第141話 チャンピオンベルト
「ずびばぜんでじだ……」
スキンヘッドが猫人族の少女、ミリシアに見事な土下座をかましていた。
「あ、い、いえいえ。そこまで謝られても」
スキンヘッドの男が頭を上げて言う。
「……すまねえ。この前の試合でボロ負けして、気が立ってたんだ。去年からなんとなく分かっちゃいたんだが……今年も『拳王トーナメント』には出れなくてよお。つい、できごころで」
ベシン。
「ガボッ!?」
ブロストンの平手がスキンヘッドの脳天に降り注いだ。
「謝罪の時には、相手から聞かれるまで自分の事情を話すな馬鹿者が。誠意が伝わらんぞ。敵がこちらの事情をあまりに斟酌しない場合にのみ、素直にその旨をぶつければよいのだ」
「す、すみません。ブロストンの旦那……」
いつの間にか、旦那呼ばわりされているブロストンであった。
「『拳王トーナメント』? なんですかそれは?」
そう言ったのはリーネットだった。
リックが答える。
「ああ、リーネットは知らなくても不思議はないもんな。俺もあんまり詳しくはないけど、『拳王トーナメント』って言うのは、『ヘラクトピア』で年に一回開かれる闘技大会だな」
どうやら、やたらと人が多かったのは年に一度のその大会が近々開かれるかららしい。
「なんでえ、お嬢さん。知らねえとはずいぶんなモグりじゃねえの? 『拳王トーナメント』は年に一度、『武装禁止、禁じ手なし』の一対一で最強の『拳闘士』を決める大会で、中央コロシアムは毎年収容人数を軽く二倍は振り切って満員、広場を使った魔力映写の観客も入れれば総動員数は五十万人以上になるんだぜ」
「五十万人!! そりゃあ凄いな」
驚くリック。
五十万人ともなると尋常ではない人数である。中央集権の弱い『王国』が国を上げて何かの娯楽イベントを開催しても、それほどの人が集めるのは不可能だろう。なるほど確かに、スキンヘッドが自信満々に知らないやつはもぐりと言うだけある。
間違いなく『拳王トーナメント』は大陸最大の興行イベントだった。
「そうでしたか。失礼しました。なにぶん世情には疎いものでして」
そう言って頭を下げるリーネット。
ブロストンがそれを見て言う。
「ああ。まあ、リーネットが知らんのは、『王国』よりも『帝国』で人気のある競技だからということもあるぞ。『拳王』に挑んだ代表的な対戦相手は主に『王国』の者が多かったのだ」
リックはそれを聞いてなるほどと頷いた。
「『王国』としては自分の国の猛者たちが次から次へと負けていくのは、見ていて気分のいいものではないですからね。それで娯楽として浸透しなかったのか。逆に、『帝国』からすれば、自分たちの目の上のたんこぶを次から次へと叩きのめしてくれるわけだから人気が出る。その時のバランスが今も続いているわけですね」
「そのとおりだ」
更に言えば、『王国』の田舎者のリックが名前だけなら誰でも知っているという認識な当たり、その知名度たるやというものなのだろう。
まあ、それは置いておいて。と、ブロストンは前置きして言う。
「猫人族の娘ミリシアよ。それからスキンヘッドの、えーと、名は何だったか?」
「ゴルドです」
スキンヘッド、ゴルドはそう名乗った。
「うむ。ミリシア、ゴルドよ。お前たちに訪ねたいことがある」
ブロストンはそう言うと、懐からあるものを取り出した。
8cm四方の黒いケースである。上の面のフタを開けるとそこから出てきたのは赤い魔力を放つ球体、すなわち『六宝玉』だった。
「うわぁ!! キレイ……」
そう言って目を輝かせるミリシア。
確かに薄っすらと紅い輝きを放つ『紅華』は、装飾品にあまり興味のないリックから見ても非常に美しいものである。年頃の少女が目を輝かせるのも無理はないだろう。
「この国で、この石と同じようなものを見たことはないだろうか? 色はこれと違って黄色か緑のはずなのだが」
ブロストンがそう問うているのを見つつも、リックは内心あまり期待していなかった。
「まあ、こういうのを根気よく続けていくしか無いか」
「そうですね。資料や文献での調査はビークハイル城に残った、ミゼット様とアリスレート様がやってくれていますから。そちらの報告も待ちつつでしょうね」
