第129話 すごいなあ
「各選手。ピットまで移動してください」
係員のその言葉とともに、出走前控室にいた本戦参加レーサーが移動を開始する。
「……行かなきゃ」
フレイアもゆっくりと立ち上がって、自分の愛機を乗せた台車を引きながらピットへ向かう。
ピットに着くと愛機である『ディア・エーデルワイス』を台から下ろして水面に浮かべる。
そして再度のボディチェック。
確認が済んだらボートに乗り込む。
トン、という木材でできたボートの上に乗り込む音と共に、水に機体が少し沈み込む。
こうして乗っていると、いつもと何も変わらない感触なのに、この機体が今異常をきたしているというのは不思議な感じだ。
あとは、スタートの時を待つばかり。
「……ふう」
フレイアは息をつく。
ようやくの憧れた舞台だ。
普段ならきっと楽しみで心臓がバクバクするところだったのだろうが、こんな状況だとそこまで能天気にはなれなかった。
できればベストな状態でこの日を迎えたかったなと思う。
全員が準備ができたのを係員が合図を出し、フラッグを持った審判に告げる。
審判が頷く。
そしてフラッグを振り上げた。
それを合図にピットを飛び出していく十九のボートたち。
最初は加速スタートのための準備走行である。
スタートの時間に合わせて、なるべく加速をつけてギリギリのタイミングでスタートラインを越えられるように、調整をするのだ。
本戦に残ってきたレーサーたちは、落ち着いた様子でゆっくりと助走区間を走行していく。
この間にアナウンスが各出走者をアナウンスする。
『第一コース、1番、『ライアットボートクラブ』、操縦者ダドリー・ライアット、機体名『ノブレススピア』』
次々にコースや機体名や操縦者が読み上げられていく。
サポートレーサーを含め、ニ十機が出走しているが、そんな中、やはり一番の注目はこの機体とレーサーはこれだった。
『第九コース、32番、エルフォニア王族ボート開発部門『ハイエンド』、操縦者エリザベス・ハイエルフ、機体名『グレートブラッド』』
ワアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!
と紹介されただけで歓声が上がった。
十年ぶりに復帰した『完全女王』エリザベスと最強最高級の機体『グレートブラット』。
この究極の組み合わせに観客が求めているのは優勝ですらない。そんなものは順当にいけばまず間違いなく達成されるだろう。
観客たち、特に血統貴族の観客たちが望むのはコースレコードの更新である。
魔力血統に優れた貴族たちの強さの象徴でもあるマジックボートレースにおいて、最高の記録を持つものが三十年間イリス・エーデルワイスという魔力障害の少女に居座られているという現状を少々快く思っていないものは少なくはない。
しかし、そのイリスの出したタイムというのがあまりにも桁違い過ぎて、これまでどうにもならなかったのだ。
そんな状況を、今日こそはこの血統貴族の集大成ともいうべき、レーサーと機体が破ってくれるかもしれない。そう期待せずにはいられなかった。
一方、だからこそ平民たちの機体はこの少女と機体に向く。
『第十八コース、19番、『シルヴィアワークス』、操縦者フレイア・ライザーベルト、機体名『ディアエーデルワイス』」
オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!
とこちらも観客たちは歓声を上げる。
魔力障害を持ち、乗っているのはイリスと同じ『ディアエーデルワイス』。
そんな少女が『エルフォニアグランプリ』の決勝の舞台にいるのだ。
貴族たちが自分たちの象徴であるエリザベスに期待するように、平民たちも自分たちの象徴であるフレイアに期待を寄せていた。
実力的にも文句なし。
予選通過タイムは二位。『完全女王』に大きく離されてはいるが、事故はあったものの追加で走った一周で見せた走りはさらなる成長を感じさせるものだった。
もしかしたら『完全女王』を破ることもあるかもしれない、と思わずにはいられない。
しかし。
――なんか動きがふらついてない?
――もしかしたら、昨日の事故のかもしれないな。
どうも、フレイアはスタート前の速度調節が上手くいっていないようだった。
元々『ディアエーデルワイス』は速度調整が難しいため、加速スタートは苦手なのだが、今回はいつも以上に位置取りに手間取っているように見える。
(……これは参ったなあ)
フレイアは操縦桿を握りながら、苦い顔をしていた。
普段はボートに乗っていると楽しくて自然と笑いがこぼれてくるのだが、今回ばかりはその余裕はなかった。
『アンラの渦』による出力調整の乱れが思ったよりも遥かに大きい。
減速しようと魔力を弱めても出力は全然落ちなかったり、かと思えば少し魔力を入れただけで一気に出力が上がったりする。
『ディアエーデルワイス』は元々普通に乗りこなすだけでもかなり困難なボートだ。
その上、こんな制御不能状態となると一周走り切ることすらできるかどうか……少なくともレースどころではない。
(でも……なんとかしなくちゃ、なんとか……!!)
だが、そんなフレイアの事情とは関係なく。
『スタートまで、10……9……8……』
アナウンスによるカウントが開始された。
各ボートが勢いよく加速を始める。
(くっ……今はこうするしか)
フレイアはスタートラインから30mも後方に控えた。
これで残り2秒からスタートすればフライングになることは無いだろう。
――おいおい、大丈夫かよフレイア。
――いくら調子が悪くても消極的すぎないか?
観客たちの言っていることなどフレイアも重々分かっている。
しかし、速度の調整が効かない以上はこうするしかないのだ。
フライングのペナルティは十五秒間の停止。
入着や完走が目的ならばそれもいいだろうが、優勝をしなくてはならない状況では致命的過ぎる。
『……7……6』
だから、こうするしかないのだ。
……こうするしか。
その時。
ふっ、っと。
フレイアのボートに巣くっていた何かが消えた感じがした。
(……これって!?)
フレイアはすぐに察した。
ああ、本当に何とかしてくれたんだ。リックが。
相手はあのハイエルフ王家、この国そのものと言っていいほど強大なものだというのに。
(すごいなあ、リッくんは)
サポートレーサーとしては間に合わなかったが、しっかりと自分をサポートしてくれた。
昨日の夜病院でリックに言われたことを思い出す。
『俺も今の生き方選ぶときに散々自分勝手したからなあ。まあ、悔いが残らないように生きるのが一番だと思うぜ。それに明日は俺がいるからな。思い切って自分勝手やりゃいいさ』
なんて頼もしい味方だ。
ここまでしてもらったんだ。その助力に応えなければカッコ悪い。
フレイアは操縦桿を強く握ると、一気に魔力を込める。
ゴオ!!
っと『ディアエーデルワイス』の六つの魔石式加速装置が音を立てて、機体を加速させる。
『5……4……3……』
後方から一気に距離を詰める『ディアエーデルワイス』。
スタートラインに近づくにつれて、どんどん他の機体との差は縮まっていき。
『……2……1……スタート!!』
スタートの合図とほぼ同時に、最高速に近い速度でスタートラインを切った。
エルフォニアグランプリ本戦スタート。
少女の戦いが始まる。
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