水舞
(ピファ出番後の観客席と、控え室の様子です)
地元には湖が多い。
アルルの村にも大きなのが一つあって、そこで「翼」の魔法を練習したものだった。
ある日、いつものように練習していた時の事。聞き慣れない生き物の声が聞こえるなぁ、と思っていたら、奇天烈な生き物が猛烈な勢いで追い抜いて行った。
あまりに速くて「毛布みたいな黒い影」としかわからなかったし、煽られて湖に落ち、死にかけた。
ずぶ濡れで帰って父に聞いてみても、そんな「もの」は知らないと言うし、むしろ「何で捕まえてこなかったのか」と責められた。
姿はわからなくても、その奇っ怪な鳴き声だけは耳にこびりついて離れない。
その声が今、聞こえる。
「にゃああああああーーくまーー」
もう一度。
「にゃああああああーーくまーー」
えええええ……と声が漏れた。
茶色と白の縞々毛布が宙を旋回している。いや、頭の形から見るに、熊、か?
くまーーっ、て。熊? なのか?
「ヨゾラ、あれ見てみろ」
言ってから思い出した。連れの黒猫は、ピファの太鼓に大はしゃぎしたまま、どこかへ行ってしまったのだった。
アルルは最後の塩こんぶを口に放り込んだ。
在りし日の苦い思い出なんてものに、こんなところで会うとは思わなかった。
つくづくこの総選挙には不思議が多い。
その頃。
誰だって、緊張から解放されれば高揚する。ピファも例外ではなかった。足取りもふわふわと控え室に戻ると、出番を終えてほっとしている人たちと、出番前で緊張している人たちとにわかれていた。
そういえば、神さまがいない。もう一度話しかけようと思っていたのに。
そう思いながら椅子に座って一息ついたら、お腹がぐぅと鳴った。
自分でもびっくりするような音に思わず辺りを見回して、その子と目があった。
とても透き通った、綺麗な瞳の子だった。
冬の夜明け前、群青に染まる湖を思い出した。
肩までの髪は碧く月光石のように艶めいて、さらりさらりと流れている。その、ふっくらとした愛らしい唇が動いて
「お腹すいてるんですか?」
と言った。
軽くパニックになった。
言葉もまともに出せず、頭と両手を必死に振って否定しようとしたら、ぐぅ、と自らのお腹にとどめをさされた。
「お腹すいてますね?」
無言で頷くしかなかった。
「いいものがあるのです! お礼にわけてあげるのです!」
愛くるしい声だった。
「お、お礼?」
熱を持った顔を手であおぎながら、必死に言葉を絞り出す。
「やることが決まったのですよ、ピファさん」
名前を知られていた。ピファはこの、妖精のような女の子の名前がわからなくて、余計に恥ずかしくなった。
「あの……あなたは?」
気まずさをこらえてそう訊くと
「リンク・ルーシーです! お見知りおき下さいーー」
と答えてくれた。
「先ほどの舞台、拝見しましたー。とても素敵でしたよ、だから私も一番好きな事をする事に決めましたー。シャキーンです! シャキーンなのです! 私の友だちも、雅也さんも見にきてくれているのです! 雅也さんは、人間界から私たちの妖精界を救うために──」
止まる気配のないリンクの話を遮ったのは、文字通り「跳び込んで」きた黒猫だった。
「ピっっファちゃーん!」
「ヨゾラちゃん!?」
関係者以外入っちゃいけないのに!
