第128話 走った

 検査の最中、審判員がフレイアに言う。


「先日、お怪我をされたようですが完治してますね。何か特殊な薬物や魔法を使ったりは?」


 フレイアは出走前のチェックで大けがが完全に治っていることに疑問を持たれた。


「ううん。凄く腕のいい人お医者さんが直してくれただけだよ」


 実際その通りで、嘘偽りなど全く言ってはいないのだが。


「……いやしかし」


 審判員がフレイアの体に手を当てて、魔力の流れを確認している検査員の方を見る。


「はい、確かに。異常はありません。それどころか昨日怪我をしたとは思えないくらい経絡の流れも安定しています」


「ね?」


「……うむ。なるほど。検査結果が出たならそうなのでしょうな。では、異常なしと」


 フレイアの後は機体もチェックされたが、そちらの方も『異常なし』と判定された。


(……ずるい魔法だなあ)


 フレイアは内心そんなことを思う。

 第一王子のかけた呪いは、実際に動かさないと異常が分からないし、異常の出たパーツを全部取り換えても異常が直らないのだ。


「サポートレーサーの方は、機体だけですか? 一応チェックはしますが。搭乗者の方は?」


「ええと、トラブルがあって来れないみたいで」


「そうですか。サポートレーサー無しでは、少々不利ですが……健闘を祈ります。フレイア・ライザーベルト選手」


 検査が一通り終わると、選手たちは出走するために自らの機体と共にビットに向かう。

 そこで、フレイアはある人物とすれ違った。


「あっ」


 スレンダーな肢体、風にたなびく金色の髪。

 この世のものではないかのような神秘的な雰囲気。

 エルフォニア王国第二王女にして、マジックボートレースの『完全女王』エリザベス・ハイエルフである。


「こ、こんにちは」


 ペコリと頭を下げる。

 普段は人見知りなど自分の辞書にはないと言わんばかりのフレイアだが、少々緊張した。

 フレイアが最も憧れるレーサーは初の魔力障害者チャンピオン、イリス・エーデルワイスである。しかし、それに継ぐ憧れの存在がエリザベスだった。

 自分が生まれる前に引退してしまっていたから走り自体は見たことがなかったが、それでも数々の伝説と記録は聞き及んでいたし、先日見せた走りはまさに伝説の住人にふさわしいものだった。

