第3話






『お前の命を貰い受ける』




正直に言って、おそらく恥ずかしながら、僕は不意に届いたその言葉の意味が全く理解出来なかった。


いや。


言葉の、文章の意味は分かる。


そこまで頭のよろしくない、高校の成績で言えば、272人在籍する中での成績と言えばいいとこ150位ぐらいの僕だが、頭の出来がそれくらいな自覚がある僕でも、分かる。



GIVE ME YOUR LIFE



いや、英文がこれで合っているのかなんて全然わからないけど、つまりは『お前の持ってる命を私に寄越せ』ということで。


僕の命。


消えかけの灯火。


それを寄越せということだ、という事は理解が出来る。



しかし何故それを今?

このタイミングで?

しかも完全無欠なはじめましてなはずの、姫様と呼ばれていた人が?



僕の知っている現実をもはや超越し過ぎるほどに超越していて、逆に冷静になっているこの状況。


日課のランニングをしていたら。

当然眩い光が現れて。

と思ったら可愛らしい女性が2人現れて。

その片方に胸ぐらを掴まれ押し倒されて。

訳の分からないままに解放されて。

そしてもう片方に自己紹介をしていたら突然自分の胸を、誰かの腕が貫いていて。


そして今。

僕は死にかけの、ほとんど屍のような状態で、毎日のランニングコースである『月行山』の中腹にある駐車場に転がされている。


わあ。


箇条書きしてみれば何とファンタジーな展開なのだろうか。16年間生きてきて初めての体験だ。


いや言ってる場合じゃない。

冗談じゃない。


絶え絶えの意識で聞いたところによると、詳しいことはまるで分からないけれど、眩い光と共に僕の目の前に現れた2人の女性はどうやら『何か』に追われているようで、そしてその『何か』とは、僕の身体をその手で貫き甲高い口笛を吹いているその人物。


ということなのだろうか。


チカチカと頭がまたスパーク。

思考を乱すように激しい痛みが走り、ふわりと身体の揺れる感覚と共に僕の口からは低いうなりが漏れる。


「すまない、でもこれしか方法が無い」


声のした方、つまりは眼前を見ようと、僕は精一杯の力を振り絞ってゆっくりと、ゆっくりと重い瞼をこじ開ける。


ただ目を開こうとするだけでこの労力か、と思わず笑いそうになる。


重い重い、石で出来た大きな扉を開けるようだ。


ほら、そういう漫画があったじゃないかと下らないことを考えて気を紛らわせる。力が強ければ強いほど沢山の扉が開くやつ。


ぱちり。


ようやく薄ぼんやりと開けた僕の視界は、綺麗な、燃えるような赤色で染まっていた。


思わず「綺麗だ」と漏れそうになるが、僕の口から吐き出たのは空気を震わせる振動ではなく、汚く濁った赤色の塊だった。


鉄臭さが鼻を刺す。


「しっかりしろ、まだお前に死んでもらうわけにはいかん」


そこまで聞こえて、僕は遅まきながら、視界を染めていた真紅が姫様と呼ばれていた女性の瞳の色だと気づく。

そして僕が今、彼女に抱きかかえられているということも。


「綺麗、だな、と思って」

「は?」

「目の色、凄く綺麗な、赤だなって、それ、カラコンってやつ、ですか?」


何とも言えない顔だ。


ようやく、僕の感覚的には本当にようやく、永遠の時を超えて彼女と会話ができたというのに、当の彼女は悲しいんだか馬鹿馬鹿しいんだか何なんだか、何だかよくわからない顔をしている。