などと、リックとリーネットがやり取りをしていると。
「うーん。なんか見覚えあるんだよなぁ」
ゴルドがそう言った。
「……あのー、私もこんなに近くで見たことは多分無いんですけど、どこかで見覚えがある気がしてきました」
ミリシアまでそんなことを言い出す。
「……マジかよ」
いきなりの手応えに驚くリック。
「ふむ。それで、どこで見たのだ?」
「いやそれが、どこだったか」
「そうっすね。ホント何度も見てる気がするんですが」
うんうんと考え込む二人。
その時だった。
『さあああああ、今年ももうすぐあのイベントがやってくる!! 誰もが待ち焦がれる大陸最大のエンタアアアアアーテイメント、『拳王トーナメント』が今年も始まるぜえええええええええええ!!』
聞こえてきたのは、神性魔法『霊界共鳴(ハーモニクス)』によって拡散された、甲高い男の声。
一頭の巨像と、その周りを囲むように飾り立てたれた巨大な馬車が、大通りを闊歩していた。
その様を待ってましたと言わんばかりに手を振って歓迎する人々。
どうやら、『拳王トーナメント』の告知を兼ねたパレードのようである。大通り沿いに集まった人々の数とその熱狂ぶりは凄まじい。この国において、『闘技会』がどれほど愛されているかが分かるというものである。
「あと一ヶ月くらいかあ。楽しみです!!」
いち『ヘラクトピア』国民であるミリシアも非常に興奮した様子でパレードを見ている。
それは、ゴルドも同じだった。同じ拳闘士として大会に出られない悔しさ以上に、抑えきれないワクワクと憧憬の熱が感じられる声音で言う。
「ちぇ、やっぱり出たかったぜ。まあ、今年はチケット取れたからよしとすっかぁ。あ、ブロストンの旦那たち。あそこにいるのが三連覇中のチャンピオン、ケルヴィン・ウルヴォルフさんですぜ。やっぱりカッコいいなぁ!! 俺もあんな風になりたいぜ」
ゴルドが指さしたほうをリックたちは見る。
巨像の上に跨るの男がそこいた。
年齢は二十代くらいだろうか。190cm近い堂々たる体躯と精悍な顔立ち、でありながらその銀色の毛並みを美しく風になびかせる様は、野性的な凶暴性と芸術的な美しさの両方を兼ね備えていた。眼光は野生の狼のような鋭く、正面から見据えれば仮にチャンピオン自身に戦意がなかったとしても震え上がってしまうだろう。観衆たちの視線や声に動じる様子は全く無く、高みから観衆を見下ろしつつ手を振る姿は、まさに王者だった。
「……なるほど。確かに、『闘技会』はかなりのハイレベルらしいですね。トップともなればこれほどですか」
「ああ、なかなかできるぞ。あの男」
リーネットとブロストンがそう言った。
リックからすれば、この二人に実力を認められたというだけで十分に驚愕に値するのだが、リック自身もチャンピオンの実力を肌で感じとっていた。
立ち振舞や所作の一つ一つに、自信と身体操作能力の高さが滲み出ている。直接象の上に騎乗して、片手を観客に向けて振っているのに全く重心が動かないのもそのことを示す一例だろう。馬もそうだが、自分以外の生き物に直接乗るというのはバランス感覚が優れていなければ不可能である。この男のように全く自分の重心を動かさないとなると派手さはないが絶技の領域だろう。
もっとも、ここにいる『オリハルコンフィスト』のメンバーは、全員それが当然のようにできる側の怪物なのだが。
その時である。
「「あーーーーーーーーーーーー!!」」
突然、ミリシアとゴルドが声を上げて、チャンピオンの方を指さした。
「ん? どうしたんだ急に」
リックの問に、ミリシアが答える。
「思い出しました!! あれ!! あれですよ。見てください!!」
「ん? チャンピオンがどうかしたのか?」
「ベルトです!! ベルト」
そう言われて、リックがチャンピオンの腰に巻かれているベルトを見る。
チャンピオンがつけているということは、恐らく『拳王トーナメント』のチャンピオンベルトだろう。拳をモチーフにしたエンブレムに豪華な装飾があしらわれており、まさに大きな戦いの勝者を称えるにふさわしいと言える意匠であった。
