4th.Bullet 水橋鈴歌
アスファルトがヒビ割れ、生活の気配がない朽ち果てた道路に立っていた。曇天に乾いた砂の風景が重なって、荒涼という言葉がよく似合う。
「ッ!」
咄嗟に置き捨てられた車に身を隠すと、複数の銃声が聞こえた。覗き込むと、道路の先に機関銃を構えた敵が見える。
「わたしが倒す!」
飛び出して、走り出す。体が軽い。全身で風を感じる爽快感がたまらない!
銃弾が頬を掠めた。だが、駆け抜けたいという衝動は止まらない。
敵の方角へ走る。ゴミ箱の裏に滑り込み、車のボンネットを蹴り、ウサギのように飛び跳ねて銃弾を置き去りにしていく。
そうして、スローモーションな世界で唖然とした敵の頭に照準を合わせる。この手が握っているのは、【P226】。
「ワン・ダウン」
カッコつけて着地した直後、背後から一発の銃声とうめき声が聞こえた。白いキャスケット帽が、二挺拳銃を弄ぶ。
「油断すんなスズカ」
「ごめん。でも、エコーが一緒なら安心だもん」
そう言うと、エコーは余裕げに笑う。
「じゃ、さっさと倒すか」
「うん!」
うなずいて、拳銃をリロードしようとした。その手を、背後から掴まれる。振り向き、スズカは目を見開いた。
「か、カサネっ!?」
「…………」
緑髪の少年はスズカを体ごと引き寄せ、無言でじっと顔を見つめる。
憧れが目の前に。その現実を直視した瞬間、スズカは考えるのをやめた。思春期全盛の乙女心が限界だったのだ。
「う、うぉぁはぁぁ……!!」
「おいスズカ! お前のパートナーは俺だろ!」
力強く、エコーに引っ張られてそのまま抱きしめられた。あまりの近さに、男性への耐性がないスズカはか細く悲鳴を上げる。
「~~~~~~!」
「…………」
カサネも負けじと詰め寄る。
二人の少年に挟まれるスズカ。憧れと憧れが、自分を取り合っている。
「わ、わたしどうしたら……――――」
◆
「うぅ……顔が、顔がいいよぉ……カッコよさにおしつぶされりゅぅぅ……」
「おねぇぇぇちゃぁぁぁん!! ぐっっっもーにーん!!」
「ぎゃーっ!?」
ガァァァァンと四畳半の空間に金属板をブッ叩いた音が響き渡る。
ベッドから転げ落ちて目を開けると、逆さまの視界に幼女が現れた。手にはキッチンから持ってきたおたまと、おそらく物置から拝借したであろうボコボコのクラッシュシンバル。
幼女こと妹は、えっへんぷい、と胸を張って元気いっぱいに声を張る。
「お姉ちゃん、しんどそう! でもぐっもーにん!」
「ぐ……もーにん……」
蚊取り線香を吸い込んだ蚊のような声で挨拶を返し、鈴歌は起き上がる。寝ぼけた目をこすりながら、大きく伸びをした。
「んぇー……時計、どこだっけ……」
「ろくじはんだよ! ねぼすけめ!」
「なぁんで平日の朝から元気なのかねこの小2は……」
髪を手櫛しながら起き上がると、体に引っ張られて掛け布団が床へずり落ちる。ゴトリ、と羽毛にはあり得ないような重たい音が鳴った。
その瞬間、鈴歌に電撃走る。
Q:昨晩、初のプレイングで疲れ果てたわたしはヘッドギアをどうした?
