第144話 クレイジー

 アンジェリカはリーネットの提案に乗っかったことを僅か数秒後に後悔した。


「きやああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!」


 アンジェリカの甲高い絶叫が、『ヘラクトピア』の街に響き渡る。

 アンジェリカは現在、リックの試合会場に向けて走るリーネットに負ぶさっている。

 しかし、そのリーネットが走っているのが、道ではなく建物の上であることが問題だった。

 リーネットは建物の屋根の上を次々に飛び跳ねて会場に向かっているのである。しかも、その建物に飛び移るスピードと高さときたら、尋常ではない。


「少し、高く飛びますよ」


 リーネットがそう言った瞬間、まるで重力が存在しないかのようにアンジェリカごとその体が空中に向けて急上昇した。

 再び絶叫するアンジェリカ。ゴオオオオという風をきる音と一瞬にして小さくなる眼下の景色が、なにか間違って落ちたらただでは済まないということをあまりにもリアルに伝えてくる。

 しかし、リーネットは何事もなかったかのようにスッと、高さ30mはある教会の屋根に着地する。

 アンジェリカがホッと息をついたのも束の間。

 今度は当たり前のように。


「では、降ります」

「ひゃい!?」


 下にある高さ5mほどの一軒家に、高低差25mのダイブを敢行する。


「いやあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!」


 アンジェリカは別に高所恐怖症ではないが、こんな一跳びするごとに飛び降り自殺でもしているかのような所業は、流石にまともな神経で耐えきれるものではない。

 そして、やはりリーネットは次の建物の屋根に静かに着地する。

 さっきまでの恐ろしい落下速度は一体どこにいったのだ? というほどの静かな着地であった。『身体操作』の類を使っているのだとは、アンジェリカとしても推察できる。が、何をどうやればこんな事ができるのかさっぱり分からないし、正直わかりたくもない。


「お、おろしてぇ!! おろしてくださいまし!!」

「暴れられると間違って落としてしまいそうになるので、少しおとなしくしていていただけると助かるのですが」


 そう言いながら、また跳躍するリーネット。


「ひいいいいいいいいい!! 狂ってますわ!! やっぱりアナタたちのパーティは狂ってますわああああああああああああああああああああ!!」

「よく言われます」


 リーネットは淡々とした口調でそう言った。


   □□□


「オロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロッッッッ!!!!」


 『クリーンヒル闘技場』に着くのと同時に、アンジェリカは盛大に朝食を戻した。それはもう見事な勢いである。これを見せられては世のマーライオンたちも立つ瀬がない。

 一方、リーネットは無表情で。


「到着ですね。もう試合は始まっていますか」


 などと言っている。せめて額に一滴くらい汗を滲ませる人間性を期待するのは無駄なのだろうと、アンジェリカの心は悟りの境地的な何かに至っている。

 フラフラになりながらもアンジェリカが闘技場の中に入ると。


「お? なんだ。アンジェリカも来てくれてたのか。悪いな、もう試合終わっちゃったわ」


 入ってすぐのところに、今から闘技場を出ようとしていたリックがいた。


「いやー、失敗失敗。やっぱり、まだ『手加減八奥義』は完成度が足りないなあ」


 などと言うリック。

 会場の中は普段ではありえないくらいに静まり返っており、恐らく対戦相手であろう人間が頭から天井に突き刺さっているのが見えた。


「……」


 これだけで、だいたい何があったか想像がつくようになってきてしまった自分に恐怖を覚えるアンジェリカである。


「さて、リーネット。次は『ATパーク闘技場』だったよな?」

「はい、リック様。今から40分後に第二地区ですね」

「ちょ、まさか、まだ試合する気ですの?」


 ちなみに、ここから一番地区までは直線距離で23kmである。

 アンジェリカの言葉に、リックはまたもや不思議そうな顔をする。


「そりゃそうだろ。時間が足りないって言ってたのはアンジェリカじゃないか」

「昇格は翌日にならないとできないので、今日はあと八試合しかできないのが惜しいところですけどね」

「そうだなあ。せっかく西部リーグには五部リーグの試合をやってる闘技場が二十個もあるのに。まあ、今日に関しては試合ができるのが十箇所しかなかったけどな」


 リックとリーネットの会話を聞いたアンジェリカは恐る恐る尋ねる。


「……あの、今日の予定があれば見せていただいてもよろしいですの?」

「ええ、構いませんが」


 リーネットがそう言って、メモ用紙に書かれた予定表を見せる。


「ほんとにあと八試合組まれてますわ……」


 それはもう、朝から晩までびっしりと試合日程が組まれていた。

 しかも、立地は完全に無視して試合可能な闘技場をとにかく抑えているらしく、アンジェリカが総移動距離をざっと計算しただけでも、120kmは移動しなくてはならない。

 リックたちのことだから、コレも走ってなんとかするつもりだろう。

 しかも、十試合こなしながらである。


「これなら四日で一部リーグまで上がれるからな。非常に効率的だ」


 効率というものをなにか履き違えているとしか思えない。


「というか、このクレイジーなスケジュールを四日間やり続けるつもりですの? 休み無しで?」

「なんで休む必用があるんだ?」


 アンジェリカは、きっと目の前の男は違う国の言語を話しているのだろうと思うことにした。


 こうして。

 本当に四日間で一部リーグまで昇格してしまったリックだったが、驚くことにそれほど大騒ぎになることもなかった。

 なぜなら、あまりにも期間が短すぎたからである。

 いくら『闘技』に目がない『ヘラクトピア』国民でも、流石に四日間の間に口コミをするのは難しい。しかも全試合瞬殺である。観客にはどうやって相手を倒したのかもイマイチ分からない試合も多かった。仮にそれを他人に話したところで「コイツは話を盛っているんだろう」と思われて終わりというのも大きい。

 そのため、リックの噂は実際に戦った『拳闘士』を中心に徐々に広まっていくに過ぎなかった。

 本来なら、これほどの快進撃は各地の『闘技会情報誌』が大々的に取り上げる。しかし。現在、各情報誌はそれどころではなかった。

 東部拳闘会に彗星の如く現れたオークファイター、ブロストンを追いかけるのに必死だったのである。

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