわからなかった。
誰かが助けに駆けつけてくれたのであろうか? はたまた自分自身でここまで逃げて来たのか? とりあえず落ち着いて、今現在置かれている状況をもう一度、一から確認しようと思っていると声が聞こえてきた。
「神よ。ああ、天上におわしまする神よ。どうかあなたの子、キャロルティナ・ロゼ・グリフォンの願いをお聞き入れくださいませ。今、この国は未曽有の危機に瀕しております。北の最果てで起きた異変から
女であった。
十郎太は声のする方へ向くと、自分が高い場所へ居ることに気が付いた。下方に目をやると声の主の姿が見える。黄金色の頭髪に、銀色の甲冑を身に纏った女であった。
西洋の渡来人か? 宣教の為に渡来した切支丹? なぜ甲冑を身に纏っているのか? などなどが頭を巡る。まあ例え伴天連であったとしても、それが理由で斬るということはない。元より神も仏もない修羅道を生きて来た十郎太にとって、他人の信じる神など、どうでもいいことであった。
キャロルティナは十郎太の存在には気づいていないようだった。
どうやら十郎太は祭壇の上に横たわっていたようだが、跪き頭を垂れて祈りを捧げている為に気づかなかったのだ。
「今は国が一丸となり、我ら、七つの聖剣が皇帝の剣となりて矢面に立つ時であるにもかかわらず。この窮地において反旗を翻した者がおります。神よ! どうか……どうか私に力をお与えくださいっ! 私に民草を守る力をっ! 皇帝陛下をお守りする力をっ!」
懇願するキャロルティナの言葉に十郎太は辟易としていた。
守る力を与えろなどとそれを神頼みとは、国どころか家族、いや、たった一人の人間でさえもこの女には守ることは出来ないだろうと呆れた。
「神よ……どうか、父の仇を取る力を……」
その言葉を聞いた瞬間、十郎太は遂に堪えきれず吹き出した。
「ははははははっ! 本音が出たな小娘。なにが皇帝陛下だ。民草だ。結局は復讐か。笑わせるぜ、己の復讐を遂げんが為に神頼みとはな」
突然現れ自分のことを嘲笑する男に、キャロルティナは茫然とする。今のを全て聞かれていたのかと思い、己の恥部を見られたかのような恥かしさと、それを嘲笑われていることへの怒りが膨れ上り、気が付けば声を荒げ腰に帯びた剣に手を掛けていた。
「き、きさまっ! そんな所でなにをしているっ!? 祭壇に土足で上がるとはなんという冒涜。すぐにそこから降りろっ!」
青い瞳に怒りを宿し睨み付けるキャロルティナ。それを鼻で笑いながら十郎太は祭壇の上から飛び降りた。
その瞬間キャロルティナは不思議な感覚に捉われた。十郎太の黒い着流しと乱れた長髪、それはまるで漆黒の悪魔が目の前に舞い降りたような。復讐の為に力を願った己の前に現れたのは、神の御使いではなく悪魔であったとそう思うのであった。
続く。
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