第72話 フリギアでの使命
第二方面軍の中で、アムネシア直属の騎士団は通称アタナトイ(不死隊)と呼ばれている。その数500、全ての騎士が特製の分厚いフルプレートを着用し、馬にも鋼鉄の鎧を着せている。その分機動力が犠牲になるが、間違いなく王国一の防御力と破壊力を有している。
このアタナトイを中核として、近隣の村落から徴兵された兵士がおよそ2500、あわせて3000がアムネシアの直接指揮する軍団である。当然有事の際は、王都から増援が派遣されこれも彼女が指揮することになる。
彼女の指揮する部下や兵士たちは、彼女の姿を仰ぎ見ることで実力以上の力を発揮することができる。彼女の派手な格好は、そのような心理的な効果も狙っているのであろう。手にはいつも鋼鉄製の指揮棒を持ち、戦の間それをもて遊ぶのが癖になっている。自ら戦いに及ぶというよりも、巧みな用兵でこれまで実績をあげてきたのだ。
ジルはこの軍団において、上級魔術師として常にアムネシアの側にいることが任務となった。アムネシアの参謀として、彼女の相談に乗り助言をするのが役割である。もっとも、副官のバレスに言わせれば、アムネシアの身の回りの世話、おもり役ということなのだが……。
いまだ付き合いの浅いジルには分からないが、アムネシアは自分が指揮官となった場合、部下の好みにうるさいらしい。合わない人間は徹底的に合わず、その結果辞めていく者も多いようだ。その代表的な例が、前任の上級魔術師である。果たしてジルは、アムネシアの眼鏡に適うかどうか。
バレスの見る所、新しく来たジルという青年は、驚くほど第二方面軍に馴染んでいた。もっとも重要なのはアムネシアに非常に気に入られているということだ。どうやって彼女の歓心を買うことに成功したのか、バレスは教えて欲しいくらいであった。そしてバレスはほっと胸をなでおろす。大雑把な戦士である彼は、本来参謀的な役割など向いていないのだ。気を使うアムネシアの側から解放されて、彼は天にも昇る気持ちだった。これで気兼ねなく最前線で戦の指揮をとれるというものである。
「どうだ、ここの暮らしもそう悪くないだろう? 私も居るしな」
アムネシアはジルが用意した紅茶を飲みながら、そうジルに語りかけた。ジルも隣で紅茶を飲んでいる。ジルが第二方面軍に来てから一ヶ月が経っていた。
「ええ、落ち着いた王都も悪くはありませんが、前線では学べることが沢山あります。バレスさんたちも良くしてくれますしね」
ジルは、「私も」のところは聞かなかったことにした。アムネシアが口元に笑みをたたえた。
「ふふふ。ジル、お前悪くないよ。ゼノビアには悪いが……」
「?」
アムネシアはさすがに口に出すのをやめた。時間はたっぷりある、急ぐことはないのだ。
「ところで、なかなか良いローブを着ているな? とくに
ジルは人目を引く見事なローブを着ていた。黒を基調とし、金糸とエメラルド色の繊細な刺繍が施されたものである。
「これは先の任務の褒美として、上級魔術師の地位とともに国王からいただいたものです」
「ほう、それは名誉なことだな。ただ美しいだけでなく、実用性も高いようだ」
「ええ、武器攻撃に対する防御力だけでなく、高い抗魔力を持っています。それで、ありがたく普段から着用することにしました」
王国はジルの功績に対して、上級魔術師の地位だけでは不足だと思ったようだ。国王の意思により、王国直属の武器工房にローブを製作させ、ジルに
「そのローブを着ていれば戦場でも安心できそうだな。お前はまだ大規模な戦闘に参加したことは無いようだが、“私”の上級魔術師になった以上、戦場でも活躍してもらうぞ」
「それは覚悟しています。初陣になるのは帝国との
「だろうな。それにしても、帝国め、なぜフリギアに進攻したのだろうな。それさえなければ、バルダニアと手を組むこともできただろうに。まあそうなったら、我々はお手上げだったわけだが」
アムネシアは一月前の出来事を持ちだした。シュバルツバルトと帝国は戦争となったが、もともとシュバルツバルトと長い間戦争をしていたのはバルダニアだ。であれば、帝国が上手く交渉を運べば、シュバルツバルトに対して共同戦線を張れたはずである。そうと分かっていてシュライヒャー領を占領したシュバルツバルトも問題だが、帝国がみすみすその機会を失ったことがどうしても理解できない。
「やはりバルダニアも帝国から独立した身、
「そうかもな……。バルダニアも、何を考えているのやら」
「バルダニアとしては、わざわざ自分から積極的に動く必要はないのではないかと。シュバルツバルトと帝国が争ってくれるなら、まさに漁夫の利というやつです。両方が弱ったところを叩くも良し、片方が勝ちそうなところで手を貸すも良い。とりあえず今は静観するのがバルダニアの利益になるのではないですか」
「とはいえ……、我々は帝国に進攻するにしても、バルダニアの動きに細心の注意を払わねばならんのだ。そしてそれが我々の役目という。なんと面倒なことだ」
アムネシアがやれやれといった感じで溜息をつく。
