第138話 国が変わった日
大歓声の中、フレイアは速度を落としてゆっくりとコースの端を走っていた。
「……はあ、はあ、はあ」
全てを出し切り、息も絶え絶えになりながら掲示板を見る。
「……3:58:8。ちょっと届かなかったかあ」
イリスの残した伝説のワンラップまで、あとコンマ一秒。
「フレイア・ライザーベルト」
横から自分を呼ぶ声がする。
見るとエリザベスが並走していた。
「楽しかったです。また、やりましょう」
フレイアと同じく息が上がり、汗にまみれた姿はクールで超然とした『完全』には程遠かったが、その表情は嬉しそうだった。
「……うん。そうだね。また一緒に走ろう!! 何度でも!!」
「フレイアちゃん」
さらにエリザベスの横に並走して来たのはリックである。
元々十周近く遅れてレースに参加したサポートレーサーであるリックは、フレイアがゴールした今、これ以上走る意味はなかった。
「いい走りだった。俺も頑張んなきゃなって思ったよ」
「……うん。ありがとうリッ君!! 今回は助けられっぱなしだったね」
「いいってことさ。親父さんとの契約だしな。でまあ……」
リックは親指を立てて言う。
「おめでとうフレイア。夢、叶えたな」
「……ああ」
そうだ。
ホントに叶えたのだ。
幼いころからの夢。
マジックボートレースの頂点、『エルフォニアグランプリ』優勝という夢を。
自然とフレイアの瞳から熱い涙が零れる。
「さて」
リックはコースの方を見る。
リックを除いた中で、最後尾のレーサーがゴールしたところだった。
「行って来いよフレイアちゃん。勝者の時間、ウィニングランだ」
「……うん!!」
フレイアがコースの中央に出る。
すると。
――フレイア!! フレイア!! フレイア!! フレイア!!
観客たちは、たった今夢をかなえ頂点にたった少女に声の限りにコールを送る。
フレイアは歓声を上げる観客たちに手を振った。
さらに大きくフレイアコールが鳴り響く。
爆発するような歓喜の中、フレイアは死闘を繰り広げたコースをゆっくりと回るのだった。
□□□
「……さすがは私の娘だ」
モーガン・ライザーベルトは歓声に応える娘の姿を見て、そう呟いた。
「見てるか、クラウディア。君の娘はこんなにも立派に育ったぞ」
自責の念で心を病んだまま早世してしまった妻に、そんな言葉を投げかける。
そんなことを考えていると。
「運営委員長そろそろ」
大会スタッフの一人が、モーガンを呼びに来た。
「さて……次は私の番だな」
モーガンはそう呟いて、観客席を立った。
□□□
長く長く鳴り響いたフレイアコールもようやく収まり、コースから全てのレーサーが引き上げた。
そして、レースの後はそれを称える表彰式である。
「おめでとう。フレイア・ライザーベルト選手」
コースの真ん中に設置された舞台の上では、フレイアが『マジックボートレース』協会の会長に、優勝の盾を渡されていた。
『さて、続きまして。優勝したフレイア・ライザーベルトの御父上であり、今大会のメインスポンサーである国民選挙実行委員会会長のモーガン・ライザーベルト氏にお言葉をいただきましょう』
拡声魔法を使ったアナウンスがモーガンの名前を呼んだ。
モーガンはゆっくりと壇上に上がっていく。
さあ、全てはこの時のために。
「えーまず、私が言うまでもない事ですが、素晴らしいレースでした。選手の方々、スタッフの方々、お集まりいただいたファンの方々、皆さんの力で最高の大会にすることでできました本当にありがとうございます」
そのあと、モーガンは大会開始に尽力してくれた人々の名前を上げて、感謝の言葉を述べていく。
「……それでは長くなりましたが、最後に一人のエルフ、一人の親である、モーガンライザーベルトとしての気持ちを言わせていただこうと思います」
モーガンはそこで少し間を取った。
その間に、歓喜にざわめいていた観客たちは静かになる。
「私は今日、娘に改めてこう思わされました。『人生は自分の力で切り開ける』と。私も三日後に選挙を控えてる身です。凄く勇気づけられました」
モーガンはそう言って、優勝の盾を持ったフレイアの方を見た。
「フレイア、今度はお父さんが貴族でもない魔力量も少ない一人のエルフとして、選挙で勝てるように頑張るよ!!」
「ファイトだよ、おとーさん!!」
フレイアが笑顔でそう言った。
すると観客たち……特に平民たちの座る席から、歓声が上がった。
――俺たちも応援するぞー、フレイアパパ―!!
――アンタも、俺達でもできるってところ見せてくれよー!!
この瞬間。
観客として来ていた平民たちにとって、国民選挙とモーガンという候補者は他人事ではなくなったのである。
□□□
モーガンが拍手を受ける様子を、ミゼット・エルドワーフは観客席から見ていた。
「……ミゼットさん。変わりますね、この国は」
いつの間にか横に立っていたリックがそんなことを言う。
「ああ、そうやな……そうなってくれると、ちっとは気が晴れるで」
ミゼットはリックの方を見ずにそう言った。
その目線の先にはフレイアの姿がある。
疲労困憊といった様子だが嬉しそうに盾を持つその姿を見て、ミゼットはイリスの最後の言葉を思い出していた。
■■■
三十年前の大会の後。
ミゼットはイリスを連れて、『王国』の田舎で小さな武器屋を営みながら二人で暮らした。
いざ一緒に暮らしてみると、意外にもイリスは一人暮らしが長かったのと生真面目な性格からか、体をいたわりながらも家事をこなし、サボりがちなミゼットの尻を叩くなかなかの良妻といった感じだった。
その日々は穏やかで、色々と面倒なこともあったが楽しく、一年弱と言われたイリスも二年近く生きることができた。
しかし、最後の時は訪れる。
最後の夜。
ベッドに横たわるイリスは言った。
「……ねえ。ミゼット、私はこの二年幸せだった。アナタが私に幸せをくれた……」
生命力が底つき、衰弱したイリスはそれでも本当に嬉しそうで穏やかな表情だった。
「でもね。それはきっとあの時。悔いのないほど全力で駆け抜けられたから、私はアナタとの穏やかな幸せを受け入れられたんだと思う……」
イリスはやつれた震える手でミゼットの頬を撫でる。
「ありがとうミゼット。どうか、自分を責めないで。それから……ごめんね、ホントは誰よりも寂しがりやなアナタを一人にさせて……」
■■■
「……」
ミゼットは自分の頬を触った。
今でもあの感触は覚えている。
何より覚えているのは、最後の時だというのに幸せそうに笑っていたイリスの顔だ。
今舞台の上にいるフレイアも、同じ笑顔だった。
「……まあ、せいぜい、楽しく生き急いでくれ、悔いのないように……頑張れよフレイアちゃん」
きっと、それは彼女たちが幸福であるには必要なことなんだろう、と。
ミゼットはようやく納得できた気がした。
――この三日後。
エルフォニア初の国民選挙は、94%という当初の予想を遥かに上回る投票率を記録し、初代議長にモーガン・ライザーベルトが就任した。
その日が『国民議会設立記念日』として、国の祝日に指定されることになるのは、まだ少し先の話である。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます