第116話 思い上がりのつもりはない

「ああ、やっぱり上手く動かないなあ」


 フレイア・ライザーベルトは夜の病室で一人そんなことを口にした。

 いつもは綺麗に手入れされている黒い髪も今は無造作に下ろしており、全身に巻かれた包帯が痛々しい。

 複雑に骨折していた手を閉じたり開いたりしてみるが、その動きはどこかぎこちなかった。

 手の骨折自体はある程度治っているのだ。全身に負っている他の怪我も、治癒魔法によって明日までにある程度は治るだろう。

 だが、問題は経絡の方だった。

 エルフ族の自然治癒力は全種族で二番目に高い。しかも一位は伝説上の種族に近いので実質的には、言葉を解する人型族としては最高の自然治癒力である。

 その理由は、生命力を魔力経絡が司っているからである。

 常に体に微弱な回復魔法がかかっているようなものなのだ。

 だが逆に、それでも間に合わない大怪我をしたときには、魔力を循環させる経絡自体に過剰な負担がかかり、体が完治したとしても経絡の疲労が残ってしまう。

 これは他の種族でも起こる現象なのだが、エルフ族は特に顕著である。


「別にアタシは、怪我の治りとか早いわけじゃないんだけどなあ」


 正直、魔力障害持ちのフレイアからしたら回復魔法で体が治っても数日体が重くなるだけの、迷惑な性質だった。

 実際、体には重い倦怠感がある。


「そう言えば、ここってあの人が優勝した後に使った病室なんだっけ」


 確か医者から言われたのだ。

 憧れの伝説のレーサー、イリス・エーデルワイスも事故で大怪我をして、三十年前にこの部屋のベッドを使ったと。


「あの人も……同じ気持ちだったのかな」


 三十年前の伝説のレースの途中、数名のレーサーによるイリスの機体への不自然な囲い込みがあったというのは周知の事実であり、ソレを仕組んだのが血統貴族たちではないかとというのはまことしやかに囁かれていることだ。

 ハンデに立ち向かい、必死でやってきたことをそんな風に理不尽に邪魔をされる。

 今の自分と同じだ。


「……悔しいなあ」


 少女はそう呟いた。

 それでも、明日のレースは戦うと決めている。

 ここで屈したら結局自分の生まれに白旗を上げることになるから。


「……どうしても勝つために必要なら私もアレを使ってもいいのにな」


 かつての憧れの人が使った禁忌術式『界綴強化魔法』。イリスは勝つためならそれ使ってもいいとすら思っていた。。

 さすがにあのレースの翌年から、レースでの使用が禁止されたため叶わぬ願いである。


「明日、どうやって勝てばいいんだろう……」


 明日は自分もボートも体調不良で走らなければならない。

 相手は憧れの人とかつて激戦を繰り広げた『完全女王』。いつも前向きな明るいフレイアも今回ばかりは、俯いてその表情に暗い影を落としていた。


   □□□


 そして、同時刻。

 こちらは第一王子エドワード領。

 向かい合うのは、リック・グラディアートルとエドワード・ハイエルフ。


「警告はしたぞ」


 リックは膝を軽く曲げて、足に力を貯める。

 ドン!!

 と、リックの足元に床が抉れた。

 並の戦闘者なら、目で追うことすら不可能な速度で加速。

 一瞬にして、エドワードとの距離を詰めると右の拳を放った。

 その拳の速度もまた凄まじい。瞬きをする間すら無くエドワードの左脇腹に吸い込まれていき。


『オート、アゲインストウィンド』


 無機質な声が響く。

 その瞬間、風が吹き抜けエドワードの体が勢いよく後退した。

 空を切るリックの拳。


(……躱した?)


 リックとしてはもちろん加減はしたが、それなりに力も速度も出して放った拳である。

 それを躱したのだ。

 エドワードの方を見ると、風にのってフワリと階段の上に着地していた。

 相変わらず優雅な笑みを浮かべながら言う。


「ははは、まったく。自動回避術式をもってしても躱しきれないとはねえ」


 エドワードは自らの服の一部を見ながら言う。

 そこにはまるで、巨大なサーベルか何かで切りつけたかのように豪華そうな服の布が、大きく引き裂かれていた。


「軽く服を掠めた程度でこの有様ときている。まったくもって、短命ザル共は度し難い。分をわきまえて、一生我々のために労働していればそれなりの生活は保証してやるというのに」


 その口調には分かりやすすぎるくらいに不快感が籠もっていた。


「……」


「おや、どうしたのかな? 不法侵入者くん?」


「……お前、普通に強いんだな」 


 リックは自分の強さをそれなりに自覚しているつもりである。

 今のレベルで放った攻撃を躱せるのだ、実力で言えばどれだけ無理に低く見積もってもAランク冒険者の最上級といった頃だろう。

 間違いなく、あのキタノとは次元が違うレベルで強い。


「当然だろう? 僕は最高の血統に生まれ最高の魔法教育を受けたハイエルフ王家の人間だ。そんじょそこらの雑多な家の人間とは次元が違うさ」


「……なら、なんでワザワザこんな回りくどいことをする」


「どういうことだい?」


「強いなら普通に真っ向から倒せばいいだろ。あのエリザベスってレーサーだってそうだ。フレイアと正々堂々実力で戦っても十分すぎるくらいに勝算はあるだろう?」


 そう、ワザワザ他人の努力を踏みにじるような真似をしなくてもだ。

 むしろそれでこそ、自らの血統が優れていると証明できるんじゃないのか?


