ムジカ・マジカ(中)
「俺はアルル。魔法使いをやってる」
「ヨゾラだよ。しゃべる黒猫ってよく言われる」
椅子の肘掛けからヨゾラが続く。魔法の光で毛並みが藍色に照りかえっていた。
アルルは向かいに座る女の子を見た。五つ、いや六つほど年下だろうか。腰まである流れるような黒髪に、西部諸国ではまず見ない華奢な体格。そして、決して警戒を解かない黒い瞳。
「ホムラ・ユイです」
「じゃあ、ユイさん」
初対面だ。姓で呼ぶのが良いだろうと思う。
ユイは強い瞳をしていた。例えるなら、
「信じられないかも知れないけど、聞いてほしい。俺たちはこの世界の住人じゃない。そして、たぶんあんたも」
「不自然で中途半端なんだよ、ここは」
アルルは続けた。
「このあたりの森や野原は、俺が生まれた辺りに似てる。でも、虫や動物の類がいない。建物は見たことがあるのと無いのが半々、町や村は一つも無し。まるで、何もない地図の上に森や建物を適当にばらまいた感じなんだ」
「魔力も
「……そうですね。このホテルは、私が知ってるものです。でも、森は違いました。ここはどこなんですか? 私は……」
ユイが拳を握り、肩に力がこもるのが見て取れた。
「帰れるんですか?」
「あたしが魔法を使えればね」
「使えなかっただろうが」
黒猫の軽口を青年がたしなめる。
「悪いけど、俺も約束はできないよ」
「でも、私は帰らなくちゃいけないんです。しなくちゃいけないことがあるんです。待ってる人たちがいるんです!」
大きな声を出した後、ユイがはっと息をのんだ。
「……ごめんなさい。あなたのせいじゃない」
唇を引き結んで、言葉を絞りだしてくる。
アルルは魔法の光を消した。
「月が出た」
ロビーに差しこむ月光は明るい。青い月明りにうつむくホムラ・ユイは一瞬、ひどく儚く見えた。
「ユイさん」
なるべくゆっくり、声をかける。
「帰らなくちゃいけないのは、待ってる人がいるのは、俺も同じだ。こいつは……面白ければどこでも良いみたいだけど」
ヨゾラが「へへへ」と笑う。まったく、褒めたわけじゃないのに。
ユイが顔を上げ、また、まっすぐに訊いてきた。
「なんで、そんなに落ち着いていられるんですか? まるで……まるで初めてじゃないみたい」
「うん。初めてじゃない」
とアルルは言った。
「たぶん、これ、二回目」
とヨゾラが加えた。
知らないうちにいつもと違う世界に放り込まれるのが、二回目。
前回の事はおぼろげにしか覚えていないし、いつもに帰ると何も思い出せなくなる、とアルルは言う。
「ホムラちゃんも、その前回で見たのかも知れないや」
とヨゾラの言葉がレイヤーに弾ける。
非常階段を二階へ上がる。非常灯は点灯していたが足下は心許ない。追加の照明は、結依の
アルルがそれに大興奮(魔法? ちがうのか? なんだそれ!? どういう仕組みなんだ!?)していたが、知らない男に携帯の中身なんて見られたくないので「これが科学です」とごまかした。
オートロックの構造を教えたら、アルルがラッチを魔法で押し込んで解除した。
「仕組みがわかって、目で見えれば、ざっとこんなもんさ」
ドアが開いたのは助かったけれど、鍵の構造は教えないでおこうと思う。
このおかしな世界の中途半端さに感謝したのは、水道が使えた時だった。
「これから、どうするんですか?」
シャワーに目を真ん丸にしているアルルに声をかける。
「あ……と、ここから東、半日行ったぐらいの所に何かあるらしいから、そこへ行くよ」
「そんなあやふやな」
「無いよりマシさ。それに、こういう時、こいつのカンはよく当たる」
「あたるぞ」
VRレイヤーの
笑っているらしかった。
