認識の齟齬

 2月8日金曜日、帰宅後私はぐったりしていました。

 仕事は全く上手くいかず、思うように身体が動かなくなってきていた上、子ども二人が一週間殆ど学校に行けなかったことで絶望していたのです。

 天気のせいにだけはしたくありませんでしたが、なにぶんコントロールも出来ないこと。季候の良い春と秋だけしか動けず、この先まともに生きていけるのかもわからない子どもたちを放置し、仕事を続けることに何の意味があるのかと思い始めていました。

 私の方が夫よりも収入が何割か多かったので、私はずっと、耐えてきました。私が仕事を辞めたら大変だというのは、育児休業や介護休業時期の収入減でハッキリとわかっていたからです。しかし、もはやお金のことなどいっている場合ではなくなってきていました。

 いつだったか、夫が「僕が仕事を辞めて子どもの面倒を見ようか」などと言っていたことがありましたが、不可能でしょう。夫の家事協力度は10パーセント未満で、毎日の家事を一人でこなせる可能性が低いことも、以前私が研修で長期不在だったときに本人が証明してしまっていたからです。結局は中途半端になり、人数の多い子どもたちにも家事を割り振って、それが出来ないとグダグダと文句を言うことも目に見えています。

 それに、年頃の子どもの心に寄り添い、理解しようという気持ちに欠けている人間を、四六時中そばに置くことなど出来ません。しかも、具合の悪い片方は女の子です。いくら父親にだって介助などして欲しいとは思わないでしょう。

「仕事、辞めようかな」

 ポツリと言うと、近くにいた次女は、

「その方がいいと思うよ。ママずっと大変そうだったもん。無理したらダメだよ。死んじゃうよ」

 と言ってくれました。

「辞めたら退職金入るから、それで生きようかな。しばらくは行けるよね。……これから授業料負担増すけど」

 私立高校にしか入れなかった次女は、一瞬しまったという顔をしたように思いましたが、それでも私の言葉を遮ったりはしませんでした。

「辞めたら、毎朝仕事に行くかどうか悩んで職場に半泣きで電話しなくてもいいし、学校には送り迎えできるし、何かあってもすぐに動けるね。何より、変なノルマや数字に振り回されなくていい。パワハラも受けなくていい」

「そうだよ。辞めても誰もママのこと責めないよ」

 私が必死に頑張ってきたことを間近で診ていた次女に言われると、決して間違った選択じゃないのかもしれないなと思い始めました。

 そう話しているうちに、徐々に台所に人が集まり始め、長男や、その後帰宅した長女も、私の考えに同調してくれました。夫も、

「それしかないかもね」

 と、頷いていました。


 一度「辞める」と言葉に出した途端、心がすうっと軽くなりました。

 私の人生は職場で潰されることではない、子どもたちを支えて生きることだと決心したことで、方向性が見えてきたのだと思いました。

 辞めたらお金の問題はのし掛かってきますが、それでも、私が精神的に潰れてしまってからでは遅いという共通認識が家族全体にあり、そのためにならそれしかないと思ってもらえたことは、何よりありがたかったことを覚えています。



 2月の三連休は、久しぶりにゆっくりと寝ることが出来た長男。朝も9時台にはどうにか起き、軽い頭痛はあったものの、ゆったりと過ごすことが出来ました。

 次女もそうですが、土日になると生活リズムが安定するのは、学校に行かなければならないプレッシャーから解放されるのだということなのでしょう。本人は学校に行きたいのに、身体が悲鳴を上げているというのは、何とも空しいものです。


 11日の祝日に、部活だった長女以外の6人で、米を貰いに実家へと向かいました。

 正月以来久々に実家へと行ったので、いろいろと近況を話しました。

 次女が高校に合格したことは既に話していたので、その点に関して次女が褒められたこと、同時に「高校には休まずに行かなきゃダメだ」と念を押されました。当然、次女もそのつもりでしたが、体調不良が続いていたので、高校入学前までには持ち直したい旨を伝えていました。

「ところで、長男も同じ症状が出て」

 と話を切り替えると、両親の顔色が変わりました。

「1月中体調が悪くてまともに学校に行けなかったんだけど、そうしたらこの間、起立性低血圧って診断されて」

「――何だって……ッ!」

「学校帰りに倒れたりしたから、ちょっと目を離せなくて、私、仕事辞めようかと思ってるんだけど」

 と、ここまで来ると、先ほどまでの融和ムードが一気に崩れ去りました。

「何考えてんだ! 具合悪い? 学校に行ってない? 春から中学生だろ! どうするつもりだ!」

 父が激高し、

「仕事辞めるだなんて、子ども五人も抱えてどうやって生きていくつもり?!」

 母も金切り声を上げました。

 私は二人の怒りをどうにか収めようと、淡々と話していましたが、そのうち長女が部活を終えて迎えを必要とする時間になってしまいます。おまえが迎えに行けと夫に指示して、私は子どもたちの前で祖父母が母親に怒鳴り散らすという最悪なシーンをどうにか押さえるため、必死に現状を訴え続けました。

 しかし、両親の怒りは収まるどころか、次女や長男に方に向かっていきました。


「おまえたちがちゃんと起きないから、お母さんが仕事を辞めることになるんだ! わかってるのか!」

「学校に行くことも出来ない人間が、まともに生きられるはずがない!」

「朝起きて学校に行く、当たり前のことを当たり前に出来ないとは何事だ!」

「病気だなんて甘えだ! 言い訳だ! おまえたちは苦労を知らない。甘やかして育てたからこうなったんだろう!」

「気合いが足りないからこういうことになるんだ! 気合いがあれば癌だって治る。気合いを入れて生きていない証拠だ!」

「自分たちだけが苦しいだなんて甘ったれたことを考えるな! みんな苦しみながら生きてる! おまえたちの苦しみなんてたいしたことはない。このくらいでへこたれるなんてどうなってるんだ!」


 支離滅裂なことをまくし立て、怒鳴りつけるので、次女も長男も正座したままうつむいて泣き始めるし、下の二人も初めて見る祖父母の怒りに戸惑って泣き始め、私にしがみついてくるしで悲惨な状態に。

「だから、気合いの問題じゃないから。これは自律神経系の病気でね」

「成長期には一定確率で現れるから、それが偶々うちの子だっただけで」

「兄弟だとどうしても似てしまうから、二人同時になっちゃったの」

「本人たちだってなりたくてなったわけじゃないってば」

 などと言ったところで、殆ど耳に入らなかった様子。

 因みに、両親は二人ともそれぞれ時期は違えど癌になり、今は完治して普通に暮らしているため、気合いで病気が治るという超解釈を信じ切っているのです。同じ病気でも、全く方向性の違う病気だと言うことに対しては無理解なのは知っていましたが、ここまで来ると、もう手のつけようがありません。


 長女が合流したころには、地獄絵図になっていました。

 事情の飲み込めない長女に軽く流れを説明した後、どうにかして振り切って帰宅しました。


 心配なのはよくわかる。

 けれど、このとき両親は、言ってはいけない言葉をたくさん次女と長男に向けてしまいました。

 それから先、更に悪い方向へ進んでいくのは、ある意味必然だったのかもしれません。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る