第126話 ただ弱い男が一人

 ドゴオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!


 という発砲音はもはや銃声が大きくなったものというよりは、大規模な火山の噴火と言ったほうがしっくりくるほどの重厚な空気の振動であった。

 発砲の余波だけで床が抉れ、屋敷のガラスが残らず吹き飛ふ。

 当然、そんなものを真正面から受けざるをえなかったエドワードが無事であるはずもなく、防御魔法ごと屋敷を一直線に破壊しながら吹っ飛んでいく。

 あまりに恐ろしい破壊力。

 たった一度の砲撃で屋敷は半壊した。

 これだけ形を崩されればもはや、魔術的な意味を成す形からは程遠くなったのか、魔力の吸収は収まっていた。

 ミゼットは砲撃によって空いた大穴の中をゆっくりと歩いていく。


「……それにしても、ホンマに強い魔法やな。ちゃんと生きとるし」


「はあ……はあ……」


 驚くことにエドワードは五体満足で生きていた。

 『アールマティの礼拝堂』の防御力は、あの一撃からも使用者の命を守ったのだ。なるほど、普通の敵が相手なら中に取り込んだ瞬間に勝負ありというところだろう。

 しかし、エドワードは全身は血だらけで足は吹っ飛んではいないが変な方向に曲がっており、どう見ても戦闘不能なのは明らかである。


「……さて」


 ミゼットはゆっくりと、動けなくなったエドワードの元に歩み寄る。

 右手をかざすとそこに魔力が集まっていく。


「……なにを、する気、だ」


「お前なら存在だけは知っとるよなエドワード。秘匿術式にはハイエルフ家長男のみが伝承されるものともう一つ、次男または長女のみに伝承されるものがある」


 その術式が何なのか、中身をエドワードは知らない。

 ミゼットの手に集まった魔力が灰色に変わる。


「秘匿術式第三番『シャフレワルの祈り』」


 灰色の魔力はエドワードに向かって飛んでいき、そのまま体を這うように登って首筋に四角い灰色の紋章を刻みつけた。

 すぐさま、その効果に気が付いたエドワードは目を見開く。


「……これは、僕の魔力が!?」


「これは、初代国王が自分が暴走した時のために開発し弟に託した魔法。使用されたハイエルフ王家血を引くものの魔力を百年間封印する魔法や。お前には一番の罰やろ?」


「貴様あああああああああああああああああああああああああああ!!」


「少しは、持たざる者の気持ちを理解するんやな」


 ガン、と。

 怒りの形相で叫ぶエドワードを、ミゼットは取り出した銃の柄の部分で殴って気絶させた。


「……ふう」


 エドワードの左手に浮かんでいた『アンラの渦』の紋章が消える。


「あとは、リック君だけやろな。アリスレートの方は……アイツに目をつけられた時点で結果は見えとるようなもんやし」


 様々な武器を開発してきたが、今のところあの少女より危険な兵器は知らないミゼットである。

 そんなことを思いつつ、用事はすんだとその場を去ろうとした時。


 ――その声は……ミゼットか?


 ふと、屋敷の一つの部屋から声が聞こえた。

 そちらの方に行ってみると。

 そこには数名の兵士に守られた老いたエルフが、白いベッドの上に寝ていた。


「……オヤジか」


 エルフォニア王国、国王グレアム・ハイエルフ。

 ミゼットの父親である。

 第七分割領の警備が厳重になっていたのはこれが理由だった。

 この屋敷は現在体調不良のため政務を休んでいる国王の秘密の療養所になっていたのである。

 ミゼットの姿を見た兵士たちは武器を構えるが。


「……よい。控えておれ」


 グレアム国王はそう言って兵士たちを下がらせた。

 そして、ミゼットをじっと見て言う。


「久しいな……ミゼット。お前は変わらんなあ」


 穏やかな声でそう言った。

 その声にかつて顔を合わせるたびに自分に苦言を呈していた時の、国王然とした張りつめたものはなく。


「……アンタは、だいぶ老けたな」


 グレアムの見た目はミゼットの記憶にある三十年前のものと比べて、明らかに老いていた。

 元々エルフ族としては体つきはしっかりしており、魔力量も豊富だったため年齢の割には

若々しかったはずのグレアムは、三十年で顔にはいくつもの皺が刻まれ、その目から生気は失われていた。

 人間にとっては三十年は長い時間だが、エルフにとって、特に魔力量の多いエルフにとってはそれほど長い時間ではない。実際、ミゼットの見た目は三十代からほとんど変わっていないのだ。

 だからこそ、グレアムのこの老け込みようはかなり異常ともいえるものだった。


「そうだな。ワタシはもう疲れたのだ……」


 そこから、グレアムは自分のこれまでのことを語り出した。


「ハイエルフ家の長男として生をうけたワタシは、生まれた時からこの国を運営する責務があった。だがな、国を一つ統治するというのは大変なことなのだ、少なくともワタシは向いていなかった。自分の間違いで先祖たちが繋いできた国を傾かせてしまうかもしれないという、プレッシャーが苦しくて仕方なかった」