A:外した瞬間から記憶がない。つまりはベッドの上にあった。
「どぉぉおおぁ!?」
大慌てで布団をめくると、そこには案の定、光沢のある漆黒のリングが。動作確認でスイッチを入れると、青白いラインが走る。どうやら、問題はないらしい。
「よかったぁ……」
「お姉ちゃん、それゲーム? 楽しかった?」
「うん。
「やたー!」
純真な妹に癒されつつ、鈴歌は昨日の体験を想起する。
やっと飛び込んだ憧れの世界。そこは想像していたよりも過酷そうだけど、優しい人もいた。現実と一緒で、いい人も嫌な人もいるってだけ。
私はその世界でも、最高級の出会いを果たした。
二挺拳銃の使い手にして、初めてのフレンドにして、銃の師匠……と勝手に仰いでいるプレイヤー『エコー』
未だ、文字通り夢にまで見るほどにあの興奮は治まらない。
『またな』
「またな、かぁ……んふふ……」
「お姉ちゃん、笑いかたヘン! でも楽しそう!」
「ちょっといい事あったの。よし! きっと今日もいい事あるからがんばる!」
「お姉ちゃん、がんばれ! でもかみの毛ぼんばーしてる!」
鏡台を一瞥し……まずはシャワーにしよう、と鈴歌はヘッドギアを机に置いたのだった。
◆
(フッツーに考えて、夢でわたしなんかの取り合いさせるなんて、失礼極まりないよね……)
一緒にシャワーを浴びた妹の髪を編みながら、ぼんやりとそんなことを考える。
憧れてる、という言葉を免罪符にはできない。あれは都合のいい
「……ん、終わったよ」
「お姉ちゃんありがと! わたしもあみあみする!」
「ありがとー」
智枝はやけにはりきって、丁寧に髪を束ねていく。
はて、そういえばどうしてわたしはこんな時間から起きているんだっけ、と鈴歌が疑問符を浮かべていると、るんるんと跳ねるような声で智枝が言う。
「きょうから学校だもん! お姉ちゃんもこーこーだから、わたしがきれーにあみあみするね!」
「あそっか、今日から高校か!」
「アンタが忘れてどうすんのよ。入学式なんだし、忘れ物とかないようにね」
呆れ気味の母に制服を渡され、鈴歌は心に生じた小さな不安を見つめる。
(高校生……うまく、やれるかな)
少し落ち込みそうになるが、くいっと後ろ髪を軽く引っ張られた。
「だいじょーぶ。きれーなあみあみにするから、お姉ちゃんはだいじょーぶなの!」
「……うん。がんばるね、智枝!」
「がんばれお姉ちゃん!」
ぐっとこぶしを握って見せると、智枝もひまわりのように笑い返す。鈴歌はそれだけで心が晴れ渡った。
「微笑ましいのはいいけど、さっさと朝ごはん食べなさいね」
「「はーい」」
◆
「とはいえ不安がががが」
昇降口で自分の名前を見つけ出し、鈴歌は出席番号順の机に座った。
しかし、時間が少し早いというのもあって他の生徒もまばらであり、話せる相手なんて誰もいない。
クラスの振り分けや出席番号は、学校に足を踏み入れると同時にメールで届いた。何度も出席番号を確認し、自分の席の場所が間違っていないかを再三に確認し、終いには『1-3』というクラスの表示が間違っているんじゃないかという謎の心配を始めた頃、ようやく心のよりどころが現れる。
「おっ、その振動具合は間違いなくスズ!」
「
情けない声で友人にすがりつく。
中学時代、唯一の味方であった彼女はがしがしと頭を撫でつけてくる。
「よーしよし。お、今日のおぐしは気合入ってるね! さてはちっちゃんの仕業だな?」
「うん。高校でも大丈夫なようにって」
「あー……ま、それなら平気平気! ちっちゃんのおまじないプラス、あたしが一緒のクラスなんだからさ!」
その言葉だけで、鈴歌はとても救われた気持ちだった。自分の短所を知られてもなお頼れる存在が身近にいることがどれだけの奇跡なのか、彼女は痛いほど知っている。
(ありきたりだけど、茜は太陽みたいで……わたしにはもったいない友達だ)
鈴歌は自分の陳腐なボキャブラリーを自虐しながらも、彼女へしなだれかかる。茜は動物をあやすように「よーしよし」と頬やあごをさすった。
「一時間目はホームルームらしいから、それまでゆっくり話そうか!」
「心細かったよぉ」
「あたし離れできないねこの子は! って、そういえば買ったんでしょ。どうだったの、【Bullet's】は!」
「聴いて驚け、フレンドできたの!」
「えーマジかー! ……え、マ? コミュ力赤ちゃんなスズがマ!?」
昨晩の顛末を大袈裟に身振り手振りしながら語っていると、始業の鐘が鳴り響く。いつの間にか教壇にいたジャージ姿の女性教員が、気だるげに眼鏡を直しながら声を出す。
「あーホームルームはじめまーす。……って人数足りなくない?」
言われて見渡すと、入学式の日にも関わらず空席が二つあった。しかも、ひとつは鈴歌のとなりである。
教師は隈のある目をくっと絞り、出席簿を開いた。
「あー、
一人納得したらしい彼女は出席簿を閉じる。
「はい、私は岡野悠子。ここの担任である。よーし。じゃあ一番から自己紹介よろ」
「はい! 出席番号一番、
ピンと手を挙げて立った茜が笑顔で言い、すぐさま座る。ありきたりな文面ではあるが、あれは明るい女の子というイメージを一瞬で確立しながらもヲタ友へのシグナルを送る高度テク(と、勝手に鈴歌は思っている)なのだ。
そうしてつつがなく自己紹介が進み、次が鈴歌の番。
(緊張ががが……よーし落ち着けわたし。フレっフレっ、わたし。大丈夫。茜のマネをすれば何事もなく終わる。そう、わたしはフツーのおにゃのこという地位を確立すればいいのですから!)