「からこん?何だそれは」

「ほら、あるじゃないですか、色が付いたコンタクトで、女の子が、よく付けてる、何がいいのか、僕にはよく、わからないけど」


そこまで絶え絶えで喋って、視界が大きく揺れて、また咳き込む。

鉄臭さい。

今の自分の顔や口周りがどれだけ血で塗れているのか、想像もしたくない。


「おい、大丈夫か!?」

「どうでしょう、今まで、胸に穴が空いたことないので、よくわからない、です」


彼女は僕の身体を、穴の空いた方を見やり、そしてぐっと何かを堪えるような顔をする。


大きく深呼吸をしてから、続ける。


「お前は死ぬかもしれない、いや、このままでは確実に死ぬだろう。でも、助かるかもしれない」


ああ、と僕は息を漏らす。

そりゃひどい怪我だよなあ。

彼女もそれに合わせるようにゆっくりと息を吸って、その後を続けた。



「お前の命、貰い受けるぞ」



その答えなら随分前に、1話前の最後の方で言ったのにと考えて、そうか、言葉になっていなかったのか、彼女には聞こえていなかったのかと思い直す。


そして、口を開いて言葉を紡ぐ。


僕の運命を変える一言を。






「ああ、どうぞ、こんな死にかけの命でよかったら、好きにしちゃってください」







答えを聞いた彼女は、不安なのか、それを隠そうと必死に繕っているのか、それとも本当にそういう感情なのか、口元を震わせてニヤリと笑った。


「契約成立だ」


うわ、それ危ない商法じゃないですか。

詐欺の人の顔ですよ。

そう軽口を叩こうとしたけれど、しかし、僕の口答えは叶わず、再び大きく視界が揺れて、意識が暗がりへと沈んでいく。


「必ず、助ける」


そう聞こえた、気もした。


助かるといいな。

そんな何とも他力本願な願いを抱きかかえて、僕は目を閉じる。











004












私の腕の中で、彼は血を吐き、ゆっくりと目を閉じて再び意識を失った。


生臭い液体が顔にかかり、そらを指先で拭い取って見つめる。




「身体に開いただけでおっ死んじまうんだから、やっぱ下等だよな、人間はよ」


ケラケラと軽々しく耳障りな笑い声が聞こえた方を、きっと睨みつける。

ガスタは、彼を抱えたまま地面に座り込む私を、数メートル離れた位置から見下ろしている。精神的にも物理的にも。


私の視線をまるで気にせず、ガスタはまあ、とかぶりを振ってアゴをしゃくる。


「まあ、弱いってトコはそこのザコも同じようなもんだよな」


あいつがアゴで指したのは、私の側に横たわるルナだ。

辛うじて息はしているようだが、うつ伏せになったその身体には何本もの棘、正確には魔法によって荒々しく肥大化し、打ち出されたガスタの鱗が突き刺さっている。


ルナだけだったら避けられたはずだ。

いや、必ず避けられた。

でも彼女はそうはせず、現状ほとんど“無力”の私を守り、つまりガスタの魔法と私との間に身体を投げ出したのだ。


私を守ったのだ。

力を失った私を。


そもそもルナの魔力が弱まっているのも、私を連れて『ゲート』をくぐったせいだ。

つまるところ私の責任だ。


悔しくて強く、強く歯を食いしばる。


そうこうしている間に、また青年が血を吐いた。既に私の衣服は血に染まっている。


赤い血。


やはり彼ら人間の身体には私たち魔族と同じように生命を維持するために必要不可欠な、真っ赤な液体が流れている。


同じだ。


姿形が少し違うだけで、私たち魔族と人族は本質的には何も変わらない。きっとそうなのだ。同じように生きているのだ。


私がそれを自覚したのは、つまり頭の中からそういった考えが離れなくなったのは数年前。

父、先代魔王に連れられて出た、人間との初めての戦いの時だった。


あちらの世界では。

私たちの世界では。


こちらの世界とは違って、人と、そして我ら魔族が存在する世界では絶えず争い互いが互いを殺し合い、もはや戦いは生活の一部となっている。


そうした中で私は生まれ、今は魔王の娘として生まれたことは置いておくが、とにかくそうした人間との争いが当たり前の常識である世界に生まれ、そしてそれが当然だとして育てられた。

