第75話 エルフとの交渉

 ジルはオルドラスらに連れられて森の奥へと案内された。20分ほど歩くと、エルフの村が現れた。木で作られた家が数十戸集まっている集落である。その中で、ジルは周囲の家よりも大きな家に通された。


「ジル、ここが私の家よ」


 自分はエルフの家に入った初めての人間ではないか、そう思いながらジルは家の中を見渡した。人間の貴族の邸宅に比べれば質素であるが、木の素材を活かした家はある種の高貴さを感じさせる。絵画などは飾られていないが、タペストリーのような織物が掛けられていたりして意外に装飾性も高い。


「さあ、そこに座って」


 ジルが言われた場所に座ると、向かい側にミリエルとオルドラスが着席した。相変わらず護衛の戦士が左右に控えているが、邪魔はしないように一歩引いた場所に立っている。


「それで、今日我々の森を訪ねて来た目的は何かね?」


 オルドラスがわずかに笑みをたたえながらジルに質問した。ミリエルの件もあってオルドラスはジルに好意的のようだが、周囲には他のエルフもいる。迂闊な答えはできないだろう。


「実はいま私がついている任務を達成するためには、インビジブルの魔法がどうしても必要なのです。それでミリエルに教えてもらいたいと思って参りました」


「ほう、我々エルフの魔法を習得したいというのかね……」


 オルドラスは急に難しい顔になって考えこんだ。もともとジルに好意を抱いていない護衛たちは、露骨に嫌悪感を表情に出している。


「貴様っ! 我々が大事に伝えてきた魔法を盗もうと言うのか!」


 護衛の一人がそう言うと、他の護衛もそれに同調する。


「人間の君には分からないかもしれないが、我々は古代より伝えられてきた知識を大切に守ってきた。人間に長きに渡って迫害されてきた我々としては、その知識をこれまで決して人間には教えて来なかったのだ。ミリエルの命を救ってくれたとはいえ、君の頼みを聞くのは難しいと言わざるを得ないな。私はともかくとして、他の長老たちが納得しないだろう」


 オルドラスの話によれば、エルフの長老は彼を含めて5人おり、エルフ全体に影響を与えるような問題については、その合議によって決されるという。彼一人が賛同しても、少なくとも他に2人が賛同しないかぎり否決されるということだ。


「私はいま、シュバルツバルトの上級魔術師の地位についています。自分で言うのもなんですが、15歳で上級魔術師というのは例がないそうです。このまま手柄を立てていけば、いずれ魔導師、そして大魔導師を狙うことも出来るでしょう。そうなれば、私はシュバルツバルトの国政に影響を与えることができるようになります。その私がエルフに恩義を感じているか否か、それはエルフにとって重要なことだと御考えになりませんか?」


 ジルはまずエルフにとってのメリットを説いた。魔導師や大魔導師になるという、やや自分に都合の良い仮定をしたが、現在の身分を考えれば可能性は決して低くない。ジルは自分を見込んで投資をしろ、そう言ったのだ。これは、人間への不審感が根強いエルフに好意的な対応を求めるのは難しい、彼らが進んで協力するとすれば自らの利益につながることだろう、そう考えたからである。


「ふむ……、君は将来高い地位についたとして、エルフと共存する意思があるというのかね?」


 オルドラスが核心をついた質問を投げかけてきた。ここが大事なところだ、ジルは心の中で気を引き締めた。


「わたしは人間にない知識と力を持ったエルフに学び、共存していかなければいけないと考えています。だからミリエルの命も助けたのです。エルフの敵にはなりたくないですから」


 ミリエルも含め、エルフたちはジルの言葉を真剣な顔をして聞いていた。


「ミリエルはすでに先日、私の任務に協力し、その成功に貢献してくれました。これにより、王国上層部の中には、任務の達成にエルフが関わっていることを知っている者がおります。これは今までのエルフと人間の関係には無かったことでしょう。私は、自らの力でそのような流れを築いていきたいと考えているのです」


 ジルが語り終わった後、オルドラスは何事か考えているようだった。ミリエルは心配そうに父親の横顔を見つめている。彼女はジルに協力したいのだが、それは自分の一存で決められることではない。


「……分かった、良いだろう。私から残りの4人の長老に話してみよう。もちろん色々と制限をつけさせてもらうだろうが」


「ありがとうございます! よろしくお願いします」


 ジルは交渉に成功したことを悟った。ミリエルも嬉しそうにジルに笑顔を向けている。


**


 オルドラスが帰ってくるまで、ジルはミリエルの部屋でエルフの歴史や生活、文化、そしてミリエルのこれまでのこと、などについて説明を受けていた。ジルはそれを聞きながら、ノートに書き写す。もちろんそれは許可無く公開しない、という条件の下でだ。