ひとつ前の席、ぼそぼそと喋った背の高い女子が座る。よし、と気合を入れて立ち上がる――と、教室のドアが開いて雲一つない青空のような気持ちのいい声が教室を渡った。
「おざーっす!」
元気はつらつで入って来た少年は顔面や指先といった、見える肌の至る所にガーゼや絆創膏を張り付けていた。ところどころに滲んでいる赤茶色が、それが本物の傷であるとハッキリ示す。純朴で濁りのない笑顔であるが故に、傷痕の異質さが印象に残る。
だが、続いて入ってきた生徒も異彩を放っていた。
「…………」
口を静かに閉じたまま、瞳は何事にも興味を示さない。無表情というよりは無愛想な少年。そんな彼が教室中の視線を集めたのは、教師の前だというのに堂々とヘッドホンを付けたままでいたからだ。
他の生徒はもちろん、鈴歌は座ることすら忘れるほど驚いて、教師の対応を待っていた。
「あー……遠野、寝坊?」
そこじゃないでしょ、というツッコミは生徒の総意だった。が、誰も指摘する勇気はない。
「先生! 俺を迎えに来てくれただけです!」
「んー……まいっか。ついでだから、自己紹介してから座ってどうぞ」
言われた通り、まずは傷だらけの生徒が返事をしてから生徒の方へ向き直る。
「
キッチリとお辞儀をすると、敬多は一歩横にスライドし、ヘッドホンの少年に挨拶するように促した。
「ほら、大きな声で!」
「うるせぇんだよボケ」
不機嫌そうに短く言い放つと、彼は低く小さいのに不思議とよく通る声で名前を言った。
「……
「カサネッ!?」
条件反射で背筋を伸ばした瞬間、ガタガタッと椅子やら机が騒々しく音を立てる。『やらかした』と顔から血の気が引くのを感じた。
鈴歌にとって特別でも、一般人からすれば珍しい名前というだけ。過剰な反応を示すのは単なる奇行に他ならない。
そのため、遠野重音に注がれていた視線は一気に自己紹介もまだな女子生徒へと向けられる。四方から見つめる六十近い瞳を前に、鈴歌は「なんでもナイデス……」と消え入るように座り直すしかなかった。岡野教諭はいぶかしげに頭を掻きながらも、スルーした。
「ま、いっか。とりあえず鐘堂はそこ、遠野はそっちに座って。じゃ、いましがた立ち上がってた水橋から自己紹介再開ね」
「うぇ!?」
居眠りを指摘された学生のように慌てて立ち上がった鈴歌は、考えていた自己紹介文が脳内からフッ飛び、目をグルグルと回しながら言葉の断片を探す。
「え、あ、っと。み、水橋、鈴歌です! 好きなた、たべ……じゃない、好きな趣味は、ゲームと……ゲームですっ!」
◆
「……やらかしたねぇ」
「失敗した失敗した失敗したぁ…………人生やり直したいぃ……」
逃げるように顔を逸らし、熱くなった顔を両手で隠した。
あの後はすぐに入学式のために体育館へと移動し、終了した後は教室で諸々の教科書が渡され、現在。ほとんどの生徒が早々に下校し、昼下がりの教室に残るのは鈴歌と茜のみである。
「まーでもビビるよね。カサネってスズの好きなあの人でしょ? ネット人生そこそこ長いけど、ユーザーネームですら滅多に聞く名前じゃないもん」
「同じクラスってだけならまだいいよ。変な人って思われても別にいいし……でも、なんでとなりの席……!?」
恐れおののいた目が右方を見る。教科書が放置され、学校指定の鞄が掛けられたままのそこが、遠野重音の席なのだ。さらに、席は一か月後の席替えまで据え置きらしい。
「出席番号なんてそれこそ名前の問題だし、ある種の運命なのでは?」
「やめてよ、本当にそうなる気がしてきた……」
「【Bullet's】のフレンドも二挺拳銃使いって共通点があるんじゃん? このまま行けばマジのカサネと接点できるかもよ! というか遠野くんがカサネだったりして!」
「あんなにすごい人がリアルネームをそのまま使うかなー……というかあんなすごい人が高校生なワケないじゃん」
