第15話 妖精騎士団の闇

 突如として変貌した朝香。その気味の悪さに、梓の弓を持つ手が震える。

(見かけが変わったから何だというの? 大丈夫……いつも通りにやっていれば勝てるはず)

 梓は冷静を保とうと己に言い聞かせ、新たな矢を生成する。

 赤い傘はくるくる回りながら、梓の方に裏を向けた。

(来る!)

 梓の眼鏡が光る。赤い傘からは血のような赤い雨が弾丸の如く降り注ぎ、梓へと迫った。梓はそれをよく見て避け、素早く移動しながら矢を射る。

 朝香は回避行動をとらず、矢は的中したかに見えた。だが突如、レインコートの袖が鋭い歯の並んだ肉食獣の口のような形状に変形し、噛み付くようにしてがっしりと矢を掴み止めたのだ。

(止められた!?)

 今まで使ってこなかった能力の使用に、梓は朝香の豹変を改めて確信した。

 梓はこれまでにもモードチェンジのように見た目と使う魔法が変わる魔法少女と対戦したことはあった。だが朝香のそれには、今まで対戦してきたものとは異質な何かを感じていた。何故そう感じたのか理論的な説明はできなかったが、朝香の全身から溢れ出る殺気が、梓にそう感じさせたのだ。

 梓の矢は朝香の袖に噛み砕かれて消滅する。朝香はこの世のものとは思えぬ怪物の悲鳴のような雄叫びを上げた後、赤い傘を更に二つ作り出した。三つの傘から放たれる赤い雨は、執拗に梓を狙う。

 傘が三つに増えより激しくなった雨を避けながら、梓は隙を突いては反撃する。しかしこれも全て先程と同じように防がれた。

 姿が変わっても、朝香の攻撃は変わらず単調。梓にとって避けることは難しくないものである。お互いに攻撃が思うように決まらず、試合は膠着状態に陥ったかに見えた。

 梓は足下に水溜りには絶えず警戒していたつもりだった。踏みさえしなければ危険は無い、そう思い込んでいた。だが血の池のように赤い水溜りは、突如として破裂して赤い雨水を辺りに撒き散らしたのだ。

 赤い雨水に触れた梓は、さながら太い棘に刺されたような痛みが身に走った。

「痛っ……! 何、これ……」

 これまで魔法少女バトルでは感じたことのない痛み。HPも残り僅かまで一気に減った。

 魔法の性質が変わったならば水溜りの効果が別のものに変わるのも不思議ではなかった。不意を突かれて避けられなかったのは仕方が無いにしても、これほどの攻撃力があるとは梓の予想を遥かに超えていた。

 梓が怯んだ隙を突いて、三つの傘は雨水を発射する。反応が遅れた梓は、もう避けられない。赤い雨を全身に浴び、梓は激痛に悶え苦しむ。変身解除されバリアに包まれると痛みは消え、一先ずは安心した。

「っ……」

 初めての敗北。だが今の梓にとっては、負けた悔しさや赤い雨の痛みよりも理不尽で意味不明な状況への困惑の方が強かった。

 梓は変身解除され、既に試合は終了した。にも関わらず、赤い雨は降り続けバリアの表面を流れ落ちてゆく。

「ちょっと、いつまで攻撃続けてるのよ! 変身解除された相手への追撃はマナー違反よ!」

 梓はバリアの中から朝香に注意するも、朝香は攻撃を止めない。

(声が聞こえていない……? いいえ、これまで私の戦ってきた相手の声はバリアの中からでもはっきりと聞こえていたわ。だとしたら今の彼女は、攻撃を止められない状態にあると見るべきなのかしら)

 無敵のバリアに守られている安心感からすぐに落ち着きを取り戻した梓は、現在の状況を冷静に分析する。思えば朝香はこの姿になってから、一度も言葉を発していなかった。呻り声や雄叫びといった声を発することはあっても、はっきり言葉と呼べるような声は一度も出していないのである。だとするならば、朝香は他者と意思疎通のできない状態の可能性が考えられるのだ。

 梓がこの状況から脱する方法は簡単、バリアの中でアプリを操作して家にワープすればいいだけのことである。変身解除された相手にどれだけ追撃してもそれは単なるマナー違反でしかなく、本来ならば相手にとって何の脅威にもなり得ないのだ。梓も当然そのことは理解しており、こんな不気味な相手のことは放っておいてさっさと家に帰ってしまおうかとも考えた。だが相手は小学生の女の子である。それがこんな異常な状態に陥っているのを、正義感の強い梓は放ってはおけなかったのだ。

