まさかの

 最後の三者面談が、12月21日金曜日にありました。

 次女は先生からのアドバイス通り、私立に進学することにしました。

 年内に受験料の振り込みを終えると、いよいよ受験だと身が引き締まるようでした。が、本人の体調は芳しくなく、本番に臨めるかどうかが一番の焦点でした。


 そして年末年始は、非常に危険な時期でもありました。

 寒波などによる気圧や気温の急激な変化で体調が悪化しやすく、また、長い休日は生活リズムを崩しやすいからです。

 次女が初めてはっきりとした症状を見せたのも正月休み明けでした。

 だからしっかりと、警戒していたはずでした。


 2019年1月6日日曜日、夜寝る前に、長男が頭痛を訴えてきました。かなりガンガンと痛むらしかったので、鎮痛剤のカロナールを飲ませ、早く寝るよう伝えました。

 休み中も体調不良を訴える場面がありましたが、六年生だし、多少の痛みなら大丈夫、我慢できるだろうと、そのときはそれくらいの気持ちでした。


 ところが明けて7日月曜日、小学校の始業式でしたが、夜よりも強い頭痛が長男を襲い、一人で歩いて行くのが困難になりました。登校隊の隊長旗を副隊長に委ね、三女だけ登校隊とともに登校しました。

 それでも長男は、

「友達と、久々にゲームの話をしたい」

 といって、学校に行きたがります。遅番だった私は、長男を車に乗せて学校へと送りました。

 学校の前で校長先生に会いました。

「大丈夫か。よく頑張ってきたね」

 という校長先生に、

「どうしても行きたいというので連れてきました。お願いします」

 と伝えて長男を預けました。

 長男は一人で歩くのもままならぬ位ふらふらでしたが、どうにかランドセルを持って学校へと入っていきました。


 この日は、次女も体調不良でした。

 朝は全く動けず、昼近くになってからとぼとぼと歩いて登校したようです。

 冬になると、どうしても体調が悪い。特に年始。わかっていただけに、ため息が漏れましたが、それでも自分で行こうという気力がある分、成長したなと思いました。



 問題は、ここからでした。



 翌日、中学校は実力テスト。

 次女はギリギリ、テスト開始直前に学校に滑り込みました。一人で歩いて行くのは難しかったので送りましたが、それでもテストに間に合ったのは幸いでした。

 受験前最後の実力テストで、朝から始まる受験に体を慣れさせるためにも、絶対に受験しなければならないものだったのです。

 次女は体力が著しく低下していたので、まずテストに向かえるかどうか、そこが一番の問題でした。長い間机に座り続けることができなければ、受験どころではありませんし、その後の高校生活にも問題が生じます。まずは、テストを受けられただけでも一安心です。


 と、片方がよければ、もう片方は大変です。


 長男が、登校できないくらいの頭痛を訴えます。頭痛はもう、何日も続いていて、明らかに普通ではないように感じました。

 念のため仕事を休んで小児科に連れて行きましたが、特に風邪の所見もない。血液検査していただきましたが、結果は2~3日後とのこと。モヤモヤしながら、いったん家に戻りました。

 午後からはお客様とのアポが入っていました。

 年が明けてももちろん数字を達成するための日々は続いていたわけで、私は貴重なそのアポで、どうにか次につなげる動きをしなければなりません。データでは微妙な感じに見えましたが、四の五の言っていられませんので、どうしてもお客様とお会いしなければならないという強迫観念にとらわれていました。

 長男は、一人で起き上がることが難しいくらいの頭痛を抱えていました。しかし、アポをすっぽかすわけにはいきません。職場に連絡し、仕事に向かいました。


 休憩室に着き、皆さんがお昼を取っているところにお邪魔して、その先のロッカーに入ろうとしたとき、

「あれ? 今日は休みじゃないの?」

 と同僚に声をかけられました。

「ちょっと長男、頭が痛いらしくて、お医者さん行ってきたんですけど、なんか一人で立てなくて。布団敷いて寝せてきたから大丈夫だと思うんですが」

 と言うと、

「あれ? 何歳? 小学生だっけ。頭痛いのって、よくないんじゃない?」

 と言われました。

「頭痛は危ないんだよ。一緒にいてあげた方がいいんじゃないの」

 ――ふいに、いやなことが思い出されます。長男が小学校一年生の時、頭痛を訴えていたのに軽く見ていたら、無菌性髄膜炎で数日間入院されてしまったのです。以来、一度体調を崩すと、すぐには回復しなくなってしまった長男。本当であれば、一緒にいてあげたいというのが本音でした。

「アポはさ、同じチームの先輩に振ればいいじゃん。帰って。一緒にいてあげて」

 私はハッとして、着替えるのをやめました。

 休憩室にいた方々が、皆、

「そうそう、早く帰った方がいい」

「お母さんの代わりは誰もいないんだから」

「仕事はどうにかなるよ」

 といってくださり、私は頷いて休憩室を後にしました。

 窓口に向かい、事情を説明して、今日の出勤はできなくなった旨上司に報告、同じチームの先輩にお客様のデータを引き継ぎました。


 急いで自宅に戻ると、長男はまだ唸っていました。

 頭が痛すぎて、一人で動けない上、振動しただけでもズキズキ言うようです。トイレにも立てず、苦しんでいるのを見ると、戻ってきてよかったとホッとしたのを覚えています。

 またカロナールを飲ませ、様子を見ましたが、殆ど効きませんでした。



 これが、さらなる地獄の始まりでした。

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