ムジカ・マジカ(下)
「あの黒いのともう一度出くわしたら、だ。それ以上は譲れない」
それがアルルの結論だった。動くのは結依ではないのだ。それ以上は望めなかった。
「衣装や装束が大事なのは、俺も少しだけわかる。でも馬にだって蹴られれば人は死ぬ。もし次来たら、あれとは俺がやりあう。あんたは隠れてろ、いいな」
結依は頷いた。人に命をかけさせるのか、と思わないわけはなかった。
歯がゆい。
「おひとよし」
「だまってろ」
猫と魔法使いが軽口を言い合う。
幸か不幸か、黒粒の塊は現れなかった。
「錆びついて、いやがる、なっ!!」
と、アルルが引いた扉は蝶番のほうから外れて倒れる。
鉄塔に囲まれたドーム状の建物。
開いた入り口から、狭い踊場を経て壁沿いをぐるりと階段が続いているのが見えた。
「やっぱりだ!」
ヨゾラが飛び降り、駆けて行った。
「ヨゾラ勝手に行くな!」
「だいじょうぶ、知ってるところ!」
反響した返事がかえってくる。
階段を降りていくと、途中の壁面にいくつか側道があった。魔法の光に、古びた扉や、宿舎のようなものが見えた。
「アルル、あったよ!」
下からまた声がする。その直後、建物の壁面に明かりがともった。突然の明かりに目が慣れると、黒塗りの床いっぱいに、碧光りする銀紋様が見えた。
「あれは──何ですか?」
結依が問いかける。
「魔法陣だよ。たぶん──古い魔法の」
「この陣も、いつもに帰ったら忘れちまうのかな。もったいない」
荷物を降ろしてアルルがぼやいた。
「まぁまぁ。あたし、これ使った事あるよ。場所と場所を結んでくれる、そういう陣」
「うってつけ」
さすがに結依はこの会話についていけない。
階段に腰かけ、猫と魔法使いのやることをしばらく眺めていたら、魔法使いのほうが小走りにやってきて言った。
「ユイさん。魔法陣に魔力が欲しい。歌と踊り、上手か?」
その聞き方には少しだけカチンときた。
「上手じゃないです」
立ち上がり、服の埃を払った。
「ものすごいです」
魔力は歌や舞踏からも生まれる。演者の心の躍動に従い、その密度も高まると言われている。
「
名乗りを聞いた瞬間、アルルの背骨にびりりときた。
「あなたの心に──火をつけます!」
そして、体の奥から頭のてっぺんへ熱が駆け上っていくのを感じた。
魔法陣にしゃがみ、力積図の上に手を添え魔力を注ぐ
いまここしかない
そういう瞬間で魔法陣中央へ切って出た。
碧い魔力の
歌が始まる。アルルの知らない、でも学院時代を思い出さずにはいられない異国の歌。円柱の空間に魔力が満ちていく。
ふいにユイと目が合って、必殺の微笑みをまっすぐに受けた。
見惚れた。
なんだっけ「ちょーぜつ」だっけ。立ち上がって、なんでもいいから叫びたくなる。
ぺし。と黒猫がアルルの手をはたいた。
無理やり我にかえる。魔力を吸い込んで、陣に注ぎ込む。尋常でない濃さの魔力が体を通過していく。
その間もユイは止まらない。かわいいか? もちろんかわいい。でも違う。アルルの心が灼かれている。なんだ、この、狂おしい感じは!
アイドル
そうだ、アイドルだ。
もう一度、目をみて笑ってくれるなら、俺は死んでも──
ごずん!
上層の、入り口あたりから轟音がした。アルルは今までの人生で、もっとも気分が悪くなった。
あの黒粒の塊が入り口に身を突っ込んで、ねじり
「邪魔を」
「すんじゃ」
狙いをつけ、塊をさらに
「ねぇぞっ!!!」
ぶっ放した。
ヨゾラがつぶやいた。
「アルル、性格かわった?」
がずっ!
