第134話 フリギア再び

 ジルは野営地からフリギアの高い城壁を眺めていた。つい一年ほど前までは、城壁の内側に居て都市を統治していた。だが、あの忌まわしい帝国の侵攻によって、都市を放棄しなければならなくなった。帝国の通常戦力だけなら十分守りきることが出来ただろうが、帝国にはデビル・ガスパールという存在があった。対抗する術もなく、退くしかなかったのだ。


「もう一度攻め手としてフリギアを見ることになろうとはな」

 ジルの隣で、真紅の鎧を着た美女が悔しげに表情を歪めていた。王弟に対する口調としては、ややぞんざいな感があった。


「そうですね……前回は無抵抗に逃げることしか出来ませんでしたが、今回は敵に楽をさせることはないでしょう」

「全てはお前と聖女殿の魔法にかかっている。大丈夫なんだろうな?」


 女騎士はアムネシアという。第二方面軍の司令官であり、歴戦の勇士である。かつてジルはアムネシア付きの上級魔術師を務めていた。つまりはかつての上司というわけである。


「訓練では上手くいきました。あとは本番で訓練通りに実行できることを願うのみです」

「それこそイシス頼み、ということか」


 ふふっ、とアムネシアが皮肉混じりに笑みを浮かべた。ジルと聖女シーリスが使う魔法は、ガスパールに対抗するために女神イシスを召喚するものである。まさにイシスが彼らの生死を握っていると言えた。


「実践では召喚まで順調にいくとは限りません。我々をちゃんと守ってくださいよ」

「ああ、戦いの鍵はお前たちが握っているんだ。言われなくても守ってやるさ」


 作戦では、召喚魔法を唱える間は付近一帯を軍が守り、敵を寄せ付けないようにすることになっているのだ。


「それと女神イシスはあくまでガスパールへの対抗手段に過ぎません。フリギア自体は軍に占領していただかなくては」

「分かっている。悪魔さえいなければ、帝国軍など何も恐れることもない。バレスの奴も今ごろ武者震いしているだろうさ」


 アムネシアの副司令官バレスは、「狂戦士」の名が示す通り戦いでは常に先駆けを務めてきた。彼自身も前回のフリギア失陥の雪辱を晴らしたいと思っているだろう。ジルは気の良い兄のようなバレスのことが好きだった。


「ところで、新しい上級魔術師とは上手くやっているんですか?」

 ジルが第二方面軍を離れたことで、彼女のもとには新たな上級魔術師が派遣されているはずだ。アムネシアは部下の好みにうるさいところがある。ジルは彼女と極めて上手くいっていたのだが、これは大変珍しい例らしい。


「まぁな。始めの一人は宮廷に送り返したが、二人目はまあ我慢出来る。お前に比べれば気が利かぬ奴だがな」

 ジルは思わず苦笑した。わずかの間にすでに一人辞めさせたというのは笑うしかない。


 ジルはアムネシアとのちょっとした会話を楽しんでいた。極度の緊張の下に置かれたジルにとって、それは必要なことなのだ。


 ****


「母上、戦いが始まったら私の側を決して離れないでください。我々が長時間の召喚の儀式をするためには、付近を軍が制圧していなければなりません。軍がフリギアを攻め、安全な場所を確保してからが我々の出番です」


「分かりました。イシスの召喚までは全てあなたの指示にしたがいましょう」

 聖女シーリスが大人しくジルに従った。シーリスは癒し手として戦いに従軍した経験もあるが、戦に慣れているとは言えない。戦場の雰囲気に、表情をこわばらせているのも仕方がないことだろう。


 カーン、カーン、カーン


 遠くで戦いの始まりを知らせる鐘が鳴り響いた。総司令官代理のアムネシアが命を下したのだろう。本来はジルの役割だが、今回はイシス召喚の儀式を行うため、全軍の指揮をとることができないためである。アムネシアなら不足はないだろう、ジルはそう信頼している。


 だが、そのように考えること自体ジルのおごりというべきだった。軍歴を考えれば、ジルよりアムネシアの方が遥かに司令官に適任なはずである。


「ついに始まったか……」


 シュバルツバルト軍は喚声をあげてフリギアの城門と城壁に取り付いた。城門には破城槌、城壁には長梯子をかけて攻撃している。帝国は王国の攻撃を予期しておらず、対応に混乱が見られた。守備が組織的に行われていないのだ。帝国はガスパールの存在によって、圧倒的な優位を確信していた。王国の方から攻めてくるはずがない、そう油断していたのだろう。


 だが、フリギアに駐留する帝国軍も精鋭であり、高い城壁という地の利もある。すぐに態勢を整えてくるに違いない。


「フリギアに帝国の大魔導師がいれば、いずれ例の悪魔が出てくるでしょうな」


 イシス召喚の間も、アルメイダはジルの警護にあたる。彼はガスパールのことを話に聞くだけで、実際に見たことはない。剣の通じる相手であれば恐れるものではないが、神や悪魔ともなれば話は別だ。護衛として任務を果たせるか疑問である。


「必ず居るはずです。帝国の狙いは王国領への進攻のはず。フリギアは最前線なのですから」

 ジルはザービアックがフリギアに駐留していると確信していた。王国に進攻するとすれば、フリギアから出撃するのが最も有効である。かの大魔導師がその戦術的な優位を捨てるとは思えなかった。


 王国軍は城壁にとりついていたが一進一退が続いていた。やはり都市の城壁は容易には攻略できないものだ。帝国軍の対応も早い。


「このままでは攻略に時間がかかるでしょう。王国の方が兵力は多いが、城門を破れねばそれを活かすことはできますまい」

「そうですね」

 アルメイダの言葉にジルが同意する。


「でも、そろそろ状況が変わるでしょう。ついにあの方の出番かな」


 ジルはある男の顔を思い浮かべていた。王兄にして火砲隊長の男。こんな展開でこそ、彼の力が発揮されるはずであった。

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