第135話 完成した
いよいよ『エルフォニアグランプリ』本戦も終盤に入った。
現在十一週目。
フレイアは依然として、エリザベスを追走する。
両者の間には明確な実力差がある。
そのため、コースを回るごとに段々とエリザベスとの差が開いていくのだが。
――おい、フレイアがちょっとずつ速くなってねえか?
そんな声が観客から聞こえてくる。
その言葉通り、離されていってはいるのだが離される距離が少しづつ縮んでいるのである。
「……もっと、もっと削れる」
フレイアはレースの中で自らの走法を最適化させていた。
もっと無駄なく、もっと効率的に。
それはまるで、レースという研磨機の中で、自らの走法を磨き上げ最小の形に削り取っていくかのような。
どちらかと言えば荒々しい走法だったフレイアは、今や『完全女王』に匹敵するほどの無駄の無い走りを見せていた。
幸い目の前の見本は、効率的な走りの教科書とも言っていい存在である。
フレイアは最高の見本をもとに凄まじい勢いで成長していく。
その成長はフレイア・ライザーベルトとという少女が持つ、レーサーとしての天性のセンスの賜物……というだけではない。
才能だけでは、本番でここまで急激に成長しない。ただの天才ならば、レースの中ではなくはじめから成長できるところまで成長している。
この急速な成長はひとえに、フレイアの『エルフォニアグランプリ』に対する果てなき憧れがもたらしたものだ。
フレイアは物心ついたときから、『エルフォニアグランプリ』での優勝に憧れていた。
実際に本戦のコースである『ゴールデンロード』を走れる機会は無かったが、自分だったらどう走るかということを何度も何度もイメージトレーニングしてきた。
『ゴールデンロード』の色んな区間を想定して似たコースを走って練習してきた。
そういう憧れたがゆえの積み重ねが、今、実際にコースを走りながら繋がっていく。
そんなフレイアに対し、先頭を行くエリザベスは。
「もっと、まだ足りないわ。もっと成長して……!!」
自分の持ちうる技術をこれでもかと見せつける。
最高効率の直線姿勢、最高効率のコーナリング、最高効率のターン。
『完全女王』を『完全』たらしめる最高の技術たち。
フレイアはそれらを乾いたスポンジのように吸収していく。
「まだ、まだ。まだまだまだまだ削れる」
こうして究極の手本を目の前に出されると、今までどれだけ自分が無駄の多い走りをしてきたのかが分かる。
この動きもいらない。
この減速もいらない。
もっともっと、計測できない百分の一秒を呆れるほどに積み上げて、コンマ一秒を削るのだ。
そして、とうとう。
「……完成した」
十二週目の半ばに差し掛かったところでフレイアはそう確信する。
ようやくたどり着いた。
これが『ゴールデンロード』における、『ディアエーデルワイス』の最高効率の走り。
「……行くよ」
フレイアがコースを駆ける。
最高効率の直線、全く無駄の無いコーナリング、最高精度のターン。
暴れ馬の『ディアエーデルワイス』を完全に制御しきった芸術的な走りがそこにあった。
――すげえ。『完全女王』を相手に離されなくなった。
観客がそう言った。
フレイアの技術は今、サンプルである『完全女王』に並んだと言っていい。
……だが。
だがしかし。
(……詰まらない。差が、どうしてもっ)
前を行くエリザベスの背中は近づかない。
いやそれどころか、ほんのちょっとずつ離されていた。
技術のレベルは並んだはずなのだ。
機体の性能としても、超暴れ馬の『ディアエーデルワイス』を完全に乗りこなしたことで、究極の機体『グレートブラット』とも遜色ないボートとしての力を発揮している。
では、残る差は何か?
それは大前提の話であった。
生まれて持った魔力量の差。
マジックボートレースにおける、もっとも重要であり同時に最も生まれによって差がついてしまう要素である。
速さそのものの問題は、『ディアエーデルワイス』とフレイアの天性の水面感覚によって埋まっていた。
しかし、それだけではないのだ。
魔力を大量消費する急激な速度の切り替えができない。
体を守る防御魔法に割く魔力量を微細に調節し続けなければならない。
身体強化に回す魔力がほとんど無いため、素の筋力でボートを操らなければならない。
……他にも他にも、いくつものハンディキャップ。
魔力障害を持つものはこれらを背負ってレースをしなくてはならない。
(……ああダメだ)
コンマ一秒を突き詰めて走る以上は、これらのロスがどうしても重くのしかかる。
「至れませんでしたか……アナタは……」
エリザベスはフレイアの方を一瞬だけ振り返ると、残念そうにそう言って加速する。
「くっ!! まだ……」
フレイアはそれに追いすがるが、もう結果は見えていた。
追い付けない。ほんの少しずつだが確実に離される。
そんな女王の背中を見て。
「……もう、無理かな……」
フレイアは初めて目を伏せてそう呟いた。
徹底して効率化し、完成形と言っていい走りに至ったからこそ分かるのだ。
才能の差。
初めから分かっていた絶望が、立ちはだかっていた。
フレイアにも優れた水面感覚という素質はあるが、そんなものはもっと大きな魔力量という才能に比べれば誤差のようなものである。
(……これ以上削れない)
無駄を削って、削って、削って、コンマ一秒すら無駄をなくした、フレイアというハンデを背負ったレーサーにとっての最善の走法。
それで勝てないのなら……もう……。
そんなことを思った時。
「なあ!! フレイアちゃん」
ふと。横から声が聞こえた。
□□
いつの間にか隣にリックが走っていた。
追い付いたのではなく、わざと一周遅れて並んだのだろう。
「フレイアちゃんはなぜ、レースをやってるんだ?」
「え?」
急にそんなことを聞きいてきた。
なんで今そんなことを?