直撃を受けた黒粒の塊がふらふらと宙を漂う。その後部に鞄が一つ引っかかっていた。
ややあって、塊が魔法陣へと突っ込んでくる。
ユイが演技を止めた。携帯を拾って、端へ駆け出す。
「もいっちょう!」
力場の塊をぶち当てて弾いた。ばらばらと黒い粒がこぼれて落ちる。
「なんだこれ、文字か?」
ヨゾラが声を上げた。黒い粒に見えたものは、文字だった。青光りする核を文字の羅列で鎧ったものだ。
二度の直撃を受けてなお、ひるまず魔法陣へ降りて来ようとする。あれが床に激突すれば、魔法陣の図形が崩れかねなかった。
「糸」を振り出して黒粒へ貼り付ける。押し合いになる。
ユイが場に生み出した高密度の魔力がゆえに、アルルは力負けしていない。しかし魔力には、量の限度がある。押し合いの形になったのはアルルにとって不利だった。
「こ……の……!」
その時、歌が聞こえた。
壁沿いの階段の最上段で、ユイが歌っている。黒粒が向きを変えた。アルルの力場が黒粒を押しやる格好になる。そのまま、ドームの天井へ押し付けた。
「アルルさんは、そちらの仕事を終わらせてください!」
ユイが叫んでいる。
「この大きいのは、私の歌に向かってきます! 私がひきつけます!」
「無茶だ!」
と叫び返して、ユイが眼鏡をしていないことに気付いた。
聴く耳持たないってか!
糸を切った。力積図に手を当てる。再びユイの歌が聞こえる。
三十数える間に終わらせる!
あの化け物は、「私が歌っていた場所」に突っ込んでくる。だから、こちらに注意が向いてから階段を駆け下りれば間に合う。
突っ込んだあとは、しばらく動かない。ほっておくと、下へ行こうとする。
動き方にパターンがある。よし、と補聴
階段を跳ぶように駆け下り、側道の前に立つ。ここに頭を突っ込ませれば、しっぽをつかめる。
アイドルの衣装は人生と等価値。だから私がやるんだ。
歌った。最大熱量で。黒粒の動きを見て、階段を上へ逃げた。側道へ黒粒の塊が滑り込む。その後部、引っかかったトートめがけて階段を蹴った。黒粒の、硬くて痛い文字の殻をつかみ、「湊」の字に引っかかったバッグを外しにかかる。
なんてことするんですか、マリナさん。
八つ当たりめいたことを思いながら、トートを引き寄せた。もぞり、と黒粒が退がる。バランスが崩れる。
──飛べ!
VRレイヤーに文字が走った。
下を見る。両腕を広げた魔法使い。
結依はトートを胸に抱え、文字の殻を蹴った。
「腕で受け止めるのかと思いました」
「畏れ多いよ」
アルルが大きく息を吸い、腕を振ってまた「糸」を飛ばす。「糸」は、ドームの入り口付近の、なんでもない壁に張り付いた。
単純な話だった。そうアルルは思う。
魔力が濃いところにやってきて、魔力を喰っていく、そして新たな魔力の発生に目移りするもの。
浮気者め、向こうでやってろ。
意識を広げる。場に残る魔力を根こそぎ取り込み、「糸」の先から放出した。
アルルが言う。
「会いたい人、行きたい場所を、しっかり胸に描くんだ。この魔法がそのつながりを辿って、連れて行ってくれる」
「……亡くなった人でも、ですか?」
「理屈の上ではね。でも、親父がよく言うんだ。『死んだ人間と会うのは死んでからでいい』って。それは、また今度にしないか」
結依は頷いた。確かに、それは今じゃない。
化け物は天井の方でもぞもぞしたままだ。
「慌ただしいけど、これでお別れ」
アルルが差し出した右手を、結依はためらわず握り返した。
皮の厚い、ごつごつした手だった。
「仲間にいれろよっ」
とヨゾラが飛び上がって、繋いだ手にしがみつき言った。
「ホムラちゃん、げんきでね」
「はいっ。皆さんも、お元気で」
アルルが、魔法陣を発動させた。
「今度は、邪魔の入らない所でちゃんと観たいよ」
「待ってますよ!」
碧く光が渦をまく。三人の体も碧く光る。
光が魔法陣に吸い込まれた後、文字の怪物は身体を絞るようにねじると、ふつっと消えた。
この中途半端な世界に決着がつくのは、また、別のお話。
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