第73話 ルーンカレッジでの再会

 ジルはフリギアでの任務の前に、王都ロゴスを訪れていた。それまでフリギアにいたルーンカレッジの関係者から、情報を聞き出すためである。


 疎開してきたルーンカレッジは、王宮近くの王立学校の校舎に間借りしていた。教職員、学生の多くはそのまま残っていたが、帝国やバルダニアの出身者の中には、本国に帰った者もいる。例えばバルダニアの魔導師(上から2つめの階級)であるロクサーヌは、中立のフリギアであればこそ教鞭をとることができていた。だがカレッジがシュバルツバルトの保護下にある今、それもできなくなった。彼女は、カレッジを去りバルダニアの魔導師に専念することになったのだ。


 ジルはまず学園長のデミトリオスと面会した。


「学園長、お久しぶりです。ジルフォニア=アンブローズです」


「ジルフォニア君か。随分久しぶりな気がするの。今ではシュバルツバルトの上級魔術師じゃったな」


「ええ、カレッジの卒業資格も出していただきましたし」


 ロゴスの王立学校に間借りしているカレッジは、学生の数を絞るため、苦肉の策として上級クラスの学生たちに異例ながら卒業資格を与えた。実際のところ、上級クラスにもなるとそれ以上伸び悩む学生も多くなり、卒業まで無為に過ごす学生も少なくない。また、上級クラスに上がってさらに進歩できる学生であれば、自分自身で研鑽を積むことにより向上することができるはずだ、というのが建前である。


「君は我が校始まって以来の天才、当然じゃな。ロクサーヌ先生が居なくなったことは知ってるかな? 仕方のない事情とはいえ、惜しい魔術師を失ったものじゃ……。それで実は君に頼みたいことがあってな」


「どのようなことでしょうか?」


「実は我が校では、ロクサーヌ先生の他にも、幾人かの先生が辞められてな。現在、実戦経験のある教員が不足しているのじゃ。そこで、君に教員になってもらいたい」


「えっ、私が教員にですか?」


 ジルはフリギアに関する聞き取り調査に来たのだが、講師としてスカウトされるとは思ってもみなかった。


「そうだ。もちろんロクサーヌ先生がそうであったように、宮廷魔術師が優先で、空いている時に講義を担当するということで良い。短期間の集中講義もあるでな。君もこれから、部下を指導する力が必要になってくるはずだ。教育に携わるというのは良い経験になるのではないかな?」


「……少々考えさせて下さい。お引き受けするにしても、王国に相談しないといけないでしょうから」


 ロクサーヌの場合、バルダニアが彼女を講師として派遣していたのは、それなりのメリットがあるからである。中立都市のフリギアには、大陸各地から情報と人が集まる。バルダニアはロクサーヌを通して、合法的に情報収集することができるのである。


 しかし今回の場合、カレッジはシュバルツバルトの保護下にあるのだから、そのようなメリットは期待できない。ただ、シュバルツバルトとしては、宮廷魔術師を講師として派遣することにより、ルーンカレッジを支援するという姿勢を明確にアピールすることができる。したがってジルをカレッジの講師とすることに必ずしも反対ではないはずだ。


「それで学園長、今日おうかがいしたのは、フリギアの現状を教えていただくためです」


 ジルは本題に入ることにした。


「それは任務で、ということかね?」


「そうです。帝国はフリギアを占領してから情報を統制しており、こちらへはなかなかフリギアの情報が入ってきません。帝国に対して戦略を立てる参考にしたいのです」


「ふむ……。君もご苦労なことじゃな……」


 デミトリオスは口に出しては言わないが、おおよその事情を察したようである。王国がフリギアを対帝国戦略の一環に組み込もうとしていることに。


「フリギアを占領した帝国軍は、ガイスハルト将軍麾下の第二軍団約一万じゃ。フリギア占領の経過を見ても、あらかじめ十分に準備していたようじゃな。いやに手際が良かったわい」


「やはり……」


 シュバルツバルトのシュライヒャー領の併合をみてフリギア進攻を決めたのなら、帝国の進攻はもっと遅かったはずだ。ほぼ同じタイミングでフリギアに進攻したということは、前々から準備をしていたことになる。ならばその意図はどこにあるのだろうか、ジルは思考を巡らせていた。