が、目が止まったのはその中央。そこに埋め込まれた宝石である。
色は黄色。しかも、薄っすらと目に見えるオーラのようなモノを放っており……。
「って、はあああああああああ!?」
そう。四つ目の『六宝玉』、『王黄(おうき)』は『拳王トーナメント』のチャンピオンベルトの装飾品として使われていたのであった。
□□□
パレードを終えたチャンピオン、ケルヴィン・ウルヴォルフは自身の所属する『拳闘士』団体である『レッドリンクス』の本部に戻っていた。
「お疲れ様でしたチャンピオン!!」
団体の新入りが通りがけに挨拶をしてくる。
「ああ。今日も打ち込みか。怪我には気をつけて頑張れよ」
「はい!! ありがとうございます」
ケルヴィンと短いながらも会話ができたことに感動したとでも言わんばかりに、元気よく返事をして新人はトレーニング場の方に小走りで向かっていった。
ケルヴィンがトレーニング場の方で他の『拳闘士』たちがトレーニングを行う音を聞きながらロビーの豪奢な椅子に腰掛けていると、頭上から声が聞こえた。
「調子はどうかね。チャンピオン?」
そういったのは人間族の五十歳ほどの男であった。この団体のオーナーを務める元『拳闘士』の男である。
「悪くはないぜオーナー。まあ、調子が悪かろうと勝つのが、の仕事なんだがな」
「ふっ、悪くない……か。つまり良くはないということだな、ケルヴィン」
オーナーは団体の主とその所属選手という枠を超えて踏み込んだ話を自然としてくる。
元々孤児であったケルヴィンの才を見込んだオーナーが自分の団体にスカウトしたという経緯もあり、この二人の関係は親子に近いのである。
「……ふう。そうだな。今年は去年のように興ざめな大会にならないことを祈るぜ」
「まあ、絶対王者であるお前にまともに対抗できるやつは、今や西部リーグにも東部剣闘会にもおらんからなあ」
ケルヴィンの言う通り、前回の大会では決勝戦ですらケルヴィンの一方的な試合運びで僅か五分ほどで勝負がついてしまっていた。ディフェンディングチャンピオンの圧倒的強さを見せつけたというところで、観客達もそれなりに湧いたのだが、いかんせん戦っている側としては少々退屈だったようである。
ケルヴィンは戦う相手が強いほど、「上がる」質である。ベストな戦いをするなら、むしろ自分より相手のほうが強いほうがいいと公言しているくらいだ。オーナーがケルヴィンの資質を見込んだ一番の理由はそこだった。
しかし、それゆえに、王者として十分以上の力をつけてしまったケルヴィンにはここ数年まともに戦える相手が現れていない。そのせいでモチベーションが低下しているのは明らかであった。
だが、どうだろう。
オーナーは日々、『ヘラクトピア』中の試合に足を運び様々な選手を見ているが、どうにもケルヴィンに対抗できる選手が育っているとは思えなかった。最近、西部リーグで活きのいい人間族の女の選手を見かけたが、現状ではケルヴィンの好敵手とはならないだろう。
そうなると、今回の『拳王トーナメント』で期待できるのは大手スポンサー推薦の特別参加選手達くらいのものだろう。どうやら、スネイプのやつが大枚をはたいて枠を獲得したらしいが……。
などとオーナーが考えていたその時だった。
「あのー、すいませーん」
ケルヴィンに一人の男が声をかけてきた。
中背の三十歳ほどの男である。背後には思わず息を呑むほどに容姿の整ったダークエルフがいた。
「ケルヴィン・ウルヴォルフさんですよね? 俺はリック・グラディアートルってものなんですけど。ちょっとお話したいことがありましてですね」
リックと名乗った男は丁寧な口調でそんな事を言ってきた。よく見れば鍛え上げられているであろう体突きが服の上からでも分かるのだが、どうにも強者特有の覇気のようなものを感じなかった。
オーナーはそれを見ていう。
「何だケルヴィンのファンか? サインなら街の店で売っているから、それを買うんだな」
「ああ、いえ。そうではなくてですね。俺は仕事で冒険者をしてまして。今、ある宝石を追っているんですけど」
