第74話 エルフの森

 ジルはルーンカレッジでのヒアリングを終え、フリギアの現状をおおよそ把握した。帝国によって軍事色の強い支配が続いていること、それに市民が不満を持ち始めていることなど。その市民の不満をあおり反乱を誘発することは、十分可能であると思われた。


 まずは何をするにしても、レジスタンスの中心になっているというガストンに一度会って話を聞かなければなるまい。だが、現状でフリギアに潜入するのは容易なことではない。仮にフライで空から侵入したとしても、街の至る所に警備兵が配置されているとのこと、見つかるリスクが高いのだ。それをクリアする最も良い方法は、ミリエルが使っていたインビジブルを使うことである。


 だが、インビジブルはエルフにのみに伝わる忘れられた魔法であり、しかも術者個人にしか効果が及ばない。それゆえジルが透明化したければ、自分でこの魔法を習得するしかないのだ。


 実はミリエルの詠唱を真似して、ジルは自分なりに研究してみたのだがどうしても上手く行かなかった。呪文がどこかで間違っているのか、詠唱の動作になにか問題があるのかもしれない。ジルはもう一度、ミリエルにこの魔法を教えてくれるよう頼むつもりだった。


 ミリエルは一ヶ月ほど前、人間の協力者を作るためにジルの任務に協力した。そしてエルンスト=シュライヒャーの確保に成功した後、「エルフの森」に帰ったのだ。つまりインビジブルを教えてもらうためには、まずミリエルのいる「エルフの森」を訪れなければならない。


 かつて、人とともに大陸各地に住んでいたエルフは、行動範囲を拡大する人間たちに追いやられていった。魔物とは違い人間とある程度の交流をすることはあっても、性格や文化の面で相容れないエルフと人間は、共存することが出来なかったのである。駆逐されたエルフにとって、最後にたどり着いた楽園がシュバルツバルトの南西に位置する「エルフの森」なのである。


 これらの事実は、古文書や伝承でしか確認できない遥か昔の話であった。現在の人間にとって、エルフは伝説上の存在であり、エルフを見たことのある者などほぼ居ないと言って良い。


 人間の中で「エルフの森」を訪れた者も居ないだろう。たとえ居たとしても、エルフたちがその人間をそのまま帰すことはまずありえない。エルフたちは人間を非常に警戒し、「エルフの森」について知られることを極度に恐れているからである。それゆえ、人間にとってもこの「エルフの森」は、帝国にある「魔獣の森」と同じように魔境的存在として恐れられ、あえて近づくものなどいないのである。


 ジルは任務のため、また自分の知的好奇心のため、エルフの森を訪れようと決意した。上級魔術師であるジルは、王国内の馬車を自由に使うことが出来るので、まずエルフの森から一番近い街ダースまで馬車で移動した。そしてダースからエルフの森は歩けばおよそ5日の距離だが、フライならわずかな距離である。ジルは危険を避けるためにも、ダースから森まではフライで移動した。


 ジルは、あらかじめミリエルから教えてもらっていた森の入口に降り立った。無論自然の森なのだから、いたるところから森に入ることはできる。しかし、この正規の入り口以外から森に入った場合、敵としてエルフたちから攻撃を受け、侵入者は手痛いしっぺ返しをくらう。もしエルフの森に来ることがあれば、入り口にいるエルフに彼女の名前を伝えるようミリエルは忠告してくれたのだ。


 エルフの森は広大な面積を誇り、誰もその正確な広さは知らない。とにかく見渡す限り大森林が広がっているのである。中は木々が鬱蒼と覆い重なり、日差しが入らず薄暗い。人間たちは、遠くから森を眺めることはあっても、中へ入った者など居ないのだ。


 ミリエルからあらかじめ情報を聞いていたジルも、この森に足を踏み入れるのにためらいがあった。彼女と知り合いだからといって、それが命の保証になるわけではない。もし彼女が居なければどうなるのか……。


 だが、ジルは意を決してエルフの森へと足を踏み入れた。かすかに草が踏み分けられた道らしきものがあるが、日があまり入らないため視界が悪く、下手をすれば森の中で迷いそうだった。森を入って5分ほど、目の前に巨大な木がそびえ立っていた。周囲の木も、他の地域に比べれば大木といって良いのだが、その木は格別に大きな木であり、なにやら神聖な雰囲気さえ漂っていた。ジルがそのあまりの大きさに感銘を受け、見上げていたところ――


 ヒュンっ!


