第149話 ムカつく野郎
外に出るとすでに夜になっていた。
と言っても、興行国家らしく夜も明かりを灯して営業している店が多く、見通しがそれほど悪いわけではない。なので、リックはすぐにアンジェリカを見つけることができた。
「なんで、着いてきますの!!」
「まあまあ、取り合えす落ち着こうぜ。さっきのブロストンさんだけどさ、別に悪気があって言ってるわけじゃないんだよ。あの人はアンジェリカのためになると思ったからアドバイスしただけなんだよ」
リックがそう言ったのを聞いて、アンジェリカは不思議そうな顔をする。
「……アナタ、もしかしてそれを言うためにわざわざ追いかけてきたんですの?」
「え? そりゃまあ、そういう部分もあるかな」
アンジェリカは呆れたようにため息をつく。
「はあ、あのオークはアナタの師匠なんですって? 大した師弟愛ですわね」
「それもそうだけど、アンジェリカが心配だったのもあるぞ。ブロストンさんが言っていたことは俺も感じたことだ。アンジェリカだってそれは分かってるんじゃないか?」
「……ずけずけとものを言ってくる師弟ですわね」
恨めしそうな顔をするアンジェリカ。
しかし、足を止めて酒屋の店先に置いてある木箱の上に座った。
アンジェリカは一息つくとリックに問うてくる。
「ワタクシはそんなに焦っているように見えましたか?」
「ああ。少なくともブロストンさんの言っていた「一度攻撃を止めて様子をうかがう」ってのに、自分の体力が尽きるまで気づかないような実力の人間じゃないと思ってるからな」
「そうですか……そうですわよね」
「何か焦る理由でもあるのか? いや、話したくないなら話さなくてもいいんだが」
「いえ、この際だから話しますわ。人に話したほうがワタクシも楽になるかもしれませんですしね。何より、情けない試合をして要らぬ心配をかけたままでは気分が悪いですわ」
アンジェリカはリックの方を見るとこう言った。
「アナタはワタクシの今のランキングをご存知ですか?」
「ああ、確か。七位だったな。あと一つ上がれば『拳王トーナメント』出場だろ? 大したもんだぜ」
「ええ、でもここ一ヶ月近くずっとその順位ですよの。だから、焦ってるんですわ。ワタクシも『拳王トーナメント』への出場を目指してるんですの。それもアナタと同じで、どうしても今年の『拳王トーナメント』に出なくてはなりませんの」
アンジェリカの言葉にリックは眉をひそめる。
言っていることは分かる。『闘技会』に所属しているのなら『拳王トーナメント』への出場を目標とするのは普通である。そして、あと一歩のところである七位からなかなか先に進めないとあっては焦るのも自然だ。しかも、アンジェリカは元二等騎士としての戦闘経験や技術を生かしてトントン拍子に駆け上がってきた人間である。焦りも人並み以上に感じようというものだ。
リックが気になったのは、「どうしても今年の」という部分である。リックたちのようなそもそもの目的が他の『拳闘士』たちと異なっているような雰囲気を感じ取ったのである。
「……アンジェリカ。それは、騎士を辞めてこの国で『拳闘士』を始めたことと何か関係が」
その時。
ガシャァァァァン!!
