サムライソード 〜異世界剣客浪漫譚〜
あぼのん
其の一 池田屋にて
「御用改めであるッ!!」
袖口をダンダラ模様に白く染め抜いた浅葱色の羽織と鉢金を付けた一団。背中には誠の一文字が書かれている。それを見た旅館の主人は酷く驚き、これを報せようと慌てて二階へと上がって行った。
「追うぜ、近藤さん」
「沖田ッ! まだ斬るなよ。俺が合図するまで絶対に抜くなっ!」
普段は飄々としている沖田が、こういった修羅場となると途端に血気盛んになることを承知している近藤が釘を刺すのだが、沖田は返事もなく駆け出していた。
京都御所を焼き討ちする計画があるとの密告があってから約一週間。
慎重に捜査を進めた近藤勇は、今晩この池田屋で尊攘派の志士達が謀をしていることを知り、数名の隊士を引き連れて踏み込んだのだ。
隊士の一人、沖田総司は一足飛びに階段を駆け上がると奥の襖を開けて中へと飛び込んだ。
突然の襲撃に驚くも、部屋の中に居た十数名の尊攘派志士達は畳の上に置いた刀を手にすると柄に手を掛けた。それを見て沖田も腰に刺した愛刀に手を掛けると静かに言う。
「抜くなよ抜くなよぉ。抜いた奴から斬るぜぇ」
口元に小さな笑みを浮かべたその時、部屋の外から沖田を呼ぶ近藤の怒声。それを聞いた志士の一人が青褪め震える口を開いた。
「お、沖田だ。ひ、人斬り沖田だ」
その瞬間、明らかに志士達の間には動揺が広がった。
壬生浪の天才剣士、沖田総司。その剣は天賦の才にして天下に並ぶ者は居らず。これまでに斬ってきた不逞浪士は数知れず。この場に居る者が束になってかかろうとも勝つこと叶わずと誰もが思った。
しかし緊張と恐怖により思考の巡りが悪くなったのか、一瞬の沈黙の後、堪えきれなくなった一人の志士が剣を抜き沖田へと斬りかかったのが口火であった。
それを一太刀の内に斬り捨てると、沖田はその場に居た志士達を次々と斬って行く。近藤が追い付く頃には既に4人の志士を斬り殺していた。
「沖田あッ! 俺がいいって言うまで斬るなと言っただろうがあッ!」
「そんなこと言ったって先に仕掛けてきたのはあちらさんだぜ?」
「斬らずに去なせ馬鹿者がッ!!」
「無茶言うなよ……って」
言いかけた沖田がにやりと笑ったことに気が付いた近藤は、振り向きざまに鞘から刀を抜くと突きを繰り出した。
言い合いをしている二人の隙を見て、一人の志士が近藤に斬りかかったのだが返り討ちにされた。
「余所見は危険だぜ近藤さん」
「黙れいっ、そうこうしている内に数人取り逃がしてしまったではないか!」
「そんじゃあ俺が後を追いまっせ」
「そっちじゃあない沖田、下には永倉と藤堂が居る。おまえは隊士を二人連れて裏手から追跡しろ!」
池田屋襲撃から一刻程、未だ残党との戦闘が続く中、人数では劣勢の新撰組を指揮する為に近藤はその場に残り。沖田は逃走した志士達を追って夜の京都を駆けるのであった。
一方、池田屋を出て数間ほど、民家の軒下には追っ手から逃れようと二人の男が潜んでいた。
池田屋の裏口を出て北へ約200間ほど走れば長州藩邸がある。
そこまで逃げ延びれば如何に新撰組といえども手出しは容易ではない。会津藩の与りである京都守護職の新撰組が、長州藩邸へ乗り込んだとあれば藩同士のいざこざへと発展する。それが幕府の耳にでも入ろうものなら、どんな処罰が下るやもわからなかった。
ましてや会津藩士でもない新撰組が勝手に振る舞ったこと、と切り捨てられる可能性もあった。
目と鼻の先にある安全地帯を目指すか、しかしそれすらも見越して警備網を張り巡らしている可能性もある。
新撰組とはそういった組織であると、特に鬼と呼ばれ背反者ともあればたとえ隊士であっても容赦なく粛清を加えると言う副長。そして天賦の才を持つ人斬り。そんな輩が居る組織に対し用心に越したことはないと、桂小五郎は別の逃走先を考えていた。
「不破よ、行く先を変えるぞ」
桂の言葉に不破と呼ばれた浪人は声に出さずとも怪訝な空気を醸し出す。
「今回の襲撃、もしも彼奴らの狙いが僕であったとするならば、ここから北へ向かうのは飛んで火に入るではないか?」
不破が、ならばどうする? と言った視線を送ると桂はすぐに答えた。
「なればこそ北へ向かおう」
なにを言っているのか皆目見当もつかなかった。
北へ逃げれば新撰組の包囲網があるから止めようと言っていた矢先、北へ向かおうなどとは、気でも触れてしまったのかと不破は思うのだが、困惑している彼に桂は続ける。
「そう怪訝顔をするな。まずは東へ、三条の橋の袂まで行き身を潜めた後。追っ手が北へ向かった頃合いを見計らってその後をついて行くのだ。そして、手前の対馬宗屋敷に匿ってもらおうと言う寸法よ」
「だったら、あんたを逃がす為にもっと確実な方法がある」
これまで自分の意見を口にすることなどほとんどなかった不破の言葉に、桂は少し驚くも言ってみろと促した。
不破の提案は自分が囮となり北へ先に走る、それを追ってきた追っ手の後を行けというものであった。
なるほどと桂は感心したが、しかしそれは非常に危険な役割であるとも理解した。
元々腕の立つ用心棒として取り立てた不逞浪士であったが、よくよく話を聞けば同郷の脱藩浪士であった。名は捨てたというその男に不破十郎太と言う名を与え、暗殺者として育てたのも桂であった。
これまで幾度となく修羅場を潜りぬけてきた不破。斬った人間の数は百を下らなかった。いつしか“百人斬りの十郎”と呼ばれる人斬りとなった不破であるが、これが囮を買ってでてきたのである。
桂は逡巡する。これから先も不破の剣は己にとって欠かせないものであることは間違いない。しかし、それと同時に不破の存在は己にとっては猛毒にも成りかねない存在でもあった。
幕府要人の暗殺。その闇の部分を一手に担っていたのが不破である。
その場で斬り伏せられるのならまだしも、もしも捕えられてしまった時に重要機密が幕府側へと漏れてしまう恐れもあった。
そんな考えが顔にでも出ていたのだろうか。
「桂さん、心配には及ばねえよ。逃げられそうもなかったら己で腹を切る心算よ」
「不破……」
よくもこの不破と言う男。寡黙ではあるが人をよく観察し、人心心得ているものだと桂は驚嘆する。そこまで言うのならばと、桂は不破の提案を承諾した。
不破の去り際に、戻るときには敵の手に落ちず生きて帰れと、さもなくば死して戻れとだけ言うのであった。
続く。
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