 魔法少女バトルに関するトラブルは妖精騎士団に任せるべきなのだが、あちらから連絡が来ることはあってもこちらから連絡をすることはできない。とりあえずは様子を見ながら、騎士団の誰かが異常を察知してやってくるのを待つしかない。

「雨戸朝香さん、私の声が聞こえる!? 聞こえているなら何か返事をして!」

 朝香の状態を確かめようと、梓は声をかける。だが、返事は無い。赤い傘は絶えず赤い雨を降らせ続けている。

 ふと、梓は何かが軋むような耳障りな音を頭上に聞いた。何かと思い見上げた梓は、瞬間血の気が引いた。バリアに皹が入り、そこから赤い雨水が染み出しているのだ。

(どういうこと!? このバリアは魔法少女の攻撃では絶対壊れないはずじゃ……)

 当たればHPが大きく削られるほどの攻撃力を持つ赤い雨である。果たしてそれに生身で触れたら、一体どうなってしまうのか。梓は想像しただけで背筋が凍った。

(仕方が無いわ、彼女のことは心配だけど、自分の身には代えられない。もう家に帰りましょう!)

 梓はアプリを開き、自宅への転送ボタンを押そうとする。だがその瞬間、遂にバリアは決壊。赤い雨水が梓に降りかかった。

 絶体絶命の間際、梓は周りの時間が遅くなったように感じた。

 しかし梓が赤い雨をその身に浴びることはなかった。どこからともなく飛来した無数の矢が梓の頭上でピタリと静止し、赤い雨を防ぐ傘となったのだ。

 更にその後、螺子のような回転を伴った矢が風を切って突き進み、朝香の身に突き刺さった。目にも留まらぬほど速いその矢には、盾になろうとした赤い傘も噛み付こうとした袖も間に合わず。朝香はその一撃で変身解除されバリアの中に倒れた。朝香の変身が解けたことで、赤い傘や周囲に撒き散らされた赤い雨水は全て消える。

「無事かね、三日月君」

 梓のピンチに颯爽と颯爽と現れたのは、妖精界一の弓使い、ホーレンソーである。梓の横に立つホーレンソーはいつも通りのキザったらしい口調と裏腹に、何時に無い真剣な眼差しをしていた。

「ホーレンソー、これは一体どういうことなの?」

「そのことに関しては追って説明しよう。とりあえず生身のままこの場所にいるのは危険だ。君は自宅で待っていたまえ」

「えっ、ちょっと、ホーレン……」

 梓が言い終える前に、ホーレンソーは魔法で梓を自宅に強制送還させる。そしてその後、朝香の斜め後ろに向けて弓を引いた。

「そこにいるのだろうカクテル。出てきたまえ」

 ホーレンソーがそう言うと、矢の示す先の何も無い場所にカクテルが蜃気楼の如く姿を現した。

「おやおや気付いていましたか」

「雨戸朝香の暴走に、バリアの破壊。それに穂村瑠璃の昏睡も貴様の仕業だな。どういうことか答えてもらうぞカクテル。事と場合によっては貴様の首が飛ぶことになるがね」

「オマエモナー」

 背後から聞こえた声に、ホーレンソーははっと振り返る。音も匂いも気配さえも無く近づいたソーセージが、ホーレンソーの首筋にクナイを突きつけていた。

「ソーセージ……やはり貴様も共犯者か」

 ホーレンソーは両腕を下ろし矢先を下に向ける。そしてそこから目にも留まらぬ早業で、地面に向けて光の矢を撃った。炸裂した光の矢は、眩い閃光を辺り一帯に撒き散らす。

「くっ!」

 目を眩まされてカクテルとソーセージは一瞬怯み、その隙にホーレンソーは脱出。だが、ソーセージは視力が回復していないにも関わらず気配だけを頼りにクナイを投げた。ホーレンソーはそのクナイに矢を放って打ち落とす。だがそのクナイは囮。ソーセージは五人に分身して跳び上がり、空中から一斉に襲い掛かる。

 ホーレンソーは五本の矢を同時に矢に番えて射った。全ての矢が的確にソーセージの心臓を射抜き、五体の分身は消滅する。その分身すらも囮で、本体はホーレンソーの背後からクナイを投げた。空中に跳び上がって躱したホーレンソーは、空中で矢をペン回しのように回転させた後間髪を入れず番えて撃った。慣性によって加速された矢であるが、忍者であるソーセージの身のこなしはそれすらも回避できる。あまりにも素早い回避は、矢が身体をすり抜けたかのように見えた。