フレイアはそう思った。
しかし、なぜだろう。このリックという大人の言葉は心に響いてくる。
「なんで、レースをやっているのか……」
フレイアは言う。
「……勝つために。アタシは『ちゃんと生まれた』んだって証明するために。勝たなくちゃならない」
リックはそれを聞いて首を振る。
「そうじゃない。『なんでレースなのか』だよ。別に親父さんみたいに商売したっていいし、フレイアちゃん見た目いいから舞台女優とかやってもよかったはずだ。それなのに、なんでレースを選んだんだ?」
「……」
「勝利を求めて、効率的にやるのはいい、コンマ一秒を突き詰めるのもいい。だけど、忘れちゃいけないものがあると思うぞ」
「忘れちゃいけないもの……」
ふと。
初めてマジックボートに乗った時のことを思い出した。
あれは五歳の頃。
母親の残した「ちゃんと産んであげられなくてごめんなさい」という言葉に囚われて落ち込んでいた自分に気分転換をさせるために、父親がマジックボートの練習場に連れて行ってくれた。
初めてボートを走らせた感想は『難しい』だった。
だって、すぐにバランスが崩れるし、自分の手足みたいにすぐ止まろうと思っても止まれないのだ。
案の定、減速をし損ねて練習コースに張られた防護用のネットに豪快に突っ込んだ。
しかし、それが何というか……逆に爽快だった。
自分のようなまともな魔法を使えない人間でも、これに魔力を込めれば吹っ飛んで行ってしまうほどすごいスピードで走ることができるのだと。
そうしてフレイアはその日以来、モーガンに頼んで毎日毎日ボートに乗った。
何度も転覆したし、何度もネットに突っ込んだ。
それでも、すごいスピードで水面を駆けるのが楽しくてスピードは緩めなかった。
何度転んでも、全然上手くコースを回れなくても、ただボートに乗って水面を駆けるのが楽しかったのだ。
(……ああ、そうか)
自分がレースをやっているのは、母のためでも、父の目的のためでも、自分の存在を示すためでも、金のためでもない。
いや、もちろんそれもあることは間違いないのだが、それらを全てひっくるめた根本的な部分はただ一つ。
レースが大好きだから。
高速で水面の上を自由に駆け回る、マジックボートレースが大好きだから。
なぜ、リックの走りにあれほど魅了されたのか分かった。
自由だったのだ、素人である彼の走りは。
ボートレースの常識にとらわれない自由な走りが、フレイアには見ていて心底楽しかった。
そのことに気が付いた瞬間、一気に視界が開けた。
――ワアッ!!
っという歓声が耳に入ってきた。
年に一度、頂点を決めるレースに興奮する観客たちの声だ。
こんなに今日は観客が入っていたのか。
今日はずっとコースの中だけを見ていたから気が付かなった。
そしてそんな中に。
「「「がんばれー!! フレイアちゃーん!!」」」
フレイアに声援を送る者たちがいた。
彼らは確か、自分のファンクラブだと言ってくれた人たちだ。
皆、生まれながらの魔力量に恵まれなかったエルフたちだ。
フレイアの強い走りと、可愛らしさに魅せられたと言っていた。
彼らが掲げる横断幕には『俺たちに勇気を!!』。
次にフレイアは関係者席の方を見た。
そこにはモーガンが、父親が座ってこちらを見ていた。
「……」
モーガンは黙ってフレイアの走りを見ている。
その目は自分のことを心配している……しかし同時に、自分の娘は何かやってくれるだろうと信頼している目だった。
みんなみんな、フレイアの走りを楽しみにしてくれている。
(……そうか、アタシこんなことも気づかなくなってたのか)
横走るリックがもう一度聞いてくる。
「なあ、フレイアちゃんは何のために『マジックボートレース』をやっているんだ?」
「そんなの……そんなの決まってる」
フレイアは今度は迷いなく、心の底から返答をする。
「……すっっっごく、楽しいからだよ!!」
そうだ。
勝利勝利と必死になりすぎて、そのことを忘れていた。
今自分が立っているのは、ずっとずっと憧れ続けた夢の舞台。
マジックボートレース最大の祭典にして頂点を決める最大のエンターテイメント。
楽しまなくっちゃ、損だ。
フレイアは再びコースに視線を戻す。
ああ、なんて広い。
さっきまで最短ルートばかり見ていたから気づかなかったが、コースの中はこんなにも広かったんだ。
才能の壁? 何をそんなことを。
こんなに自由なら、どうとでもできるに決まっているじゃないか。
「あははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははは!!」
笑った。
フレイアは『エルフォニアグランプリ』が始まって初めて、心の底から笑った。
「さあ、レースを楽しもう!!」
――――
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