人族は私たち魔族よりも劣り、卑劣で卑怯で非力な存在であり、それを支配するのは一種の使命であると、そういった信念の元、宗教の元で育てられた。


でも違った。


同じだった。


戦いの中で猛り狂い、あまりにも軽々しく命を奪っていく同胞は強力であれど、紛れもなく非道な暴漢だった。


倒れゆく仲間を抱きかかえ、その死に涙を流して叫ぶ人々は、その思いやりは、心は、私たち魔族のそれよりも気高いものに思えた。


そして、私が放った魔法で傷ついた人間がその肌から流したのは、今腕の中で横たわる人間と同じような、真っ赤な真っ赤な血だったのだ。


同じじゃないか。

何も変わらないじゃないか。


そう思った。

そう、思ってしまった。




「さて」


パチンと手を叩く音と声で、意識が再びガスタへと向いた。

彼はじっと、黄色く濁った眼でこちらを見つめたままで口を開く。


「これからアンタを殺す、それからインラスタも殺して、ついでだからその人間も殺す」


順々に指をさして、最後に「いやもう死んでるか」と付け足して、ケタケタと笑い声をあげる。

まるでゲームか何かの手順を説明されているようだ。チェスか何かの説明を。


「やれるものなら、やってみろ」

「強気だな、だからもうアンタは魔王じゃねえんだよ!」


言葉尻。

ガスタの右腕の爪が鈍い紫色に光り、そのまま私に向けてその腕が振るわれる。槍か何かを投げるように。


槍の代わりに飛んできたのは、打ち出されたガスタの爪だ。

魔力によって強化されたそれは避ける時間を与えない速度で飛来して、私の左肩を抉り、後方の地面に突き刺さった。


痛みにうめき、衝撃でよろける。


ほらな、とガスタがまた笑う。


「次は脳天を打ち抜くぞ、防げるもんなら防いでみろ、じゃなきゃこれで終わりだ!!」


次弾を放とうとガスタが構えに入る。


トドメの一撃。


そう思っているのは、お前だけだ!