「あんたも行くアテはないんだろ? だいぶ歩くが、来るか?」
行くと答えた。
歯がゆいが、自分一人で解決できる状況とは思えなかった。
施錠し、水浴びを済ませ(お湯は出なかった)、思い立って洗濯をし、暗い部屋でカロリーメイトを齧っている。
日持ちしそうでかさばらないのを頂いて来た、とアルルが言っていた。その生活力というか、図太さには驚かされたが、ありがたかった。
いまごろ……。
ああ、だめだ。考えちゃだめだ。
華子さんの衣装。
お父さんの晩ごはん。
お父さん。
奥歯のきしみが顎を震わせた。
今夜だけだ。今夜だけだ、泣くのは。
絶対に、帰るから。
部屋にあったヘアゴムで、長い髪をアップに結い上げる。目覚めたら夢でした、という希望は目覚めとともに捨てた。
負けるもんか。
「昨日はいろいろと、ありがとうございました」
ロビーにおりて開口一番、結依は頭を下げる。
「いいって」
「それ俺のセリフな?」
奇妙な二人連れのほうが朝が早かった。
「朝メシは歩きながらだ。あと、これも持っててくれ」
水のペットボトル、ホテルの部屋によく置いてあるものだ。
「あと何本か頂いておいた。塩も持ってる。何かあったらすぐ言ってくれ」
「じゃ、出発!」
魔法使いの鞄の上、黒猫が声を上げた。
森、煉瓦の家、壁の無いコンビニ、平原の道、唐突な高速道路。よく見れば、昨日乗っていた
アルルはよくしゃべった。ヨゾラが「どうしたの? よくしゃべるね」というぐらいだから、余程なのだろう。訪れた町のこと、故郷の村のこと、ヨゾラと出会った時のこと、家族のこと。
ほとんどおとぎ話のようだった。そんな中、突然
「あんた、耳、聴こえないのか?」
とアルルが言い、結依は少なからず驚いた。
「なんでわかるんですか?」
「ゆうべ寝る前な、ヨゾラに聞いたんだ。あの怪物が来た時、樹がなぎ倒されるすごい音がしてたのに全然気づいた様子がなかったって」
ああそうか、と思う。自然音は補聴
「今朝も起こそうと思って扉を叩いたんだけど、反応がなかったしね」
「それは……ごめんなさい」
「あー、いや。田舎者の朝は早いから。それよりも、なんで今こうやって話せているのか不思議でさ」
それで、結依は補聴
「すっごいなぁ……こういうのがあれば、聞こえなくても話ができるのか。そうか……魔法でもこういうの作れないかな」
「魔法なら、それこそ私の耳を治せたりしないんですか?」
軽口のつもりだったけれど、思ったよりも真面目な反応がきた。
「残念ながら魔法も、できないことの方がよっぽど多くてね。あんたん所の科学って、すごいよ」
「でも、あなたは自分で魔法を使うんですよね? 私は、すごいことだと思いますよ?」
青年の黒い瞳に言葉を返した。青年は思いのほか純朴な反応を返した。すなわちどぎまぎした。
「アルル、褒められたぞ」
鞄の上の猫が茶化す。
茶化された方は目をそらして低い鼻をしごいている。
「そうだ、これ、見ます?」
結依は
「私が目指しているのは、これです」
「あははははは! 真っ赤だ、真っ赤!」
ヨゾラが爆笑した。
笑い声を背中に、真っ赤になったアルルが携帯を返してきた。
「田舎育ちには、刺激がつよいよ……」
この人、情けない声も出すんだ、と思った。
「あんな過激な服、見たことないや」
「過激ですか? かわいいじゃないですか。私も──」
私も着るんですよ。
「──お願いがあります」
優先すべきは、帰ること。それは分かっている。だからといって
「私の衣装を取り返したいんです」
あきらめたくはなかった。
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