 空中のホーレンソー目掛けて連続してクナイを投げるソーセージ。ホーレンソーはまるで重力に逆らっているかの如く滞空し、ひらりひらりと揺れる木の葉の如き動きでクナイを避ける。そして地上に向けて怒涛の速さで矢を連射。高速走行で矢を躱しつつホーレンソーの下を潜り抜けたソーセージは、こちらも跳び上がり背後から心臓を突き刺そうとした。ホーレンソーは空中で百八十度身体を回転させ、ソーセージの首筋に矢を向ける。

「やめなさい、ソーセージ」

 カクテルの鶴の一声で、ソーセージは動きを止めた。それに伴い、ホーレンソーも弓を引く手を止める。二人は互いに武器の先端を相手に向けたまま静止して着地した。

「仕方がありませんね。これは私の信用問題ですから、お話致しましょう」

 カクテルがそう言うと、ソーセージは武器を収めた。ホーレンソーはそれが罠ではないかと疑い暫く弓を構えたままでいたが、相手にもう攻撃の意思が無くなったことを理解し、自分も武器を収めた。

「貴様がその気ならば話は早い。早速私の質問に答えてくれたまえ」

「そうですね。まず単刀直入に言いますと、朝香の件も穂村瑠璃の件も私の仕業です。ご名答ご名答」

 ホーレンソーを煽るように、カクテルは拍手する。

「私は大会をより盛り上げるため、魔法少女がピンチになると覚醒してパワーアップするシステムを開発していましてね、私とソーセージの担当する魔法少女から一人ずつその実験台にしたのです」

「それが雨戸朝香と穂村瑠璃だった、と」

「いかにも。朝香は見事覚醒した姿を見せてくれましたが、穂村瑠璃は残念ながら上手く適合できず昏睡状態になってしまいました。尤も、魂の繋がった双子である穂村幸次郎を利用した新たな実験ができたのは素晴らしい収穫でしたが」

「貴様……罪も無い少女の人生を壊しておいてよくそんなことが言えたものだな」

「穂村瑠璃は本日大会から脱落したことにより身体から全ての魔力が消え、目を覚ましましたよ。健康状態も問題ありません」

「そういう問題ではない!」

「まったく、穂村幸次郎も間抜けなものです。自分が負ければ姉が目覚めることに最後まで気付かず、私の実験に沢山協力してくださいました」

「聞いているのかカクテル!」

 ホーレンソーの話を無視して幸次郎を罵るカクテルに、ホーレンソーは苛立ちを見せる。

「いいじゃないですか、無事目覚めたんですから」

「雨戸朝香についてはどうなのだ。そこで倒れたまま動かないでいるぞ」

「あれは気絶しているだけですよ。じきに目覚めます。覚醒している間は本人の意識は無く、魔力だけで動いている状態になりますからね。覚醒できず意識だけが無くなった穂村瑠璃は本当に出来損ないでした」

「……バリアが破壊されたのも、その覚醒によるものなのか」

「ええ。本来ならば魔法少女の攻撃では絶対に壊れないようになっているバリアですが、覚醒した魔法少女の魔法は通常の魔法少女とは違う魔力を帯びていますから破壊できるのです。なかなかスリリングで面白いと思いませんか?」

「正気かカクテル! そんな恐ろしいものを健全な魔法少女バトルに導入していいと思っているのか!?」

 カクテルの胸倉を掴み、ホーレンソーは声を荒げる。だがカクテルは全く動じることなく、ニヤニヤと卑しい笑みを浮かべていた。

「何が可笑しい……魔法少女は奴隷剣闘士ではないのだぞ! どんなに綺麗事を並べても、所詮魔法少女バトルは妖精界の利益のために人間界を利用しているに過ぎない! だからこそ参加者の身の安全は何よりも優先せねばならないのだ! そのお蔭で何百年と続けてこられたのではないか!」