 ジルの近くの地面に矢が突き刺さった。誰かがジルに対して矢を放ったのである。


「何者だっ! ここは旅人が足を踏み入れて良い場所ではない! もし明確な理由なく立ち入ったのであれば、悪いが命をもらうぞ」


 声は周囲の森から聞こえてきた。恐らく森の木々にまぎれつつ、ジルをいつでも射殺せるよう狙っているのだろう。気配を上手く殺していて、場所を特定するのは難しい。優秀なレンジャーなのだろう。


「私の名前は、ジルフォニア=アンブローズ! 君たちエルフの長老の娘でミリエルという女性がいるだろう? 私は彼女の友人だ! 彼女に私が来たことを伝えてほしい」


 あたりは静まり返った。かすかに複数のエルフがひそひそ声で話すのが聞こえる。ジルへの対応について話し合っているのだろう。


「分かった、人間よ。ミリエルに確認をとるから、そこでしばし待て」


 ジルは容易には説得できないだろうと思っていが、意外にも話がスムーズに通じた。ミリエルがあらかじめジルのことを伝えていたのかもしれない。


(ミリエルが知らないと言ったら、ただでは済まないだろうな。その場合ほぼ確実に死ぬことになるだろうが……)


 そんな縁起でもないことをジルが考えていると、大木の向こうから数人のエルフが姿を現した。そのうちの一人がミリエルであるのを見て、ジルは密かに胸をなでおろした。ミリエルが自分を見捨てるわけはない、そう確信にも似た信頼を持っていたのである。


「ジルっ! よくこんな所まで来たわね」


 ミリエルは意外な客人を迎え、興奮しているようだった。


「久しぶりだな、ミリエル。元気だったか?」


「ええ、とくに変わりはないわよ。でも単に私に会いに来たわけじゃないんでしょう?」


 ミリエルはこの男がそんな軽い男でないことを知っていた。それはそれで魅力なのだが、寂しくもある。


「いや、お前に会いに来たんだ」


「えっ?」


 ミリエルは他にエルフがいるのを忘れ、顔を赤く染めた。どうにもこの男の言動によって、いつも自分の心は揺り動かされてしまう、そうミリエルは心の中で思った。


「実はお前に頼みたいことがあってな」


「……なんだ、そういうことか」


 ミリエルは期待を裏切られた格好になったが、そう気を悪くしたわけでもない。とにかくも、自分を頼って遠くから来てくれたのだから悪い気はしない。


 ジルはミリエルの横に並んでいるエルフたちの姿を一人づつ眺めた。ミリエルの他に4人のエルフがいた。


「ジル、紹介するね。まず、私の右側に居るのが私の父で、エルフの長老の一人よ」


 ミリエルに紹介され、貫禄ある男性のエルフが口を開いた。


「ミリエルの父親のオルドラスだ。君の噂はミリエルからかねがね聞いているよ。まずは娘の命を救ってくれたことに礼を言いたい。ありがとう。よくこの森まで来てくれた」


 ジルの見るところ、オルドラスは非常に理知的な壮年の男で、長老と呼ばれるに十分な貫禄を備えていた。このオルドラスこそ、ミリエルにジルとの接触をうながした人物である。それゆえ、ジルに悪い印象を持っているということはないだろう。


「お初にお目にかかります、オルドラスさま。エルフの礼儀にはうといものでどうすれば良いか分かりませんが、ご無礼はお許しを」


 ジルはひとまず王国流に片膝をついて頭を下げた。


「ジルフォニア君、立ちたまえ。我々エルフには、人間のような儀礼はない。それに私は一応長老でまとめ役だが、エルフには身分の上下というのもあまり無いのだ。我々は数百年を生きる。その間固定した身分や階級などがあれば、窮屈に過ぎよう」


 オルドラスの言葉に従い、ジルは立ち上がってその言葉を聞いていた。この短い会話からも、現在の人間が持ち合わせていないエルフに関する知識があった。そのことにジルは喜びを感じていた。


「私の横にいるこの3人は、エルフの戦士、私の護衛役だ。私は必要ないと言ったのだが、どうしても着いて来るというのでな」


 エルフのうちの一人がずい、と前に出てオルドラスとジルの間に割って入る。


「当然です! オルドラス様は我々の長老、ましてこの男は人間ですぞ。そう簡単に信用などできません」


 エルフの男は人間への不審をならしていた。恐らくこれが一般的なエルフの人間に対する態度であろう。いや、彼もエルフの中では寛容な方なのかもしれない。ミリエルやオルドラスのような、人間と協力すべきと考えるエルフの方が特異なのに違いない。


「前にも言ったろう。エルフが生き延びていくためには、人間とある程度協調していかなければならない。彼は現在その第一歩になる存在なのだ。敬意を払いたまえ」


 長老であるオルドラスの言葉に、比較的若いエルフは不承不承といった感じで従った。


「さあ、君を我々の住居へ案内しよう。もっとも、行動の自由は与えられないがそれは許してくれたまえ」


 ジルの周囲を3人のエルフの戦士が囲みつつ、森の奥へと入って行った。

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