「ふん。これだから、下賤な生まれは分かってないな」


 エドワードは見下しをたっぷりと込めて言う。


「そもそも勝負などと土台に上がってやるというのが間違ってる。勝ったり負けたりなどと低次元な話は、生まれの時点で負けている君たちが勝手にやっていればいい。我ら偉大な血統に求められるのは、確実で完全なる勝利のみ。その絶対性こそ優れた血統の優越性を保証する!!」


「なるほどな……」


 リックはその言葉を聞いて納得したように頷く。


「おやぁ? 意外に理解があるじゃないか」


「さすがにこの歳にもなればな。国を収めるのに、絶対的な権威があったほうがいいのは分かるさ」


「そのとおりさ……だから三十年前のあの短命ザルの小娘は本当に厄介極まりなかったねえ。あれこそ国の毒というもだよ。最後の『不幸な事故』で身の丈に合わない挑戦すると悲惨なことになるぞと見せられても、国内で反『魔力血統主義』の気運が生まれたんだ。平和にゴールして表彰台に登って『頑張ったからここまでこれました』なんて、優勝インタビューでもされてたらと思うと反吐が出るねえ」


 いやあ、本当に危ないところだった。

 と、独り言のように滔々と語るエドワード。


「ああ、そうだな。王族としてたぶん俺たち普通の人間とは違うものを背負ってるんだろうよ」


 基本的には何も持たない挑戦者のほうが気楽なものだ。

 すでに色々なものを手にしている者たちは、それを守るために日々苦心しているし、ソッチのほうが大変なことだって多いだろう。

 だが、その上で。


「それでも、俺は挑戦者の味方をしたいんでね。悪いがちゃんと戦いの舞台に上がってきてもらうぞ」


 そう言って再び拳を構えるリック。


「いや、悪いがそれは無理だね」


「……なに?」


「なぜなら僕は、逃げるからだ」


 エドワードは堂々とそう宣言した。


「なんだと?」


「出てきたまえ。金色五芒星(ゴールデンペンタグラム)」


 エドワードがそういった瞬間、屋敷の中に五つの自然現象が発生した。


 一つは小規模の竜巻。

 一つは地震と地面の隆起。

 一つは濃い霧。

 一つは燃え盛る炎の柱。

 そして最後は、何も見えないが確かにそこにある神的なエネルギーの本流。


 それぞれの中から一人ずつ、五人のエルフが現れた。


「紹介しよう。彼らは我が『エルフォニア』が誇る五人の最強の魔法使い。それぞれが自然魔力エネルギーの基礎属性である風、土、水、火、エーテルを象徴する」


 エドワードの言葉通り、現れた五人から感じる魔力の量と質はそれまで出てきた兵士たちとは次元が違った。


「不法侵入者くんの実力は大いに理解した。負けてやる気は無いが、それでも万が一僕が戦って死ぬようなことでもあれば『アンラの渦』が解けてしまうからねえ。ワザワザそんな危険は犯さないさ。というわけで頼んだよ君たち」


「エドワード様。ささ、こちらへ」


 エドワードは奥から現れたディーン伯爵に誘導されて、屋敷の奥に去っていく。

 ここまで徹底すると、いっそ清々しいなと思いつつも。


「逃がすと思うか?」


 リックはエドワードを追いかけようと地面を蹴ろうとするが。


「!?」


 殺気を感じて、すぐにブレーキをかける。


「……ほう。気づくか小僧」


 殺気の出どころは、現れた五人の内の一人からだった。

 長身で眼光の鋭い男のエルフである。銀色と金色の混ざった長髪をたなびかせたその容姿は、知性的でありながら暴力的という相反する性質を矛盾なく兼ね備えていた。


(……違うな)


 エドワードや他の四人もソレまでの相手とはレベルが違うが、この男だけは更にもう二周り以上次元が違う。

 男はリックに言う。


「俺は金色五芒星の筆頭、エーテル魔術王、カエサル・ガーフィールドだ」


「……ちっ、これは想定外だな。思ったより時間がかかっちまいそうだ」


 コイツも含めて五人。

 負けてやる気などさらさら無いが、その間にエドワードに雲隠れされては厄介である。


「ほほほ、時間がかかるですってぇ?」


 五人の内の一人。霧の中から現れた女エルフが言う。


「むしろ、私達五人と戦いって勝てると思っているのかしら。思い上がりも大概にしてほしいわぁ」


 女エルフが両手を広げる。

 すると、その手に水の球体が出現した。


「第七界綴魔法『トライデント・レイン』」


 当然のように、無詠唱で放たれる第七界綴魔法。

 女エルフの手から放たれた水球が空中で膨張し、水の三叉槍の形を形成。

 リックに向かって、豪雨のように隙間なく襲いかかってくる。

 ――しかし。


「おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!」


 ドン!!

 と、リックは地面に拳を叩きつけた。

 次の瞬間。

 地面が爆発した。

 ビリビリという、地響きが建物の中だけでなく第一王子領全体に響き渡る。

 水の三叉槍の雨は、その衝撃だけで一瞬にして吹き飛ばされる。

 そして盛大に巻き上がった砂煙が晴れるとそこには。


「……思い上がりのつもりはない」


 直系にして20mもの巨大なクレーターが出現していた。


「お、おお……」


 驚愕する女エルフの魔法使い。


「時間までに、お前らをさっさと倒して第一王子のやつをとっちめて『アンラの渦』を解除させる。やると決めたからにはやってみせるさ」


 タイムリミットは明日の『エルフォニアグランプリ』本戦が開始される午前九時。

 ――残り六時間。

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