第70話 新たな任務

 まだ若い青年が、シュバルツバルトの王宮の中を歩いていた。繊細な刺繍が施された見事なローブを着ている。綺麗な銀髪、切れ長のアイスブルーの目をしたかなりの美形である。


 彼はいま謁見の間へと向かっていた。国王より呼びだされているのだ。理由は新たな配属先の任命であることは分かっている。青年は衛兵の間を通り、謁見の間へと入った。


「ジルフォニア=アンブローズ殿、お越しにござりまする!」


 侍臣がジルの到着を大声で知らせた。ジルは慣れた様子で、玉座の前まで歩いて行く。その姿は堂々としたものである。そして王の前で片膝をつき、礼をする。


「ジルフォニア=アンブローズ、まかり越しました」


 ジルは深々と頭を下げた。そして王の呼びかけを待つ。


「うむ、面を上げよ」


「ははっ」


 ジルが片膝をついたまま、まっすぐに王を見つめる。王はジルのこの眼を見るのが好きだった。なにやら野望に燃えた若き頃の自分を思い出すからである。


「上級魔術師に任じてから、一月ひとつきが経ったか。もう生活には慣れたか?」


「はっ、私のような者にお気遣いありがとうございます。宮廷魔術師として、ようやく慣れてまいりました」


 いまから約一ヶ月前、ジルはエルンスト=シュライヒャーの身柄を引き取る任務につき、帝国側と戦闘に及び、エルンストを確保してロゴスに帰還した。その功績とアルネラを二度に渡って救った功績を合わせ、王国はジルを正式に上級魔術師に任命したのである。


「ふぉっふぉ、それは良かった。さて、新たな任務については、ユベールから聞くが良い」


 隣に控えていたユベールが前に進み出る。


「ジルフォニア=アンブローズ、貴公に新たな命を与える。上級魔術師は前線で軍に従軍する者が多いことは知っているな? 貴公を第二方面軍のアムネシア付きの魔術師に任じる。アムネシア殿とよく協力して、帝国やバルダニアの蠢動しゅんどうを抑えて欲しい」


「ははっ。新たな命、確かに承りました」


 ジルは深く頭を下げた。これから彼は王都を出て、前線へと旅立つことになる。


 ジルが謁見の間を去った後――


「そちの申す通りにしたが、あれを外に出した方が良いと考えたのか?」


「はっ。ジルフォニア=アンブローズはまだ若い魔術師。この王宮に居るよりも、前線で多くの経験を積ませた方が良いかと」


「ふぉっふぉ、そちもあの者に期待しているのだな」

ユベールは笑みを浮かべ、頭を深く下げた。


**


 キキィーー


 アムネシア=ヴァロワはロゴスにある高級バーの扉を開けた。第二方面軍司令官のアムネシアは、公務で王都を訪れていた。明朝自分の陣営に帰還する前に、親友と酒を飲み交わす約束をしていたのである。


 扉を空けると、彼女に向けて手を振る女性がいた。彼女はその女性の存在を認め近くまで歩み寄る。


「待ったかしら? ゼノビア」


「いや、10分ほど前に来たばかりだ。早速一杯飲ませてもらってるよ」


 ゼノビアは二人席のテーブルに頬杖をついたまま、グラスに注がれたワインを飲んでいた。アムネシアはゼノビアの向かいに腰掛ける。


「私にも彼女と同じものをくれるかしら」


 アムネシアはウェイターにワインを注文する。


「それで、今度私のところに配属されてくるジルフォニア=アンブローズという少年、いやもう青年と言った方が良いかしら――どんな関係なのよ?」


 御前会議で二人を眼にした時から、アムネシアはジルとゼノビアのことが気になって仕方がなかったのだ。女の野次馬根性というものである。


「関係もなにも、ジルはアルネラ様の事件の関係者だったのだ。その後、私が帝国へ使者に赴いた時など、何かと一緒になることが多かったのよ」


「ふーん、なるほどねぇ」


 アムネシアが疑わしげな目を向けている。ゼノビアは一つ咳払いをした。


「と、とにかくだ。今回ジルはお前の第二方面軍に配属されるわけだ。宜しく面倒を見てやってくれ」


「やけに関心があるみたいじゃない?」


「ま、まあ奴にはいろいろ借りがあるんだよ。アルネラ様を救ってもらったり、任務の成功に手を貸してもらったり。正直なところ、ロゴスからジルが居なくなるのはちょっと寂しいところだ」