「……五月蝿いですね」

 カクテルはまるで話を聞いてないとばかりに答えると、胸倉を掴むホーレンソーの手を払い除けた。

「このことは陛下に報告させてもらう。騎士の称号はおろか、爵位すらも剥奪されることを覚悟しておきたまえ」

 そう言うホーレンソーに対し、カクテルはくっくと嘲笑した。

「残念でしたねえ、そうはいかないのですよ。何せこの研究は陛下の承認を受けて行っているものですから」

 カクテルは懐から一枚の紙を取り出し、ホーレンソーに見せびらかす。それは研究の承認を示す書状であり、そこに押されているのは紛れも無い妖精王の印であった。

「馬鹿な……陛下がこんなことに承認を与えるなどありえん! 貴様一体どんな手を使った!?」

「人聞きが悪いですね。普通に承認されただけですよ」

 呆れ顔で言うカクテル。丁度その時、気絶していた朝香が目を覚ました。

「ん……ふにゃあ……」

「おや朝香、目を覚ましましたか」

「あ、カクテル……あれ? 私、どうしてたんだろう……?」

「貴方は勝ったんですよ。対戦相手はとっくに帰りました」

「ふえぇ、全然覚えてないよ……じゃあ私も帰る」

 朝香はスマートフォンを操作して自宅に戻る。

「さて、それでは私も自宅に帰りましょうかね。ホーレンソーさん、改めて言いますが、私の実験は陛下の承認を受けて行っているものです。これを阻止しようとするのは陛下の命に背くことと同義ですので悪しからず。あのパンプキン卿の息子という悪評から独力でここまで評判を上げた貴方ですが、ここで陛下の命に背いたとあればどうなるでしょうね」

 カクテルは嫌味ったらしくホーレンソーを煽りつつ、すっとその場から姿を消した。それに続いてソーセージもドロンと消える。ホーレンソーは拳を震わせながら、その場に立ち尽くしていた。


 自宅に戻った梓は、机に向かい今日の試合の復習と反省をノートに纏めていた。これは梓が魔法少女バトルの試合後欠かさずやっていることである。今日は初めての負け試合のためいつにも増して気合を入れたいところであるが、朝香の暴走やバリアの破壊等気になることが多すぎて、あまり集中できない様子であった。

「やあ三日月君、今日も勤勉に試合の復習をしているようだね。実に感心だ」

 梓の背後に現れたホーレンソーは、いつものように梓を褒める。

「来たわねホーレンソー。早速話してもらうわよ。まず、今日の対戦相手の子は無事なの?」

「ああ、彼女はつい先程目を覚ましアプリの機能で自宅に戻っていった。見たところピンピンしているし、健康状態に問題も無さそうだ」

「そう」

 ふと、梓はホーレンソーの異変に気がついた。ホーレンソーといえば、常に余裕ぶった態度のいけ好かない男である。にも関わらず、今の彼はどこか心ここにあらずといった様子で、何かに焦っているような形相をしていた。

「ホーレンソー、あの後何かあったのかしら。貴方、いつもに比べて様子がおかしいけれど」

「いやあ、今日は暑いからね、つい汗をかいてしまったのだよ」

 普段のホーレンソーは、西欧貴族が着るような暑苦しい服装をこの真夏にしていても汗一つかかないような男である。だがそれが全身汗だくで服を濡らしている。その上大声を出した後のように声を枯らしていたのだ。梓がホーレンソーのこんな姿を見るのは初めてであり、見て明らかにおかしいと解るものであった。

「そう、それならいいのだけれど。それで、どうしてバリアが破壊されたのかについても教えてくれるかしら」

「あれは事故だ。君を危険な目に遭わせて本当に申し訳ないと思っている」

 ホーレンソーは深々と頭を下げて謝罪の意を示した。普段はどんなにセクハラを咎めてもしらばっくれるホーレンソーが素直に謝る姿に、梓は動揺する。

「本来であれば、魔法少女バトルはあのような危険は起こり得ないはずのものなのだ。だが実際に事故は起きてしまった。これは完全に我々の落ち度だ。我々妖精騎士団は、二度とあのようなことが起こらないよう善処せねばならない。そして君がこれを機に魔法少女バトルから降りたいと望むのであれば、私はそれに従おう」

「別に降りようという気はないわ。せっかくここまで勝ち進んできたんだもの。それで、あの事故はどうして起こったものなのかは分かってるの?」

「……魔法少女バトルで起きたトラブルへの対処は我々妖精騎士団に任せればよい。君はこのことに深く関わらず、今後も勝ち続けることだけを考えていればいいのだよ」

 ここで突然しらばっくれたホーレンソーに、梓は不審の目を向けた。

「今日は残念ながら負けてしまったが、たまにはこういうこともある。気を落とさず今後も頑張ってくれたまえ。君の実力はこの私が認めているのだからね」

 焦りを隠すようにいつものようなキザな振る舞いをしつつ、ホーレンソーは梓に手を振り姿を消した。

「ちょっと、ホーレンソー!」

 残された梓は、肝心なことをはぐらかされたことに不満を抱くしかなかった。



<キャラクター紹介>

名前:射手座サジタリアスのホーレンソー

性別:男

年齢:27

身長:179

髪色:緑

星座:射手座

趣味:魔獣狩り

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