「まどろっこしいな、リックよ」
低い声がリックの後ろから聞こえてきた。
そして、ヌッとその巨体が現れる。
灰色の肌をしたオークのような何かだった。
いや、見た目は完全にオークなのだが、あまりにも自然に人の言葉を話しているので、どうにもあの知性の低いモンスターと同じものであるというイメージがわかないのである。
三十路男のリックとは打って変わって、こちらは一目で強者であるということが分かる。野性的な鋭さを持ちながらも理知的な眼差し、二メートルを越える体躯に加え、その腕や首は下手な『拳闘士』の胴より太く、手の大きさはまるで風呂敷のようである。
多種多様な『拳闘士』をその目で見てきたオーナーが思わず一歩後ずさるほどであった。
「いや、ブロストンさん。こういうのはちゃんと手順を踏んでですね」
「性に合わんな。何より、この男はそういう小細工を好むタイプでないと見える」
灰色オーク、ブロストンはそう言うとずんずんとケルヴィンの方に歩み寄る。
その様子を見てケルヴィンは楽しそうに言う。
「おいおい、なんだなんだ? 今度は、ずいぶんたくましいファンだな」
「チャンピオンよ。貴様のチャンピオンベルトを渡してもらいたい」
「な!?」
ブロストンの言い放った言葉にオーナーは瞠目した。
ここまで悠然とした態度を取っていたケルヴィンも、流石にやや眉をひそめる。
リックが慌てたように言う。
「ちょ、いきなり何言ってるんですか、ブロストンさん!!」
「ああ、すまん言葉が足りなかったな。チャンピオンベルトの真ん中についている黄色の宝石は、昔我々のパーティメンバーが所有していたものでな。長年行方を追っていたのだ。もちろん、宝石を取った後はベルトは返すし、代わりに同程度、いやそれ以上の大きさと輝きを持つ宝石を取り付けると約束しよう」
「ふ、ふざけたことを抜かすな!! おい、誰か。このバカどもを追い払え」
オーナーの言葉に、周囲にいた『拳闘士』たちが集まるが。
「待ちなよオーナー」
彼らにストップをかけたのは、他ならぬケルヴィンであった。
「俺の『ハナ』はお前の言ってることが嘘じゃねえって言ってる。どうやら、自分たちのパーティメンバーものだったって話も、代わりに新しい宝石を取り付けるって話もホントみたいだな」
「ふむ。では?」
「当然だが渡せねえよ。アンタにはわからないかもしれんが、このベルトは『ヘラクトピア』国民の誇りだ。この国のどれほどの人間がこのベルトを手にすることを望んでいると思ってる? コレを手にできるのは、そんなヤツラの願いを踏み越えて頂点にたった者、ただ一人だけさ。俺はアンタの言ってることを事実だと確信したが、それでもハイそうですかと渡すわけにはいかねえだろ?」
「ふむ。お前の言うとおりだな。コレは失礼した」
そう言って頭を下げるブロストン。
「では、行こうか。リック、リーネットよ」
「え? いいんですか? でも、そしたらどうやって」
「それなら今さっき。チャンピオンが言っていたではないか」
ブロストンのその言葉に、リックは首を傾げた。
リックたちが去った後。オーナーが口を開いた。
「おい、ケルヴィン。良かったのか? あのての輩は、下のヤツラに軽く締めさせておいたほうがよかったと思うんだが」
「やめとけやめとけ。今トレーニング場にいるやつら全員でかかっても瞬殺されるぞ」
「……なんだと?」
オーナーは眉をひそめたが、ケルヴィンはこのてのことに関しては本当に『ハナ』が効く。
「あのオーク。確かにかなりの実力者に見えたが、それほどだったとは」
「オークだけじゃねえよ」
「ん? あの三十路男もか? まあ、確かに覇気は欠片も無かったが、体つきは服の上からでも中々のものだったし、動きの一つ一つが妙に洗練されていたな」
「ああ、アイツら三人とも、正直底が見えねえ」
「三人?」
首をかしげるオーナー。
ケルヴィンは「ククク」と笑いながら言う。
「今年の『拳王トーナメント』は楽しくなるかもな」
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