私はガスタが魔法を放つより数瞬早く魔法を放った。

ルナに貰った時間を無駄にはできないと込めた魔力を、片手に、一点に集約して放った一撃。

1つの赤黒く光る光弾。


私は、というより私の中に流れる血は、つまり種族は、ガスタのように身体の一部を弾丸代わりにできない、故に私が放ったのはエネルギー、魔力の塊だ。


文字通り渾身の魔法、それはガスタではなく、ガスタと私との間の地面に向かって閃いた。


外したわけではない。

狙いすましてた。

確かに今の私の力ではガスタを屠ることはできない。1発の魔法で倒すなど尚更だ。当たったところで雀の涙。

だからこその地面。


今必要なのは時間。

一瞬でも長い時間。


着弾までの時間が永遠のように感じられる。

チャンスは一度、一瞬だ。


胸の中で今にも息を引き取ろうとしているこの青年と、ノアがくれた時間とガスタの油断。いつでも私たちを殺せるという油断。絶対に無駄にはできない。


わずかに地面を揺らす衝撃と共に、赤黒い光弾が地面を抉り。



砂埃が視界を覆った。



ここからだ。


流れる時間がやけに遅い。自分の四肢を追い越して意識だけが加速していく。


ガスタはおそらく、この一撃がただの醜い時間稼ぎだと思っている。

だからすぐには襲ってはこない。

この砂埃が晴れるのを待って、そして「残念でした」などと言いながら私を殺すだろう。


その前に。


私には果たさなければならない事がある。


数瞬で自分の覚悟を握りしめて、私は、腕の中で眠る彼の唇、血にまみれた唇に、自らのそれを重ねた。


後悔。

無念。

謝罪。

少しの希望。


そして私の中にあるあらん限りの魔力を流し込んだ。




これは禁じられた契約魔法。


基本的に、他者へ魔力を受け渡すことはできない。できないし、そんなことをする魔族はいない。


必要がないからだ。


魔力というものは、例えば魔法で消費し尽くしたとしても、睡眠などで身体を休めれば体力と共に回復する。

例えば戦いの最中で魔力が切れたとして、離脱して休めば回復するし、何よりこの魔法は魔力の譲渡。

渡した魔力は、譲渡側から削られていく。


そしてその魔力は『渡された側のモノ』となり半永久的に、具体的に言えば渡された側が死なない限り『渡した側』に返ってくることがない。


つまり100の魔力から20を受け渡せば80になり、以後100に戻ることはないのだ。ずっと80のまま。


そんな魔法、誰が使うだろうか。


けれど私は使っている。


残った魔力が0になるまで、魔力を持たない身体になろうとも、その結果として生きていられるのかさえ分からないけれど、この人間へと今まさに流し込んでいる。


ちぐはぐだ。


そしてその理由は、この譲渡が持つ1つの残酷さに私が賭けたから。


あくまで私が生きてきた、ここではない『あちらの世界』でのことだが、そもそも私たち『魔族』と『人族』では身体に流れる魔力の『質』が違う。


闇と光。

陰と陽。


正反対だから、使える魔法も違ってくる。

あくまで全般的にという話だが、魔族が魔力を攻撃に変えるのが得意なのに対して、人族は魔力を防御や回復に変えるのが得意なのだ。


全てが逆。

私たちの魔力は反発しあう。


そしてそれは人族に魔族の魔力を譲渡した場合のリスクを表している。


ほとんどの人族は拒否反応を起こして死亡。奇跡的に死亡しなくとも、光は闇に飲み込まれて外見は醜く変化し、性格は手のつけられない凶暴そのものとなる。

そして最後には魔力をも失い、理性を失い、人でも魔族でもない『失敗作』に成り果てる。

大昔に行われたという実験結果を記した書物にはそんなことが書かれていた。


そしてリスクの裏に隠れた可能性のことも。

おびただしい数の失敗作の中に、稀有な結果を残した者もいたのだ。


完全なカタチで陰と陽を宿し、魔力を飛躍的に向上させた存在。


私はそれに賭けた。


この死にかけの若者へと魔力を流し込み、そして拒否反応が起こらなければ、魔力によって傷は動ける程度まで癒える。


そして魔力が飛躍的に高まれば、ガスタを倒せるかもしれない。


私はそのちっぽけな可能性に賭けたのだ。


何もしなければどうせ皆殺される。

ならば。ならばそれがこの若者を利用することになっても、不幸にすることになったとしても、私は賭けた。そして注ぐ。


ひどいエゴイズムだ。




そして、私は自分の中の魔力が枯渇していくのを感じていた。

薄くなり、街灯がわずかに差し込む土煙の中にガスタの笑い声がこだまする。


もうひと絞り。


魔力と共に、身体から感覚が痺れて抜けていく。地面についた足も彼を抱く手も何もわからず、強く閉じた瞼だけに意識があって、触れ合う唇にだけ感覚が残されている気がする。


あとほんの少し。


瞼の向こうから光が差す。

煙が晴れたのかもしれない。

ガスタの甲高い笑い声は、頭痛と一緒に頭の中に響いている。


ふわりと、身体が浮く感覚があった。


気付けば私は彼に添い寝するように、地面に伏せていた。全身が痺れて頭も回らない。ただ荒く息をすることさえも億劫だった。


0だ。

もうこれっぽっちも残っていない。


触れ合う感触がわずかに残る彼の身体は、すでに冷たく冷えきっていた。失敗したのか。


そういえば。

初めての口づけだった。


おそらく人生最後に浮かんだ考えは、そんなくだらないことだった。











どくん。


耳をつんざき、身体を震わせるような、大きな大きな鼓動が響いた。










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