第26話 エルフの来訪者

 テラスへ出ると、外は大分寒かった。すでに秋から冬へと変わる季節だ。外套がなければ肌寒いのも当然だろう。吐く息が白くなる。今はそんな冷たい空気が心地よい。王宮からの眺めは良いはずだが、夜のとばりが降りて王宮の明かりが照らすところまでしか見ることはできない。ジルはテラスの手すりに腕をのせ、ぼうっと前を見つめていた。


「お疲れかな? 今日はご苦労だったな」


 後ろから声をかけてきたのはゼノビアだ。ゼノビアはシャンパンのグラスをもってテラスへやってきた。ジルの姿がないのを気にして探していたようだ。


「こういう事に慣れていないからでしょうね、疲れました」


「ははは、私だってまだ慣れていないさ。もっとも私の場合、こういう場所で何かを期待されることは無いがな」


 ゼノビアの本分は近衛騎士である。その職務上、晩餐会、舞踏会、外交の席など、王室の人間の行く所どのような場所にでもついていくが、ゼノビア自身が儀礼や機転のきいた会話などを求められることはほとんど無い。


「君がこれから王国の魔術師としてやっていくなら、こういう事にも慣れておいた方が良いぞ。単なる魔術師ならともかく、君が求めているのはそんなものではないのだろう?」


「どうしてそう思うんです?」


「私だって、これでも近衛の副団長にまでなった人間だぞ? 野心がないわけじゃない。女でここまで来るのは一筋縄じゃなかったさ」


 ジルの視線がゼノビアのそれと交錯した。2人はしばし見つめ合った後、ゼノビアは「あまり長居するなよ。外はもう寒いからな」と言い残し、中へと戻っていった。


 その後もジルは暫くテラスに居た。今日は多くの人間と会った。その一人一人の顔を思い出し、話した内容を思い出す。貴族であれば全ての人間の顔と名前、爵位を覚えているのだろう。


 外の冷たい大気のおかげで頭も大分冷めてきた。ジルはブルっと一度身震いすると、会場へときびすを返そうとした。


「!?」


 視線の端を何かがかすめて行く。ジルはそれを見逃さなかった。


「何者だ!」


 それは人影だったはずだ。ジルは自分の目の良さに自信を持っていた。


 ザザッ


 人影はテラス近くの木陰に潜んだようだ


 ジルは呼吸を止めて、何ものをも見逃さないよう集中する。あたりは鎮まりかえり、晩餐会の喧騒が漏れ聞こえてくるくらいである。


 ガサッ。突然木陰から人が飛び出してきた。そのまま王宮の外へ逃亡するつもりだろう。ジルは予めつぶやくような声で唱えていた呪文の力を開放する。


「スパイダーウェブ!!」


 第二位階の魔法である。粘りのある網によって相手の動きを縛り拘束する魔法である。


「!?」


 魔法の網は侵入者を空中で捕らえ、そのまま地面に叩きつけた。


「きゃぁ!」


 ジルは「浮遊」の呪文を唱え、テラスから賊のいる外の地面へと降り立つ。賊は叩きつけられた痛みに苦しみながら、もがいていた。何をしてくるか分からない、ジルは十分に注意し、少し遠くから賊を観察する。


 意外にも賊は女であった。それも金色の美しい髪をした若い女だ。しかしそれでも油断することは出来ない。この世界、外見だけで判断することは危険なのだ。


「何者だ!?」


 ジルは意識的に冷たい声で尋問する。その問いかけに対して、賊は顔を背け何も答えようとはしない。


「もう一度訊ねる。お前は何者だ?」


「…………殺すがいい」


 女は全てを諦めた様子で、答えようとしない。


「そんなことは聞いていない。お前は何者なのだ。顔を見せろ!」


 ジルは充分に注意しながら女に近づき、その顔をこちらへと向けさせる。


「エルフか!!」


 ジルにとって驚愕する事実であった。彼はこれまでエルフを見たことはない。いや、人間でエルフを見たことがある者など、ほとんどいないだろう。


 エルフは耳がとがっているという外見的特徴があり、一目でそれと分かる。人間よりもやや華奢な体で、戦士としては弓をよく使う。しかしその最大の武器は魔法であり、強大な魔力を持つ魔術師が多い。人間よりもかなりの長命を誇り、多くの知識と経験を身につけている。


 ただエルフは繁殖力が弱く、人間より数は遥かに少ない。エルフから見れば、人間は野蛮な種族であり、それゆえ人間に対して無関心である。通常彼らの世界である「エルフの森」より出てくることは無いはずなのだが……。


