其の二 人斬り二人

 真夜中の京都は現在、そこら中で呼笛の音が響いていた。

 目明し。所謂、岡っ引の使う物であるが、池田屋における新撰組の襲撃騒ぎを聞きつけた同心や岡っ引、他藩の守護職の者達も駆けつけ手柄を上げようと躍起になっているのだ。

 肝心の池田屋内の捜索は、新撰組鬼の副長土方歳三が隊士以外の口出しは無用と部外者の介入は断固拒否していた為、逃走した攘夷志士達をなんとしてでも挙げようと、通りと言う通り、路地と言う路地、大小架かる橋まで、蚤一匹通さぬ勢いで包囲網が張り巡らされていた。

 そんな中、宵闇に紛れ不破十郎太は町を駆けていた。

 増築に継ぐ増築の為、まるで迷路の様に広がっていた江戸八百八町とは違い、碁盤の目の様に理路整然と整備された京都の町は、包囲網を敷きやすく逃亡者にとっては追っ手を巻き難い場所であった。

 しかし、桂と別れて暫く北へ向かうも追っ手はおらず、それでは囮役を買ってでた意味がないと、十郎太は引き返そうと踵を返したところで足を止めた。

 通りの角に提灯の灯りが見える。こんな夜分に、ましてやこれだけの大捕り物が行われている中、町民が出てくるとは考えにくい。下手をすれば、とばっちりで御用となるおそれもあるからだ。

 であれば先の灯りの主は追っ手に違いないと考え、十郎太は敢えて姿を晒そうとした所で背後から何者かに声を掛けられた。


「そこの者っ! そんな暗がりで何をしている? 今は捕り物中であるぞ! 余計な誤解を招きたくなくば……むむ? きさまっ、帯刀しているのか? ゆっくりとこちらを向いて顔をっ」


 十郎太に声を掛けていた者が腰にある物に手を掛けたその瞬間。首から上が突如傾きゴロリと地面に転がった。

 それを見ていたもう一人の男が、手にしていた提灯を落とすと悲鳴を上げる。額には鉢金、浅葱色の羽織姿、若い男であったが新撰組の隊士に間違いなかった。

 十郎太は一瞬の内にもう一人の男との間合いを詰めると相手が剣を抜く間もなく、もっとも恐怖の所為で完全に戦意を失っていた為に抜くことはできなかったのだが、そのまま一太刀の内に斬り伏せた。

 いとも簡単に二人の男を斬り殺した十郎太はまだ警戒を解かない。新撰組は相手が一人であったとしても、二人以上で相手にするようにと、一見してみれば卑怯な戦法にも思えるが、確実に勝つ方法を取る集団であった為だ。

 転がる遺体の先、闇に目を凝らすと十郎太はそこに誰かが居ることに気が付いた。

 その瞬間、凄まじいまでの殺気に晒される。

 こんな敵意を、いや悪意を発せられるものなどそうそうはいない。

 あるとすればそれは己と同じ穴の貉、人斬りの成せる所業であると不破は瞬時に理解した。


「おやおやおやあ? あんた、人斬りかよ?」


 地に転がる提灯の火が油に燃え移ると、その灯りに照らされた顔は女かと見紛うかのように美しいと、不破はそう思った。それと同時に相手が何者かを察する。


 新撰組一番隊組長沖田総司。


 これまでに直接剣を合わせたことはなかったが、尊王攘夷派の不逞浪士達を何人も屠ってきたその剣は、紛うことなく天賦の才であると聞き及んでいた。

 己も百人以上の人間を斬ってきたが、それは沖田とは似ても似つかぬ修羅の剣である。

 なんでも沖田の三段突きは電光石火、瞬きする間もなく繰り出され、踏み込みの音も一つにしか聞こえぬと、そんな神業の持ち主であるらしい。尤も、噂話に尾ひれ背びれが付いて広まった与太話であると思っていたのだが、目の前にいる男なら或いはと、不破はそんな予感を沖田に感じていた。


「どこの人斬りだぁ、あんた? 長州か? 薩摩か? 長州かな、まあなんでもいいや。どちらにしろ俺はあんたを斬るぜ?」


 その瞬間、剣と剣が重なり合う音が鳴り響く、どちらが先ともなく斬りつけていた。

 交差する刃越しにお互いの目を見据えると沖田がクスリと笑う。


「あんた、人斬り十郎だな? わかるぜ、あんたの剣はもう何人もの人間を斬って来た剣だ。習い事で竹刀を振り回してきた武士の成れの果て、剣道なんて紛い物とはわけが違う死線を潜り抜けてきた剣だ」


 沖田は後ろに飛び退ると、半身になり剣を肩口水平に構える。それを見て十郎太は突きが来ると予想した。沖田の必殺剣三段突き。真っ直ぐに来る突きであれば、顔面、喉、胸のどれかを突かれない限り即死をすることはないと判断した。


「あんたとなら、本当の意味で死合えそうだ……」


 沖田の呟きを十郎太は聞き取ることが出来なかった。

 そして次の瞬間、それは本当に偶然、咄嗟の行動であった。

 左から風の音が聞こえた気がして、己の剣をそちらに出したのが功を奏した。

 まるで見えなかったのだが、沖田は水平に構えた剣先を翻し手首を返すと十郎太の顔面を横薙ぎにしようとしていたのだ。あわやそれを受けると、十郎太は地面を転がり沖田と距離を取る。顔を上げると間髪入れず距離を詰めてきていた沖田の剣がまた十郎太に襲い掛かる。受け流しきれずに刃は十郎太の左腕を浅くだが縦に切り裂いた。

 まさに電光石火、まるで動きが見えなかった。十郎太はほとんど勘で沖田の剣を受け続けるのだが、瞬きする瞬間にはもう沖田は己の間合いに入り攻撃を仕掛けてくるのだ。

 十郎太は驚愕した。こんな化物がこの世に存在するのかと。これまでも何人か剣豪と呼ばれる人間を斬って来た。何度か苦戦を強いられた相手もいたが、己の死を感じることはなかった。

 しかし今、目の前にいるこの人斬りは、確実に己の命を奪うに足る実力を備えていると十郎太は感じるのであった。


 続く。

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