 一人のレーサーとして畏敬の念を抱かずにはいられないのだ。


「……」


 エリザベスは挨拶をするフレイアの方を黙ってじっと見ていた。


「えっと、その……」


 気まずくなって、フレイアが何か言おうとしたとき。


「アナタは、その機体を乗りこなせるのね」


 凛とした、透き通るような声でエリザベスがそう言った。


「え、はい」


「その機体が使えたのは二人だけ。アナタとイリス・エーデルワイスだけ……」


 エリザベスは無機質な声に少しだけ期待の感情を込めて言う。


「アナタは追い付いてきてくれるの?」


「……」


 紅い目に真っすぐに見つめられるフレイア。

 今言われた言葉が何を意味するのか、そして自分がどんな期待を持たれているのかは一人の競技者として分かった。


「うん。追い付いてみせるよ。あたしはそのためにここにいるから」


「……そう、でも機体がよくない状態みたいだけど」


「分かるんですか?」


「なんとなくね」


 検査員ですら気づかず、あのリックですら触って魔力の流れを確かめてみないと分からなかった『ディアエーデルワイス』の異常を見ただけで感じとってしまうとは。

 これだけでも、エリザベスが尋常ではない乗り手だということが分かる。


「たぶん、上の兄がまた余計なことをしたんでしょうね。残念だわ」


 そう呟いたエリザベスにフレイアは言う。


「それでも何とかする。今までもそうだったんだから」


「……そう。ちょっと似てるかもしれないわね」


 エリザベスはそう言い残して先に出走前控室に向かった。


「……何とかするんだ」


 フレイアもゆっくりとまた、後に続いて向けて歩き出す。

 出走開始まで、あとニ十分。


   □□□


「ふぁふぁふぁ、もう本戦が始まるころだねえ」


 金色五芒星の一人、風魔法王ウィング・アルバートは一人ほくそ笑んでいた。

 ウィングがいるのは貴族街から100km離れたエルフォニア王家所有の施設である。

 彼の魔法『アトモスフィアジャンパー』は大気に流れる魔力の流れ(これを霊脈という)を利用して、自由自在に転移する魔法である。

 とはいえ本当にどこにでもいつでも移動できる万能な魔法というわけではない。

 霊脈の流れに乗った時に、どこで流れから降りるかのポイントを設置しておかなくてはならないのである。

 このポイントは『アールマティの礼拝堂』程ではないが中規模の魔術施設であり、一つ作るのに一年以上はかかるという、非常に手間と金のかかる代物なのだ。

 しかし、ウィングは上司であるエドワードの支援のもとに、エルフォニア王国各地のエドワードと自分の所有施設に計三十二か所のポイントを設置していた。

 それによって、ウィングはエルフォニア国内の端から端まで自由自在に瞬間移動が可能になっているのだ。

 仮に、今自分が隠れている場所が見つかったとしても、その時はすぐに別のポイントにワープすればいい。

 確かにあの中年の人間はイカレたレベルの高い戦闘能力を持っているが、ウィングが本気で逃げようとすれば逃げられない相手は存在しないのである。


「……それにしても、ぐっ。あの男容赦なく握りつぶして来ましたねえ。いててて」


 ウィングはリックに握りつぶされた腕に自分で治癒魔法をかけつつ、そう言った。

 完全に骨まで握りつぶされている。恐ろしい怪力である。


「これだから蛮族は……」


「そうか、それはすまなかったな」


 入口の方から声が聞こえてきた。

 現れたのは鍛え上げられた肉体の中年の人間族。

 リックとかいう、魔力血統主義に唾を吐く不届きものである。


「ったく運が無い。これだけ探し回ってようやく見つかったぞ」


 リックはそう言って、ウィングのほうに向けて歩いてくる。

 その戦闘能力の異常さは、先ほどの戦いで嫌というほど分からされた。今この場で戦いになったら一瞬でやられるだろう。

 しかし。


「ふん……お前は、唯一僕を取られるチャンスを逃したよお」


 ウィングの目的は自分の右頬に刻まれた『アンラの渦』の発動権限をエルフォニアグランプリ本戦の間守ること。

 よって。


「君は僕に気づかれないように不意打ちするべきだったんだ。なぜなら……僕はいくらでも逃げられちゃうからねぇ」


 そうニヤニヤとした顔で笑うウィング。

 すぐさま魔力を全身に巡らせ、転移魔法の準備をする。

 しかし、当のリックは。


「……」


 こちらの方を見て、ただ静かに睨んでくる。

 なんだ。これからせっかく苦労して見つけた獲物が遠くに行ってしまうというのに。

 そう、ウィングを捕まえることなど不可能なのだ。

 エルフォニア国内の端から端まで三十二か所にも及ぶ移動可能な施設に自由に一瞬で転移できるのだから、それこそ国一つを一撃で破壊できる攻撃でもない限りは。

 しかし。

 いざ、転移しようとしてウィングはようやくそのことに気がつく。


(……ばかな!! 移動できるポイントが……無い!!)


 三十二か所あるはずの霊脈の流れが遅くなっているポイントを一つとして感じないのだ。


「……まったく、運が悪いな。ホントに最後まで外すなんて。三十二分の一だぞ」


 そう呟いたのはリックだった。


「……最後?」


「ああ、この施設が最後だ。他の三十一箇所の施設は全部壊した」


「そんな!! い、いったいどうやって……」


「走ってまわった」


「走っ……た……?」


 当然だと言わんばかりにそんなことを言ってくるリックに唖然とするウィング。


「……馬鹿な!! まさか一晩中、ずっと走ってまわってたというのか!? 国中を? 術式として利用している建物を破壊しながら!?」


 確かに『エルフォニア』はそれ程国土は大きい国ではないが、それでも一応国と言えるくらいには広さがある。


「そうだ。まあ、さすがにちょっと疲れたかな」


「だったら息ぐらい乱せよぉ!! なんなんだ、お前はぁ!!」


「元事務員の冒険者だ」


 一言、そう言うとリックは拳を握った。


「お前ら血統貴族様たちとは真逆の、出遅れで魔力の才能の無い、人よりもちょっと頑張っただけの持たざるものさ」


「くそがああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!」


 遠方へ転移できない以上、ウィングは今からこの男と戦わなければならない。

 一応この施設の周囲であれば、ある程度は自由に転移して戦えるがそれが大した時間稼ぎにもならないことをウィングは痛感していた。

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