と大きな音が響いて、アンジェリカとリックが背にしていた飲食店から人が飛び出してきた。
「うお!?」
危うく飛んできた人と衝突しかけたリックだったが、そこは流石の反応速度と移動速度で見事に回避した。
飛んできたのは魚人族の男。『拳闘士』然とした屈強な体格と面構えには見覚えがあった。
「アーロン・ブリッツ!?」
アンジェリカが驚く。
それもそうだろう。今日自分と対戦して勝った男が、急に店の中から何者かにボロボロに叩きのめされた状態で酒場の中から吹っ飛んできたのである。
ここは血気盛んな者の多い『ヘラクトピア』である。恐らくありがちな酒場での喧嘩だろうと言うのは分かるが、一部リーグ五位のこの男をここまで叩きのめせる男など果たして何人いようかという話である。
「おい、お前。大丈夫か!? えーっと、確かブロストンさんが作ったポーションがここに……あった。おい、飲めるか?」
道端に倒れるアーロンに声をかけて応急処置をしようとするリック。
一方、アンジェリカは店内を覗き込んだ。
「あーあー、自分の女守るためだかなんだか知らねえけど才能のねえ雑魚が惨めにイキがってくれちゃってよお。どういう脳みそしたら、このギース様に勝てると思ったんだ?」
独特の感触を持った低い声が店内に響いていた。
その感触というのは、なんと表現するべきか。子供にレベルを合わせるということが全くできない大人が、児童と会話する時の感じと表現すればいいだろうか。とにかく見下しているということだけは一瞬で伝わってくる。
声の主は、竜人族の男だった。
その姿を見た時、アンジェリカは思わず息を呑む。
デカイ。常識はずれにデカイ。
これまで今外に転がっているアーロンも含め、数多くのガタイのいい『拳闘士』を見てきたアンジェリカだったが、彼らと比べても目の前の男の体躯は常識外れであった。
まず、前提として竜人族は人間よりも小柄だ。成人男性でも平均して140cm程度で筋肉は引き締まっている代わりに骨格も細身なのが一般的である。
だというのに目の前の男、ギースときたら身長が軽く2mを超えてしまっている。アンジェリカの目算だが220cm強といったところだろう。人間で言えば3mクラスの大男である。これだけでも冗談のような話だが、更にその骨格はオークやトロールやオーガかと見紛うほどガッシリとしており、長身であるのにもかかわらず細長いという印象は一切ない。むしろ、彫刻のような均整の取れたバランスをしているのだ。
アンジェリカは一瞬にして確信する。
この男だ。一部リーグランキング五位を徹底的に叩きのめして、窓の外までふっ飛ばしたのは。
竜人族の巨漢、ギースは自分の眼の前で唖然としている若く派手な服装の女に言う。
「ったくよお。てめえがぶつかってきたせいで、飲もうと思ってた酒が溢れちまったじゃねえか。どうしてくれんだよおい?」
ギースが座っていたと思われるテーブルの上には、琥珀色の酒が半分くらい入ったグラスがあり。もとはグラスの中に入っていたであろう液体が溢れていた。
「そ、そんな。少し溢れたくらいじゃない。それなのに、急に殴りかかってきて……」
派手な服装の女、アーロンの女かなにかのようだが、は震える声でそう言った。女の言う通り、溢れている酒は本当に大さじ一杯に満たない程度のものである。少なくとも、まともな神経ならこの程度で急に殴りかかってくるなどありえないだろう。
だが、ギースは凶暴な笑みを浮かべて言う。
「はあ? お前見た目通り馬鹿だな。量の問題じゃねえんだわ。こぼしたのが1ミリグラムだろうが一リットルだろうが関係ねえ。要はこの俺様の気に触ったかどうかの話だよ。別に今日特別機嫌が悪くて虫の居所が悪かったわけでも、特別上機嫌で水をさされたからカッとなったわけでもねえんだわ。たまたまお前が俺様にぶつかってきたのを、特に何の脈絡もなくムカついた。ただそれだけの話だ」
「……そんな」
メチャクチャな言い草に、唖然とする派手な服装の女。
「さて、どうこのイライラをすっきりさせて貰おうかなあ」
ギースはグラスを手に取り、残っていた酒を一気に飲み干す。
そして、平然とこう言った。
「まあ、とりあえず。脱げや」
「え?」
「え? じゃねえよ。言葉理解できねほど馬鹿かてめえは。脱げっつたんだよ。今、ここで。女が男の気分をよくできることなんて他にねえだろ?」
派手な服装の女は「まさか冗談でしょう?」とでもいうようにギースの方を見るが、その獣じみた双眸は完全に本気であった。