 ミリエルによれば、エルフの森にいるエルフは約2000人、この村を含めて幾つかの村に分散して住んでいる。これは迫害された経験から、何かが起こっても、できるだけ多くの生存者を確保するためだという。もちろんエルフも自衛手段は整えており、森の至るところに魔法で罠がしかけられ、エルフでない者が森に入ることはほとんど不可能だという。


 これまでシュバルツバルトがこの森に手を出さなかったのは、こうした罠による犠牲が大きくなるということもあるが、エルフが特段害になるようなことはないこと、なによりこの森を手に入れても人間にとって大したメリットがないからだろう。森にはせいぜい珍しくもない木材ぐらいしかないからだ。


 ミリエルは、このエルフの森の長老の娘として生まれた。現在39歳、エルフの中ではかなり若い部類だという。エルフは人間よりも繁殖力が弱く、子どもが生まれることは稀だ。父が長老であることから、相応の敬意が払われることもあるが、一般にエルフは両親の身分で評価されることはない。オルドラスが長老となったのも、世襲せしゅうではなくそれまでの評価や経験から指名されたのだ。


 5人の長老は、誰かが死に欠員が出来た時に補充される。寿命が長いエルフのこと、長老の交代は非常に稀だ。現在の5人の長老は、すでに100年入れ替わりがないという。


 エルフのなかで、オルドラスは開明派として知られている。長きエルフの伝統は守りつつも、将来に備えて人間と交流を持つべきだと考えている。そしてエルフに対する協力者を作り、エルフの生活を守ろうというのだ。ジルを利用しようとしていたのも、その一環である。


 ミリエルも父親の影響からか、自然と人間との共存を図る開明派の一人になっていた。彼女は自ら森の外で活動することを希望した。確かに森の外は危険だが、ミリエルにとっては刺激にあふれる場所であった。大抵の人間は野蛮であるが、それは始めから分かっていることだ。そういうものだと分かって接すれば、意外に気にもならない。


 彼女は人間界で活動する時、帽子やフードをかぶり長い耳を隠す。こうすればエルフだと気づかれることはほぼないらしい。そもそも人間は、エルフが身近に存在するなどとは思ってもいないからだ。他のエルフとは違い、ミリエルは人間の街を歩き、買い物をし、人と話すことを楽しんでいる。ミリエルがそのようなエルフでなければ、ジルが王宮で捕縛した際にいくら命を助けようとしたとしても、従うことはなかっただろう。


**


 オルドラスが帰ってきたのは3時間後のことであった。父親の表情で、ミリエルは長老たちの説得が上手くいったことが分かった。


「ジルフォニア君、いま他の長老たちと話してきた。条件つきで君に我々の魔法を学ぶことを許可しよう」


「良かったじゃない、ジル!」


 ジルもほっと胸をなでおろした。この交渉が上手くいかなければ、最悪任務の失敗を覚悟しなければならない。そしてガストンに事の真相を確かめることも出来ないかもしれないのだ。


 実際、長老たちの反応は良くなかったという。得体の知れない人間に彼らの知識を伝授するというのだ、反対するのも無理は無い。だがオルドラスが熱心にエルフにとっての利益を説き、最後は彼が責任を持つということで納得したらしい。


「それで条件というのは?」


「条件は2つある。まず魔法を使うことが出来るのは君一人だけだ。決して他人に教えてはならない。君は信用できるが、他の人間はそうではない。我々が認めていない人間に魔法が伝わっては困るのだ。2つ目は、その魔法がエルフの魔法であることを口外しないということだ。もしエルフの魔法であることが分かってしまうと、それを目的に我々の森へ侵入する者が現れるかもしれないからな」


 ジルは深く頷いた。エルフの要求はもっともなことだ。エルフの魔法が人間たちの間に際限なく広まっていけば、魔法におけるエルフの優位性が失われることになりかねない。また魔法に強い関心を持つ人間の中には、エルフの魔法を力づくで奪おうとする者が出てくるかもしれない。


「分かりました。私もエルフを危機に陥れるのは本意ではありません。絶対に迷惑にならないよう配慮することを誓います」


「うむ」


 ジルの言葉に、オルドラスも強く頷いた。もともと彼は娘の命を救ってくれたジルを信用している。そしてエルフのため、ジルを上手く利用しようとも考えている。相互に利益のある関係である。


「魔法に関しては、ミリエルから習うといい。ミリエル良いな?」


「ええ、まかせて!」


 ミリエルは嬉しそうにそう返事した。またジルと二人で何かが出来る、それが楽しくて仕方がないのだ。

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