最悪の環境

 体調が安定しない中、次女を学校へと送ってから出勤する日が続きました。

 子供を朝送ることがあることを考えてくれたのか、偶々なのか、毎日9時半出勤だったのが幸いしました。送って、それから仕事をして、終わったらお迎えして、ご飯作って、という日々が戻ってきました。


 12月11日火曜日、三女が熱を出しました。小学校入学以来風邪も引かず元気だったのですが、とうとうインフルエンザ? と思ってしまうくらい高い熱。次女のインフルエンザの予防接種予約は23日だったので、移られたら大変です。幸い熱も落ち着き、インフルエンザも陰性だったのでよかったのですが、次女も相変わらず不安定な体調で、病児保育も相手おらず、渋々具合の悪い次女に具合の悪い三女を任せて仕事に行きました。

 あまりにも具合が悪く、このままでは入試に間に合わないんじゃないかとやきもきしてきます。

 しかし、結局年内は何度も休み、遅刻、早退を繰り返しました。


 気圧の関係だということ、気温の上下が関係していることはよくわかっていましたが、どうにも思うようにいかないのは苦しいものでした。


 実際、子供がたくさんいるといろんなことが起こるわけですが、手帳の記述やらLINEの履歴を見ると、長男がやはり体調崩して休んでみたり、三女が登校時間に間に合わずひっくり返って毎朝大変だったり、いろいろあったようです。

 私も職場では余裕がなく、家でも日付が変わるギリギリ前まで家事をして、朝5時台に起きる生活が続いていて、目に見えていろんな歪みが出ているような気がしました。


 年が明けると1月にすぐ受験が待っていました。

 それまで、勉強をしっかりしてもらわなければならないのに、肝心の体調が芳しくありません。

 休みの日ならば早く起きるのでは、とも思われそうですが、何の関係もなく、休みでもぐったりとして昼まで起き上がれない日がほとんどです。


 私が仕事を再開したことで、次女の体調はほぼ以前と同じくらいまで戻ってしまいました。


 それをわかっていつつ、私はできるだけ、それを見えないふりをして、どうにか平静を保とうとしていました。

 職場復帰したのに、まだ具合が悪い。

 子供が具合悪いからと、休み時間何度も学校に連絡する。娘に連絡する。


 自然と昼休みには愚痴がこぼれました。

 苦しい胸の内を吐き出すことで、少しでも楽になろうと思っていたのは確かです。


「次女ちゃん、具合どう?」


 パートのDさんは特に気をかけてくださったので、遠慮なしに自分の気持ちを伝えていました。


「復帰したばかりなのに、数字はそのままだから、結構辛いですよね。営業も、思うようにできなくて。でも数字は求められてるから、どうにかしなきゃいけないし。どうしたらいいんでしょうね」


 介護休業中のことはわかりませんが、店舗の営業成績が芳しくないらしく、かなりきつく数字を求められました。

「あなたが休んでいた間も、みんな必死に頑張っていた」

 と、上司からそんな言葉が飛び出していたのもこの頃だったかと思います。

 私も、遊んでいたわけじゃなかったのに、とても悲しい気持ちになりました。悔しい気持ちになりました。


 みんなは数字と戦っていた。


 私はいつ抜け出せるかわからない病気のトンネルの中で次女と一緒にもがいていた。

 遊んでいたわけじゃない。


 だけれどそんなことは、簡単に伝わるわけじゃありません。

 私は、私のできる限りの力で、次女と寄り添いたかった。後悔したくなかった。苦しくても、一緒に生きている、支えているんだよと態度で伝えることで、早く次女に元に戻ってほしかった。


 これが、年寄りの介護なら。

 きっと何も言われなかっただろうな。


 そんな気持ちが何度も去来しました。

 年寄りの介護、目に見える障害を持つ子供の介護、はっきりと障害者だと診断されている親族の介護。


 違うんですよ。


 この病気は、相手には全然伝わらない。

 苦しみが、見えないんです。


 頑張ろう、頑張ろうという気持ちを毎日必死に心の中から引っ張り出して、職場に向かう日々が続きました。



 職場の人から次第に無視され、冷たい言葉をかけられることが多くなりました。



 私が必死に頑張ろうとしても空回りしてしまうのが、見ていて痛々しかったのか。

 努力しているつもりなのに体が全く追いつかないのを、哀れに思ったのか、やる気がないように見えたのか。

 特に前のチームリーダーには、辛く当たられました。

 私が休んでいた間の制度改正について資料ももらっていないことを伝えたのに、なぜ知らないのかと叱責されたり、一人のお客様に時間がかかりすぎると罵倒されたり。自信のない業務について聞きに行くと、調べてやれと言われ、調べてやっていると遅いと言われ。

 ただでさえ限界なのに、どんどん追い詰められていきました。

 さらに、そんな私に声をかけてくれる人はほとんどなく。

 誰かに苦しみを伝えたくても、みんな忙しいから相談もできない。年末でしたからね。


 私一人が苦しいわけじゃないと思うと、愚痴や悩みをこぼすことも悪いことみたいでとても複雑でした。

 このままの状態で、働き続けられるのか、だんだん自信がなくなっていきました。

 それでも、生きていくためには稼がないとという気持ちがまだ少し上回っていました。


 12月29日土曜日、平成30年最後の出勤日。

 昼休みにパートの方と休憩室で一緒に休んでいると、前のチームリーダーが入ってきました。彼女は昼までで上がるようで、ロッカーでさっと着替えて休憩室に戻ってきました。

 彼女は休んでいる私とパートさんの前で軽く会釈をして、

「今年はお世話になりました。また来年もよろしくお願いしますね、○○子さん」

 と、非常勤の方にだけ声をかけていなくなりました。

 私はもちろん、頭を下げて年末の挨拶をしたのですが、完全に無視されました。


 つまり、そういうことです。


 私は、完全にそういう標的になっていました。

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