続いて女は助けを求めるかのように周囲に目を向けるが、店主も客も皆黙ってしまいその場から動けなかった。つい先程『拳闘士』の中でもトップクラスの実力者が倒されているのだ。いくら血気盛んな『ヘラクトピア』の男たちでも、下手に関わろうとは思えなかった。
自分の味方になってくれる人間はいないと分かった女は、目尻に涙を浮かべてその場に立ちすくむ。
が。
パリン。
と、ギースの手の中でグラスが粉々に砕けた。
そして、女の方を見る。
その暴力的な視線が言葉よりも雄弁に語っていた。
早くしろ、と。
女は震える手で羽織っていた上着を一枚一枚脱ぎ始める。なかなか、起伏に富んだ見事なボディラインだったためか、ギースは満足そうに目を細める。
下着だけになった女は羞恥に顔を赤らめながら言う。
「これで、許してくれるのよね……」
「は? 殺すぞ」
シンプルかつありふれた言葉だが、この男が言うと恐ろしいほどの現実味があった。
「お前何か勘違いしてねえか? ストリップショーくらいで気が晴れるわけねえだろ。いいからさっさとその邪魔な布とれよ。とったらそこの壁に手をついてこっちに尻向けろ」
いよいよ、女の顔は真っ青になった。
店にいる他の人間たちも、ざわつき始める。
「……ま、まさか、この場で、お、犯」
「当たり前だろうが。つか、女にそれ以外の価値があると本気で思ってんの?」
アンジェリカは我慢の限界だった。
「ちょっと待ちなさいアナタ!!」
ギースと女の間に割って入る。
「あーん? 何だお前」
ギースはアンジェリカを一瞥する。そして、この男はやはりまともではない。
「邪魔だ」
問答無用で殴りかかるために拳を振りかぶった。
が。
「まあああ、一旦落ち着きましょう」
また、間に割って入る者が現れたため、ギースは拳を止めた。
リックである。外でアーロンにポーションを飲ませ終え、店内に入ってきたのだろう。
「今日は気に障るやつの多い日だなぁ」
ギースは止めていた拳に再び力を込めたが。
「それくらいにしておかないかギース」
店の入口から声が聞こえた。
再びギースは拳を止める。そして、入口の方を見るとこう言った。
「おう、スネイプ。また老けたか?」
「はあ……頼むから『拳王トーナメント』まで自重してくれんか」
そう言ってため息をついたのは、先日リックが話をした西部リーグ運営委員会会長のスネイプであった。
「へいへい。ったく、別のところで飲み直すか」
ギースはそう言うと、まるで何も無かったかのように店を去っていった。
それを見て女は心底安堵したというように膝から崩れ落ち、周囲の人々も緊張を解いた。
だが、リックはむしろその姿にこそ恐怖を覚えていた。
(おいおい、ホントにヤバイなアイツ)
これだけの騒ぎを起こしておいて、最後は急にまるで何事もなかったかのように去っていったのだ。頭に血が上りきった人間ではこうはいかない。つまり、アイツは本当に本人が言ったとおり、少し苛ついただけでこんなことを平然とやってのけるのである。
リックがそんなことを考えている中。
「皆さん。大変ご迷惑をおかけしました。店主様は壊れたものを教えてください、私の方で弁償させていただきます。それから怪我をされた方はこちらの方で治療費は負担させていただきます」
スネイプが穏やかな声でそう言うと、とりあえず店の中も落ち着いた空気を取り戻す。
それを見て、ウンウンと頷いたスネイプはリックの方に歩み寄ってきた。
「これはこれは、リックさん。このようなところで出くわすとは。いや、身内の恥を見られてしまってお恥ずかしい限りです」
「身内ですか?」
「はい。彼、ギース・リザレクトは年の離れた弟でしてね」
「ずいぶんとデカイ弟さんですね」
確かに二人共竜人族であるし、どことなく目鼻立ちなどが似ている部分もあるかもしれない。体格が小柄で細身のスネイプとは似ても似つかないので、全く気づかなかったが。
スネイプは更に。
「何ですの!! あの不愉快な男は!!」
と、一人だけ噛み付くようにギースの後姿を睨んでウーウーと唸っているアンジェリカに声をかける。
「アンジェリカさん、お怪我はありませんか?」
スネイプに話しかけられたアンジェリカは、そちらの方を見ようともせず不機嫌そうな声で短く答える。
「……無いわよ」
「そうですか、それは良かった。大事なお体ですからね。ああ、では私はこれから店主様とお話があるので」
そう言って、スネイプは店主方へ歩いていく。
「知り合いなのか?」
リックがアンジェリカに尋ねると。驚きの答えが帰ってきた。
「ワタクシは一ミリも認めていませんが……婚約者ですわ」
「ふーん……え?」
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