 苦しそうな声で語るグレアム。

 生まれながらに国を背負う宿命を負った一人の男の、膨大すぎる苦悩が滲みだしているようだった。


「そんな中で出会ったのがカタリナだった」


 ミゼットの母親であるその名前を口にしたとき、少しではあるがグレアムの苦しそうな表情が和らいだ気がした。


「カタリナは儀式に使う装飾品を作成するドワーフの職人の家で働いていた使用人でな。ワタシがエルフォニア国王だと知っても、まったく態度を変えなかった。『きっとお辛いでしょう。ここにいるときくらいは王様じゃなくてええんですよ?』といつも言ってくれた。ワタシにとって国王として装飾品の制作を視察に行くときに彼女と会う時間だけが、心休まる時間だった。政略上の理由で結婚した妻たちには決して理解されなかったものをカタリナは受け入れてくれた」


 グレアムの話をミゼットは黙って聞いている。


「だから、彼女に『自分の妻になって欲しい』と頼んだ。年に数回だけではない、側にいてワタシの居場所になって欲しいと。きっと王宮では冷遇されるだろうし、血統主義貴族の王として表立ってそんなお前を守ってやることはできない。辛い思いをすると思う。そう説明したのだが、カタリナは笑顔で受け入れてくれた。『ほんと、ほっとけない人やなあ』と。そして、それ以降、公務の合間を見つけてカタリナのいる離れに行くだけがワタシを支えてくれた」


「……そうか。あの離れは」


 ミゼットは母親が住んでいた王宮の離れを思い出す。

 まるで他の者たちから隠すように王の間からしか行けない場所に用意されたカタリナの住処。それをミゼットはカタリナという存在が対面上、存在しないことにしたいからだと思っていた。

 だがそれは、半分の意味だけだったのだ。

 もう半分は王族や貴族たちからカタリナを守るため、そしてなにより、カタリナとの時間を誰かに邪魔されないためのものだった。


「だが、カタリナは死んでしまった。あのワタシがワタシであれる唯一の時間を失ってしまった時、自分の中で何かが壊れる音がしたのだ。日に日に心にひずみは蓄積し、ミゼット、お前がいなくなって四年程経った時、ワタシは全てがどうでもよくなってしまった」


 グレアムは呟くような声で言う。


「……本当に、どうでもよくなってしまったのだ」


「オヤジ……」


 その弱弱しい姿は、エルフの寿命という数百年にも及ぶ長い長い年月の間、一国を背負うにはあまりにも脆かった一人の男の末路だった。


「ミゼット……」


「なんや?」


「すまなかった。王という立場に縛られてお前にも母親にも。ワタシは何もすることができなかった」


 グレアムはそう言って深々と頭を下げた。

 国王が平身低頭して謝罪するという事態に、警護の兵士たちは呆然としている。


「……」


 ミゼットは母親の今わの際の言葉を思い出していた。

 細くなった腕、血の気を失った顔。

 元々は恰幅が良く体温の温かかった母親のカタリナは、見る影もなくなっていた。

 だが、そんな状態でありながら母親は弱弱しい声で言うのだ。


『ねえ、ミゼット。私のことを庇わなかったからって、あの人のことは……恨まんといてあげてな。本当は弱い人やから』


 でも、と母親は涙を流しながらも笑顔で続けたのだ。


『私は、そんな弱さが、愛しかった。支えてあげたいって思った。だから、うん、ちゃんと分かってるんよ。あの人が愛してくれてることは。ごめんなあ……もうちょっと長く支えてあげたかったんやけどなあ……』


(ああ……そうやな。ホンマにここにはただ弱い男が一人いるだけや。オカンも物好きやでほんまに)


「すまん……すまなかった……」


 何度も何度も、謝罪の言葉を口にするグレアム。


「阿呆が」


 それに対しミゼットは手に持った銃を向ける。

 兵士たちが身構えるが。


「まあ、オカンに免じて風穴は開けんといてやるわ……こんな弱ったジジイぶっ飛ばしても、なんかちゃうしな」


 ミゼットは銃を下した。


「代わりに、さっさと王位から下りてオカンの墓参りに行け、ええな?」


 グレアムがカタリナの葬式にも墓参りにも行けなかったのは、血統貴族の王という立場があったからだ。

 あくまでよそ者の妻は気まぐれで手を出しただけの存在。思い入れなどありはしないという態度を見せなければ他の貴族から反感を招く。

 だから血統貴族の象徴である王を辞めれば。

 隠居した元国王がどこかの誰かの墓参りに行くくらいなら、貴族たちの反感も弱くなる。

 ミゼットがそう言うと、グレアムは遠くを眺めて。


「……ああ、そうだな。うん、それはいい」


 深々と頷いたのだった。


「ふん……」


 ミゼットは用事はすんだと、背を向けて歩き出した。

 その背に、グレアムは言う。


「ありがとう……ミゼット。ワタシの息子よ」


「四十年遅いわボケ。せいぜい無駄に長生きして、オカンに会えない時間を長く苦しむんやな」


 ミゼットが外に出ると、すっかり夜が明けていた。

 これでよかった。これでよかったと……そう思う。


 『エルフォニアグランプリ』本戦開始まであと三時間。

 残る『アンラの渦』の発動権限の持ち主は一人。

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