「名をなんという?」


「……殺せといったはずだ」


「このままだと本当にそうなるぞ。王国の人間の手に引き渡せばお前は確実に死刑となるだろう」


「……」


「こんなところが本当にお前の命の捨て場所なのか? まだ生きてやるべきことはないのか?」


「……」


「正直に話せば、私は王国にお前を引き渡す気はない。エルフを殺したとて、私にとって何の意味もないからな。だがこのままではそうせざるを得なくなる」


 これはある意味、王国への反逆と受け取られかねない言である。だが、ジルにとってエルフは神秘の存在であって、エルフのことを知りたいと思いこそすれ、殺す気などさらさら起きない。だが、何も語らぬとなれば王国に引き渡さざるを得ないだろう。


「……ミリエルよ」


 ジルの言葉に可能性を見出したのか、ついにエルフの女はミリエルと名乗った。


「ミリエルか。なぜこのような場所に来た? エルフは人間には関心がないはずだろ?」


「エルフにも色々なエルフがいるのよ。様々な考え方もね」


「質問に答えてないな。ここで何をしていた?」


「……シュバルツバルトの動向を偵察していたのよ」


「なぜ?」


「我々のエルフの森に隣接しているのがシュバルツバルトだからよ。あなた方の動向次第でエルフの森が戦乱に巻き込まれるかもしれないじゃない。だから王宮の動きを探っていたのよ」


 エルフの住む「エルフの森」は、シュバルツバルトの南西に位置している。大陸南西の西に突き出した半島全体がエルフの森と言ってもよい。だが、エルフは最初からこの森だけに住んでいたわけではない。太古の昔には、エルフは大陸各地に住んでいた。しかし行動範囲を拡大する人間たちに追いやられ、ついにたどり着いたのが「エルフの森」であった。


 現在、人間たちにはこれ以上の迫害を加えるような動きはないが、エルフたちからすれば万一に備える気になったとしても不思議ではない。


「エルフの中にはそのように考えるエルフは多いのか?」


「多くはないわ。でも我々はエルフも変わっていかなければならないと考えている。人間のやることに無関心であっては、いずれエルフはほぞむことになる。時に人間の政治や戦争に干渉することも、考慮しなければならないのよ」


 最初は頑なに口をつぐんでいたミリエルであったが、話し始めると意外にも饒舌じょうぜつになってきた。彼女の言う「我々」とは、いわゆるエルフの中の「開明派」なのであろう。本来エルフは伝統を守り保守的で人間と関わらないはずであるから、彼女のようなエルフの方が、新しく変わったエルフなのである。


 面白いエルフだ、ジルはそう思った。見た目は十代の可愛い少女であるが、エルフのことだ。見た目通りの歳ではあるまい。


「ミリエルは今年いくつだ?」


「そ、それが何の関係があるのよ!」


「すまん、単なる興味だ。答えたくなければ答えなくていい」


「……38よ」


 ジルが想像したよりも若かった。本当に若いエルフだったようだ。エルフの寿命は人間の十倍以上である。


「いろいろ尋ねてすまかったな。私はジルフォニア=アンブローズ、王国の宮廷魔術師になる、はずだ。将来な」


「将来?」


「まだ仮の身分ということだ。いまはまだ学校に通う学生の身だ」


「……それで私はどうなるの?」


 その質問に対して、ジルは自らの行動でもって答えを示した。ジルは魔力を集中させると、スパイダーウェブの魔法を打ち消した。


「……ありがとう」


 ミリエルは意外であった。他の多くのエルフと同じように、ミリエルも人間を軽蔑していた。人間は信用ならない存在であった。だからジルが「王国に引き渡すことはない」と言った時も、それを額面通りに信じる気にはなれなかった。ただ時間を稼ぐことによって何らかのチャンスが訪れるかもしれない、それにかけることにしたのである。ところが……。


「あなたも変わった人間ね。どういうつもりなの?」


「変なエルフと変な人間か。変わった者同士で良いじゃないか」


「……」


「最初から言ったはずだ、私はエルフを殺すつもりはないと。私はエルフとはむしろ互いに分かり合いたいと考えてるんだ。それなのにそのエルフを殺してしまっては、私がエルフたちの仇になってしまうではないか」


「私をこのまま解放する気なの?」


「そうだが不満か?」


「それであなたは王国から罪に問われないのかしら?」


「心配してくれるのはありがたいが、誰も見ていないだろ? 私かお前が言わない限り誰も知らないことだ」


「……本当に変わった奴ね。こんな人間がいるとは意外だったわ」


 ミリエルが呆れた様子でつぶやく。このジルフォニアという人間は、どうやら自分の知っている人間とは違っているらしい。


「さあ、そろそろ行くがいい。誰が来るとも限らない。折角助かった命だ、もう捕まるようなヘマはするなよ」


「ありがとう……。この借りはいずれ必ず返すわ」


「そんなことは気にしなくていい」


「私が気にするのよ! エルフは義理堅いの。人間と一緒にしてもらいたくないわ。私の名前はミリエル、忘れないでよ!」


「分かった、いずれな」


 ミリエルは闇の中へと去っていった。ジルはその後姿を見送りながら、苦笑を浮かべていた。なんと不器用なエルフがいたものか、と。

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