コン、コン
執務室のドアがノックされた。ジルが対応のために出る。
「アムネシア様、王都より書状が来たようです」
アムネシアは今までのだらしない態度を改め、背筋を伸ばした。
「うむ、これへ」
アムネシアは書状に眼を通すと、思慮深げな顔になった。目の前に立つジルを上目遣いに見上げる。
「ジル、お前ルーンカレッジの出身だったよな?」
「ええ。書状に何か書かれているのですか!?」
「うむ……。ルーンカレッジの関係者がフリギアを脱出して、ロゴスへと疎開してくるそうだ」
普段それほど表情を変えないジルであったが、この時は表情に嬉しさが表われていた。ルーンカレッジについては、帝国による占領以来、何も情報が伝わって来ていなかったのである。
「みな無事なのでしょうか?」
「お前の知る一人一人の人物については分からぬな。多くの者は無事のようだが……」
書状に個々人の詳細な情報がないのは、無理も無いことである。
「王国はルーンカレッジをバックアップし、ロゴスで再興させるらしい」
「ロゴスで? ルーンカレッジが中立的な立場ではなくなるということですか?」
「このような状況ではやむを得ないのだろうな。カレッジの関係者としても、魔術師を養成するという社会的使命を果たす上で、いまはシュバルツバルトの手を借りることが必要だと考えたのだろう。学院長のデミトリオスが王国の大魔導師だったという関係もあったようだ」
ルーンカレッジの学園長デミトリオスは、シュバルツバルトの先々代の国王に大魔導師として仕えていた。大魔導師としての実力、識見ともに申し分なかったが、王に対しても
「王国にも利があるということですね。魔術師を充実させることができるなどの」
「それはそうだろうな。王国も慈善でやるわけではない。ルーンカレッジを保護することにより、正当性を強化する狙いもあるのではないか?」
国際的に名高いルーンカレッジを保護する、これは帝国との争いにおいて各国の印象を良くし、道義的に優位に立つのに役立つだろう。
「それでだな……、この書状で我々第二方面軍にフリギアでの任務が与えられた」
「フリギアでですか……?」
ジルは嫌な予感がした。恐らく気が進まない任務になるのではないか。
「そうだ。いまフリギアでは、帝国に対するレジスタンスの地下活動が進められている。彼らに協力し、支援しろとの命だ」
「……帝国を弱体化させ、レムオン様を援護しろということですね?」
「ああ、お前には辛いことだろうがな」
シュバルツバルトは、自国の利益のため帝国に混乱をもたらそうとしている。フリギアの抵抗運動を支援するというのは、その結果フリギアの人々が犠牲なることを意味するのだ。レジスタンスなどというものを組織すれば、死人が出るのは当然だ。もともとフリギアで暮らしていたジルにとって、それは辛い事に違いない、アムネシアはそう思ったのである。
「ガストン=ラルという男を知っているか?」
「!?」
驚きでジルの眼が大きく見開かれた。ここで彼の名前を聞くとは思わなかったのだ。
「親友です! ルーンカレッジでルームメイトでした!」
「そうか……。フリギアの抵抗運動の中心は彼だということだぞ。名目上は交易商人のロンバルトという男が組織の長ということだが、実際に活動を取り仕切っているのはガストン=ラルらしい」
アムネシアの説明を聞きながら、ジルはガストンのことを考えていた。なぜ皆と一緒にロゴスへ疎開しなかったのか? いや、それは分かっている。ガストンの実家はフリギアで魔法塾を営んでいるのだ。両親を放置して一人ロゴスへ来ることが出来なかったのだろう。
分からないのは、あのおちゃらけたガストンがレジスタンスなどという運動に加わり、しかもその中心になっているということである。ガストンとは2年間ルームメイトとして付き合ってきたが、ジルは親友の新たな一面を知ったような気がした。
「我が軍は王国の命に従い、このガストン=ラルの活動を支援しなければならない。その工作は、ジル。お前に中心になってもらうぞ」
「!?」
「なにしろ我が軍は、戦をするのは良いが、こうした裏工作ができる人間がいない。それにお前はガストンとは親友だというしな。冷たいようだがお前が一番相応しいのだ」
「ですが……」
「辛いのは分かる。この工作の行き着く先は、お前の親友の命を危うくすることだ。だが、お前は王国に仕える宮廷魔術師だ。時に肉親であろうと切り捨てなければならないことがある。どうだ、やってみせるか?」
アムネシアの言は無情なようだが、
アムネシアとジルの間に、しばし沈黙が流れた。アムネシアはジルの視線から逃げず、堂々と正面から受け止めている。
「分かりました。個人的にもガストンに会い、真相を確かめたいところです。さっそく今日から任務にとりかかります」
「そうか……」
アムネシアはジルの肩をポンっと叩き、それ以降口を開くことはなかった。
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