「へえ、あなたがねー。男に興味が無かったあなたにしては珍しいわね」


 アムネシアがニヤニヤとした笑みを浮かべている。


「変な誤解はするなよ? 奴はまだ15なんだからな」


 ゼノビアが迷惑そうな表情を浮かべて防御線を張ろうとする。


「あなた、ちょっとナヨナヨした歳下の男が好みじゃなかったかしら?」


「ふん、奴がそんなたまか。お前もジルを近くにおいて付き合ってみれば分かるさ。自分のことわりをしっかり持って生きている男だよ」


「それは楽しみね。若くていい男、それでいて人間的魅力のある男なんてそうは居ないもの」


 ゼノビアはアムネシアの話を聞きながら、ジルのことが心配になった。アムネシアは軍人や司令官として尊敬できる人物だが、女性としては若い男を誘惑しようとするところがある。潔癖なゼノビアとは違い、アムネシアは常に誰かしら男と付き合っている。


「まさかジルに手を出すつもりじゃないだろうな?」


「あら、彼とは大した関係じゃないのでしょう?」


 ゼノビアは、痛いところをつかれ、ぐっとなるのを堪える。どうやらアムネシアはジルを肴に、というよりはゼノビアをいじめて楽しんでいるようだ。


「まあ、あなたがご執心らしいから、なるべく手を出しはしないけれど。男嫌いのゼノビアが、変われば変わるものね。何がそんなに良いの?」


「……ジルと一緒に居ると、その、気持ちが良いんだよ」


 ゼノビアの言葉にアムネシアが大きく眼を見開いた。


「気持ちが良い!? もうそんなことまで……」


「ば、バカ! 妙な誤解をするな。気分が良くなるってことだ!」


「あー、驚いたわ。ゼノビアもやるものねと思ったんだけど」


 アムネシアが笑みを浮かべながら、わざとらしく手で胸をさすっている。


 ゼノビアとアムネシアは、男が同席していれば絶対にしないような話をしていた。この二人、古くからの友人である。ゼノビアとアムネシアは、軍の中で数少ない女騎士同士として交友を深め、互いの力量を認め合った仲である。

 

 ゼノビアは近衛として王を守り、アムネシアは軍団長として国を守っている。容姿が優れていることもあって、互いに騎士や兵士の中にファンも多いのだ。性格は似ているとはいえないが、不思議とウマが合う。それで酒を飲み交わす交流も、もう何年も続いている。


「冗談はさておき、そのジルって魔術師には期待しているわよ。私のところも、いま大変な状況なんだから役に立ってもらわなければ困るわ」


 アムネシアの顔から笑みが消えていた。レムオンがシュライヒャー領を占領して対帝国の前線に立ってから、アムネシアの第二方面軍は後方からレムオンをバックアップするとともに、バルダニアの動きに対しても備えなければならないという難しい役どころになっていた。


「おいおい。まだ若い魔術師にそこまで求めないといけないような状況なのか?」


 ゼノビアが眉をひそめた。15才の新任の魔術師にいきなり役に立てというのも酷な話である。


「これがね、役に立つ参謀がいないのよ。脳筋の戦争バカは居るんだけどね」


 アムネシアが皮肉げに口の端を歪めた。第二方面軍はいま、非常に難しい判断を迫られることが想定される。しかし彼女の周囲には、信用して相談できる人間が居ないのだ。アムネシアはそこに軍団の編成上不満を持っていた。


「それなら、ジルは役に立てると思うぞ。エルンスト=シュライヒャーの亡命の件でも、現場で適切な作戦を立てて任務を成功させてくれたからな」


「ほぉ。それなら期待して彼の到着を待ちましょう。それじゃゼノビア、私は明日朝早くにここを立つから、この辺で失礼するわ。次は年末頃になるかしらね」


「そうだな、その頃ゆっくり酒が飲める状況なら良いんだがな」


 アムネシアは、「そうね」とゼノビアに笑顔を向けると店から出て行った。

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