「だよね。リアルネーム使うとか、スズじゃあるまいし!」
「こらッ!」
小馬鹿にして笑う彼女のポケットからヴヴ、とバイブレーションの音がした。どうやら、設定していたアラームらしい。
「あ、もう時間だ。帰ろっか!」
「うん。何か用事あるの?」
「今日は二時にメンテ終わってイベント開始なのさ」
「茜も大概だよね……」
苦笑いの鈴歌は、翌日に寝不足の顔でふらふらと教室に入る茜が容易に想像できた。彼女はどのジャンルであっても、ゲームを始めると食事とトイレ以外の全てをプレイ時間に費やし、体力の限界を迎えると泥のように眠るという習性がある。おそらく明日は死にかけの顔で「悔いなし」と親指を立てるはずだ。
鞄を持ち、廊下へ出た。茜は端末を三回ほどスワイプし、ポケットに突っ込む。
「スズは帰ってまた【Bullet's】やるの?」
「うん。特訓してもらう前に、自分でできることはやろうと思って」
「エラい! そういうの好感度高いよ!」
とはいっても、すっ飛ばしたチュートリアルを真面目に受けるというだけなのだが。
褒められたことに軽い後ろめたさを感じて、外へと顔を逸らした。いまは静まり返っている運動場も明日には部活生で賑わうのだろうと考えると、窓から見えるがらんどうの景色が少し感傷的に思える。野球部の掛け声や遠雷めいたトランペットも嫌いではないが、学校は怖いぐらいに静かな方が鈴歌は好ましかった。
(明日…………次はいつ会えるかな……)
ぼんやりと、初めてのフレンド兼師匠の
(エコーは美形だけど、あれはやっぱり顔の設定変えてる……のかな。……どっちにしろ、雰囲気込みでカッコよかったなぁ)
「――ちょ、スズ!?」
「うぇふっ!?」
ぼすっ、と何かにぶつかる。壁にしては柔らかく、クッションやマットにしては硬い。
(凹凸があって、いい匂いがして、温かく、て…………)
顔を上げ、鈴歌は凍り付く。10センチもない距離に、人の顔があった。少し驚いたように開かれた両目、ニキビも皺もない頬、正中線を引けばほぼ左右対称ではないかと思えるほど整ったパーツ。少しお高そうなヘッドフォン。
とても綺麗な顔立ちの、遠野重音がそこにいた。
「ごッ!? ごめんな、さい!」
「…………」
飛び退いて頭を下げる。普通なら何か反応があるものだが、重音は無言で鈴歌を一瞥していた。目が合った瞬間、全身の筋肉が強張って呼吸が止まるほどの冷淡な双眸だった。
そのまま目線を前に向けると、重音は軽く会釈して二人とすれ違って歩き去る。彼が廊下の角を曲がったのを確認して、茜は血の気が引いた鈴歌の肩を叩く。錆びたハンドルのような動きで、鈴歌は茜にすがりついた。
「大丈夫?」
「こ、こわ、こわっ……」
「ほら、推しの画像見て落ち着いて」
「あぁ、推し……てぇてぇ……」
小さな液晶に映る好きなキャラクターを精神安定剤に、茜は鈴歌に深呼吸を促した。
「たぶん怒ってたわけじゃないから大丈夫だよ」
「そうかなぁ……?」
「ほら、たぶん目つき悪いだけだよ」
「わたし、名前に変な反応しちゃったら嫌われてるんだよ……」
「考え過ぎだってばもう! ほら、帰って通話繋ぎながら『ぷり☆すた』見よ? ね?」
「やだ。【Bullet's】する」
「コイツー!!」
調子を取り戻した鈴歌は、茜とじゃれ合いながら昇降口へ降りて行く。
「…………」
その時、遠野重音は曲がり角の陰に背を預けていた。顔を出して二人を見送るわけでもなく、ただ静かに窓の向こうを眺める。そうして目を瞑り、何か思いつめたような表情を、
そうして冷たさのある鉄面皮に戻った彼は、外していたヘッドフォンを耳に戻した。
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