「みたみたみたみた! すごいすごいすごいすごい!」
控え室の一角が突出して騒がしくなる。ピファは迷惑じゃないかとひやひやする。直後、飛び込んできた係員に控え室が静まり返る。
「すみません! 今ここに喋る猫が入って来ませんでしたか!?」
ばっ! と視線が黒猫に集まる。ピファの額に冷や汗が流れる。
黒猫は左右をちらちらと見た後、棒読みで
「にゃー」
と言った。
「はーなーせーよー!」
という声が遠のいて行く。
「ええっと……」
ピファとリンクは顔を見合わせて、苦笑いする。
「ケーキをわけてあげます!」
先にリンクが口を開いた。
「じゃあ、私のビスケットあげるよ」
今度は、ピファもちゃんと言葉が出た。
聞けば、リンクはもうすぐ出番だという。わけてもらったケーキには、感動して本当に泣いた。食べ物に感動して泣くこともあるなんて知らなかった。
お返しがジャムビスケットで良かったのだろうか、とも思ったけれど「お母様の味がします!」と言ってくれたので(実際、母が持たせてくれたものだった)良かったという事にした。
そしていま、感動の余韻にひたりながら、つまり泣きながら観客席に向かっている。
アルルを見つけて隣に座ると、最初は驚かれ、そのあと何かを悟ったように「頑張ったな。お疲れさん」と言われた。
たぶん誤解されている。ケーキが美味しくて泣いてる、とは言えなかった。
「ヨゾラのやつ見てないか?」
ちょっと落ち着いたころにそう訊かれた。
「控え室に来て……つまみ出されました」
「何やってんだあいつ」
とアルルがため息混じりに言うのと、足元に黒猫が顔を出したのが同時だった。
「……ただいま」
と黒猫。
「おかえり。つまみ出されたんだってな?」
「あたし、猫のフリ練習することにした」
言うなり、ピファの膝に飛び乗ってくる。
「だめだよ、入っちゃいけない所に来たら」
乱れた毛並みを手で整えながらそう声をかけると、
「へーい」
と返事が帰ってきた。
──エントリーナンバー二十二番、リンク・ルーシー!
あの子だ!
「ヨゾラちゃん、アルルさん、見て! 私、あの子と友だちになったの!」
舞台上の、愛くるしい妖精を指差してそう言う。
簡単な自己紹介のあと、それはふいに始まった。
つま先で跳ぶような、軽い跳躍。水面に雫が落ちるような静謐な着地。大きく円を描くように舞台を滑っていく。
たゆまず、よどまず、小さな流れを描き、時に大きくうねる。その軌跡が青く光る。足を運ぶたび、腕を振るたび、上体を翻すたび、水の飛沫が輝いて飛ぶ。
「魔法陣だ……」
隣でアルルが息を呑む。
「きれい……」
ヨゾラがうっとりと呟く。
ピファは、また涙があふれてくるのを感じた。
リンクが跳ぶ。強い雨が土に遊ぶように、宙で身を返し、円の中心を越えて何度も跳ぶ。
その軌跡が縦の半円を描く。
角度を変えた半円の群れは、複雑な文様で満ちた半球に近づいていく。
ピファも楽隊のはしくれだ。だからよくわかる。
伴奏もなにもないのに、リンクの身体からはっきりと音楽がでている。身体でつくる、音のない音楽。
それこそが、舞踏の本質。
手拍子をしようなどという者は一人もいなかった。中途半端な音なんて、邪魔にしかならないからだ。
半球の頂点にリンクが立つ。腕をひらいて一回転、二回転。勢いのまま腕が閉じられる。回転の速度が増す。光が飛沫く。
客席のどよめきが、歓声に変わる。
緩やかに回転が止まっていくその中で、リンクの両腕が天に伸び、くん、と力が入った。
ぱしゅん!
そんな音と共に、水の魔法陣がはじける。
無数のシャボン玉が舞い、照明を反射して視界が虹色になる。
「アワゥオー!」
ヨゾラが叫んだ。
ぱらららら、とすべてのシャボン玉がはじけると、大きく両腕を広げたリンク・ルーシーが舞台にいて、そのまま彼女が、すとん、とお辞儀をした瞬間、会場は雷を落としたような歓声に包まれた。
ピファは両手で顔を覆った。涙が止まらなかった。
緊張したり、恥ずかしかったり、怖かったり、勇気づけられたり、美味しかったり、美しかったり、ほんとうに忙しい一日はまだまだ始まったばっかりで、でも、今日は今まで生きてきた中で一番幸せだと、十四歳の女の子なりに思った。
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出典:
https://kakuyomu.jp/works/1177354054885582819/episodes/1177354054885744836
とんこつ毬藻さん作品、
近森!~近所の森に行ったら妖精界と繋がっていた件『剣が使えないので可愛い妖精と水鉄砲で世界を救います』
から参加、リンク・ルーシーさんPR文へのコメントに投稿したものです。
作品はこちら
https://kakuyomu.jp/works/1177354054885491151
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