5月末

 中学校での話を終え、危機感を新たにした次女は、その後5月31日まで、夕方一人で歩いて登下校していたようです。

 16時から16時半頃登校し、下校は17時半から18時前後。

 庭木の剪定に予告なくやって来た私の父が、夕方いそいそと登校していく次女を見てかなり驚いていました。

「次女、あんな時間に学校に行って大丈夫なのか?」

 具合が悪くてという話はしていましたが、実際まさかそんな時間に動き始めるなんて、常識的には考えられなかったのでしょう。

「まずは自分で歩いて行けるよう、訓練中だから」

 父にはそう伝えましたが、あんまりだなと首を傾げられました。

 

 順調に次女が学校へ行けるようになって安心したのか、よりによって長男が自宅に友だちを招いてSwitch大会を始めたこともありました。年頃の姉が寝てるんだからと何度言っても通じません。次女は行き場がなく、具合の悪いのを推して二階の書斎で過ごしていたようです。それを長男は、次女は自分から好きで書斎に籠もったのだと言いだし、大騒ぎになりました。

 とにかく散々でしたが、

「6月1日からはママがずっと家にいるので、友だちを呼んではいけません」

 と言うと、

「ええぇ~っ! 酷い!」

 と、長男も渋々了承したように見えました。



 私はというと、それまで私一人が殆どになってきた店内ディスプレイやデータの場所を引き継ぎ、顧客データを引き継ぎ、お得意様を引き継ぎ、などしました。

 最後の最後の日まで、あまり仕事が残らないよう、注意を払いました。

 同僚に休みの報告をしてから先は、どういう経緯で休むことになったのか、次女はどんな病気なのかを、あちこちで説明しました。

 昼休みに私の愚痴を聞いてくださっていたパートの皆さんは、特に、

「ゆっくり休んで」

 と励ましてくださいました。

「今休まないで後悔するより、休んで側に居た方が良いよ」

 本当に、心が洗われるようでした。



 実際、ウチは子どもが5人もいます。一人一人に愛情を満遍なく注げるのであればそれに越したことはないのですが、私の身体は一つしかありません。中には、子どもが2人でも大変、3人でも大変、と言う人も居ます。5人、という全く未知の領域での子育てを完全に理解して貰うのは難しいのだということも、よく分かります。

 更に、親からの援助も望めず、夫婦だけで育てていくという選択は、ある意味地獄に自ら飛び込んでいくようなものです。

 何年か前、県内で多子家庭の母親が、生まれたばかりの子どもをボストンバッグに入れて川原へと投げ捨てて殺した事件がありました。そこの家庭も、子どもが確か、5人か6人いたはずです。収入の安定しない生活、産めないと分かっているのに堕ろすこともしなかったために起きた殺人でした。

 また、数年前話題になった、中学生の男の子が年上の子たちによって集団リンチに遭い、川を全裸で泳がされた上ナイフで切りつけられ殺された事件の被害者も、多子家庭でした。お母さんが一人で子ども5人を育て、誰にも頼れずいたところ、不登校になってしまった子どもが事件に巻き込まれたのでした。

 ああいう事件があることを思い出す度、思うのは、親が何もせずにいたわけじゃなくて、何も出来なかったんだろうということ。子どもが多いというだけで目が回りそうなのに、経済的に貧窮していったり、頼れる場所がなくなったりすると、正常な判断が出来なくなっていくのだと思うのです。


 何かが起きてからでは、後悔先に立たずです。

 我が家の場合も、例えば休むという選択肢を取らず、経済的な困窮を恐れて仕事を続けたとして、次女の回復が遅れ、本当は行きたかった普通高校に行けないことになってしまったら、もし仮に行けたとしても、体調が回復せず、中退することになってしまったとしたら、次女はどう思うか、と考えました。

 他の4人の子どもは幸いちょこちょこと病院に通う程度で、殆ど健康優良児です。

 全く経済的には豊かではありませんが、自分の子供が行きたいところ、目指したいところがあるならば、それを後押ししてやりたいと思うのが親ではないかと、これはだいぶ前から私たち夫婦の方針でした。他の親たちもそうしているように、子どもが行きたいのであれば奨学金を借りたり、保険や貯金を崩したりしてでも、応援したいと思っています。

 中学校を卒業したあと、体調が戻ってから高校へ通う方法もあるでしょう。

 定時制の高校、通信制の高校を利用する方法もあるでしょう。

 或いは、高校を卒業しなくても、その資格を得るための検定を受ける方法だってあるかも知れません。

 けれどそれは、あくまで今の状況が全く変わらず、普通高校へ行くという目標が完全に潰えたときに考えれば良いのであって、未だ何もしないウチから諦めたり、何もやっていないのに結論を決めつけたりするのはよくないことなのではないでしょうか。


「あとになって、『私が大変なとき、何にも助けてくれなかった』って言われたくないと思ったんです」


 誰かに私が言った言葉です。

 子どもが傷つくこと、それは、自分が苦しいとき、親が見向きしてくれないことではないかと。

 長男が担任の先生からの扱いに傷つき、学校へ行きたくないと泣いたとき、私たちは校長先生に手紙を書き、夫婦揃って校長先生に話しに行きました。

 長女の歯並びがおかしくなったとき、数年かけて矯正歯科に通いました。

 子どもが具合悪くなる度に、頭を下げて休みを貰って医者に通わせたり、入院に付き添ったりしてきたわけです。

 なのに、起立性調節障害という、一見命には別状のない、長く付き合っていかなければならない、対処方法すら不明確な病気になった次女のことは、いずれ治る病気だからと放置して置いて良いのでしょうか。


 仕事を休むという後ろめたさ、休んでいる間も学童保育や預かり保育を使うという申し訳なさもありましたが、全ては次女のためです。


「お母さんも休みを貰ってる。親が本気になって次女のことを支えようと思ってるんだよ。ありがたいよね」


 学年主任の先生がおっしゃいました。

 子どもを本気にさせるには、先ず親が本気にならなければなりません。

 こうして、6月1日から、私の介護休業がスタートしました。

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