三者連携

 天候の関係もあったのか、5月に入ってからはほぼ毎日のように次女を、夜、中学校に送っていきました。

 運動会の応援練習があった日は、職場から先ず自宅に直接向かい、公民館に長男を連れて行ったあと、学童で三女、幼稚園で次男を拾い、自宅へ戻りました。その足で直ぐ次女を車に乗せて中学校へ行き、用事が済んだら自宅へ。応援練習が終わった時間に長男を迎えに行き、帰宅後夜ご飯の準備という、超ハードスケジュールです。遅番のため、ご飯の準備は半分くらい終わっていたのでなんとか出来ていましたが、普通に考えたらあんまりでした。

 立て続けに行事があるのが5月です。保育参観に進路説明会に、長女の部活の大会、それに地元の祭り……。

 毎日スケジュールを確認していなければ、何かを忘れてしまうんじゃないかと思うほど、バタバタしていました。


 そんな中、中学校からお願いされたことがありました。

「次女さんのためにも、もし可能なら、県立病院で一緒に今後のことについて話を聞きたい」

 毎日夕方連れて行っているとはいえ、授業には全く出ていないわけですから、要するに不登校とほぼ変わらない状態の次女を心配し、学校でも色々と話し合ってくださっていたようです。

 家と学校、家と病院という、バラバラな方向で対応していると、意見や意向のズレが生じてしまう可能性があります。そこで、家と学校と病院という三つが一体となって次女の今後について申し合わせがしたいというのです。

 診断書を貰った8日火曜日に、県立病院の先生にそのことをお話しすると、大丈夫ですとのこと。

 中学校側とも確認し、日付を決めました。

 更に、学校で折り入って話があるということ。両親揃って学校に来て欲しいというので、そちらの日程も調整しました。


 今までは、通院して指導されてきた内容を学校側へ私が一方的に伝えるだけになっていました。

 それが悪いということではないのでしょうが、やはり直接、心療内科的にどのような治療方針なのか、学校側でも確認しておくべきだという、強い意志があったようです。

 次女が学校にまともに通えていないことに関しては、もしかしたら私たち以上に、中学校側は深刻に考えていたのかも知れません。

 中学3年生ともなると、既に受験までカウントダウンは始まっています。

 授業を全く聞いていない、勉強していない次女が、他の子たちに混じって受験しなければならないのですから、戦々恐々とするのはうなずけます。

 私たち夫婦も、このままではダメかも知れないと、真剣に介護休暇について検討していたわけですし、この学校側からの提案に乗らないわけにはいかないと思いました。


 5月22日火曜日、夫が一日休みを取りました。

 11時から次女のいつものカウンセリングと診察。終わったところで一旦家に戻り、次女を中学校へ置いてから、再度県立病院へ。14時から三者交えての話し合いをしたようです。

 中学校からは学年主任の先生がいらっしゃいました。

 細かいないようについては分かりませんが、どのような治療を行っているのか、行っていくのか、学校側としてどのように対処するのが適切なのかなどを話し合ったようでした。

 終わったあと夫は、どうしても外せない仕事があると職場へ。

 次女は学校から久しぶりに歩いて帰宅しました。

 更にその日、夜には応援練習と小道具作りのため、私自身も仕事が終わってから長男と一緒に公民館へ行かねばならず、下の子たちを回収したあと、20時頃までかかって作業をしました。


 そして私はこの頃になって、ようやく職場の同僚に、自分が介護休業を申請したのだということ、申請が通って6月1日から3ヶ月の予定で休むことになったこと、場合によっては延長もあるかも知れないことを終礼で伝えました。

「そんな大変なことになってたのか」

 新しいチームリーダーには特に心配されました。子どもの具合が良くないことは、時々話していたつもりでしたが、毎日私が仕事に来るので、それほど深刻だとは思われていなかったようです。

「もしかして、うさぎ飼い始めたのもそれ?」

「そうです。少しでも良くなれば良いなと思って、アニマルセラピーのつもりで。最初は子どもたちが世話をするって約束だったけど、今は殆ど私がやってます」

「うわぁ、大変だなぁ」

 同僚の皆さんにも、色々と声をかけていただきました。

「もしかして、学校休んでるって言ってた子? 受験生なんだもんね」

「今のうち、一緒にいてやった方が良いよ。今が大事だもん」

「そういうとき、お母さんが一緒にいてやらないと」

 本当に、温かい言葉をかけてくださいました。

 私が休むかも知れないと分かってから、他の営業店からパートさんを貸して貰ったり、求人を出したり、研修から戻って仕事をやっと始めた新卒君を早期に即戦力に出来るよう指導体制を整えたりしてくれていた課長には、本当に頭が上がりません。


 日本の殆どの企業は、人員に余裕を持とうとしていないのが現状です。

 例えば誰かが倒れたら、その分を更に少ない人数でこなそうとします。

 これ以上は無理だというところを超えて、仮に仕事が達成出来たとして、それを今度は新たなスタンダードにしようとするのです。

 例えば普段は5人で回している職場。繁忙期になると5人では本当はキツキツで、休憩を取る余裕すらない職場があったとします。これがあと1人か2人いれば、余裕が出来るのにと思っていても、繁忙期以外はその、あと1人か2人が余分なわけですから、雇うのを良しとはしません。

 そして5人でどうにか回して、そのうち1人が何らかの事情で職場を抜けた場合、直ぐに補充出来る体制はないのが現状です。仕方なく5人の仕事を4人で回す。何とか回る。残された4人が知恵を出し合って、必要最低限のところだけで回す。もし余裕があれば、あちこち目配せ出来るのに、余裕が無いから最低限の仕事だけで回した結果、仕事が回ったとします。すると、それが新たな定員となってしまう。

 てんやわんやしているのをお客さんは見ているわけですから、自然とお客さんが減っていきます。それで全体の売り上げ、仕事量が減っていたとしても、表面上仕事が回っていることしか見ていない上層部は、人手不足による悪循環を、残ったメンバーの怠慢だと捉えてしまうこともあろうかと思います。

 全ての会社がそうだとは断定しません。

 しかし、少なくとも、私の職場にはそのような兆候があります。

 休むということは、他の人の負担になるということです。だから、なるべくなら休まないのが良いと思ってしまいます。

 労働者の権利として、有給休暇を与えられていますが、休むことに罪悪感を持って、年間20日間の休みを殆ど使わない人が大半を占めます。

 本来ならば、休暇によって得られるリフレッシュこそが大事なのですが、リフレッシュを害悪と感じてしまうほど、追い詰められていくのです。


 だから最後まで、休んで良いのか悩みました。

 私は仕事から逃げてるんじゃないのか。

 こんなことで、次女が朝起きられないという、明確な治療法も分からない病気になっただけで休むというのは悪いことなんじゃないか。

 妊娠出産等で休むときとは、明らかに気持ちが違います。

 自分ではなく、家族が原因で休む。自分はもしかしたら、付きっきりである必要は無い。しかし、何時から何時までなら介助が必要なのか、いつ不要になるのか全く予測も付かないため、本気で家族のことを考えるなら丸一日休む必要がある。

 本当に心苦しかったのですが、私の置かれている状況を伝えると、殆どの方には理解はしていただけるようでした。 

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