「長く自治が許されていたことから、フリギアの方にも油断があったようじゃな。帝国の進攻にほとんど抵抗できなかった。評議長ダミアンほか、評議会のメンバーはみな帝国軍によって拘束されたようじゃ」


 自治を行うフリギアでは、商人や職人のギルド長などによる評議会が最高意思決定機関である。この評議会での投票によって選ばれたフリギアの代表が評議長である。


「現在はガイスハルト将軍がフリギアを軍事管制下においておる。占領当初はやはり軍と市民の衝突などの混乱があったが、その後は比較的平穏じゃった。恐怖の下での話だがな。ガイスハルトは純粋な軍人タイプの人間じゃ。フリギアの占領統治は軍事力を背景にした力づくのもの、不満を感じる市民を増えてきとる。以前のフリギアは自由じゃったからな……」


 フリギアは表面上平穏だが、その裏で帝国への不満が高まり、反乱が起こる下地があるということか、そうジルは感じた。


「ところで、どうやって帝国占領下の中で脱出できたんですか? いまでも警備は相当に厳しいはずですが」


「ふぉっふぉ、ワシらは魔術師じゃぞ。かつては大魔導師じゃったこともある。ふむ……、君ならば教えておいてもいいじゃろう。これからシュバルツバルトの世話になることだしな。ルーンカレッジの地下には、外部への転移施設があるのじゃ」


「転移施設? そんなものが……」


「転移施設は特定の呪文を唱えなければ起動できない。だから悪用されることはない。この事を知っているのはワシらと君だけじゃ。何かの役に立つかもしれんて、心に留めておくと良いじゃろう」


 デミトリオスからの聞き取りを終え、ジルはその後教員のマリウスやサイファー、イレイユからも聞き取りをした。そして――


「先輩っ!」


「レニ!!」


 授業の終わった教室から出てきたレニは、ジルを目にするとその胸の中に飛び込んだ。どちらも何も言わず、何も語らない。しばらくの間、二人は抱き合っていた。やがてジルがレニを優しく引き離した。


「大変な目にあったな」


「はい……、突然のことでした」


「ずっと心配していたんだ。こちらからフリギアに行く方法も無かったし、連絡のとりようがなかった。とにかく無事で良かった……」


「……」


 レニは久しぶりにジルに会った思いを言葉にできないでいた。


「帝国が進攻してきた時、何をしていたんだ?」


「カレッジで授業を受けていました。警報の鐘がなったんですけど、誰も何が起きたのか分かりませんでした。そこに武装した兵士がやってきて……」


 レニは説明しながら、その時の恐怖を思い出したようだった。腕を組みながら、その腕がやや震えているのが見えた。


「フリギアに居た時、街に出たことはあるか?」


「怖いのであまりカレッジを出なかったんですが、物を買うためには街に出なければならないので何度か行きました」


「街の雰囲気はどうだった? 街の人々は帝国をどう思っているんだ?」


「街の至る所に帝国の兵士が立っていて、住民を見張っていました。みな怖がっていて、緊張した雰囲気でした」


 レニは買い物で街を歩いた程度で、そこまで深く街の住人と交流したわけではない。やはり詳しい話は、ガストンと直接あって聞かなければならないだろう。


「お父上は帝国との戦いでご活躍だな」


「ええ……。私もあれから父と会ったわけではないので、話で聞いていることしか分かりませんが。戦争となると、いつ何があるか分かりませんから心配です……」


 レニの口調には真剣な響きがあった。


「僕はいま第二方面軍の上級魔術師だ。レムオン様のバックアップをすることも任務の一つになっている。僕もできるだけお父上の手助けをするよ」


 ジルはレニの心配を打ち消すように笑顔を向けた。


「先輩も気をつけて下さい。父も心配ですが、先輩のことも同じくらい心配なんです……」


「大丈夫だ。僕はそう危ないことにはならないよ」


 だがジルの言葉が必ずしも真ではないことに、レニは気づいていた。今日ジルがカレッジに来たのは、レニを心配しての事だと自惚れることは出来なかった。ジルは帝国との戦争に関する何らかの任務を帯びているに違いないのだ。

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