第113話 ミゼット過去編17

 それはまるで地獄から聞こえてくる悲鳴のようだった。


 ギイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイ。


 という甲高く濁った加速音が会場中に響き渡る。

 大量に注入された自然魔力エネルギーに『ディアエーデルワイス』の残った四つの加速装置が悲鳴を上げている。

 イリスは自らの命を司る大事な何かが、コンマ一秒ごとにブチブチと音を立てて切れていくのを感じていた。

 しかし。

 それを代償に得た速さは、まさしく悪魔の如きものだった。

 まず、イリスを囲んでいた最下位集団は、『ディアエーデルワイス』の超加速に反応することすらできずに一瞬で囲いを抜けられてしまう。

 まるで砲弾として撃ち出されたかのような理外の超加速に、なすすべも無かった。

 そして『ディアエーデルワイス』はほとんど瞬間移動みたいな速度でロングストレートを蹂躙する。

 もちろんここまで速いとターンやカーブは酷いものだった。

 コース取りも何もなく、とんでもない手前で減速を開始し、大きくふらつきながらギリギリのところで曲がり切る。まるで初心者の走りである。

 しかし。もはやそんなことすら関係ない。

 いくらなんでも他と直線の速さが違いすぎるのだ。ここまで差があれば曲がりでのタイムロスなど軽く踏み倒せる。

 前方にいたレーサーたちを次々に周回遅れにしながら追い抜いていく『ディアエーデルワイス』。

 誰も彼も最下位集団のレーサーたちと同じだった。ただただ速すぎてなすすべがなない。

 あっという間に一周を回りきった。

 もはや、誰一人としてこの暴走する悪魔を止めることなどできない。

 それは『完全女王』とて同じことだった。

 『贄体演舞(サクリファイス・ゲイン)』を発動して二周目の三分の一ほどであっさりと抜き去られた。


「……」


 女王はただ呆然として遥か前方へ遠ざかっていく赤い機体を見ることしかできない。

 二周目が終了。

 閃光のようにホームストレートを駆け抜けたそのラップタイムは……なんと3:58:8。

 コンマ一秒を争うマジックボートレースにありながら、コレまでのコースレコードを一秒以上上回る悪魔の記録だった。


「……」

「……」

「……」


 観客たちは言葉を失った。

 いや、観客だけでなく、レーサーやチームスタッフも含めて、その場にいる全ての人々が言葉を失った。

 沈黙の中、苦悶の叫びの如き出力音を鳴らしながら走る『ディアエーデルワイス』という機体とイリスという少女の姿に。

 残るは二周。

 化け物はコースを駆け抜ける。


 もっと荒々しく、一人の少女のコレまでの苦しみを燃料に。

 もっと速く、一人の少女のこれからあるはずだった未来を燃料に。


 そして十四週目のホームストレートに差し掛かる。一体今度はどんなタイムが出るのかと、皆が掲示板に注目した時。

 それは起こった。

 『ディアエーデルワイス』が急激に減速し始めたのである。


 そして、ホームストレートに入って少しのところで完全に停止した。


 なにが起こったんだ?

 とざわつく観客たち。

 しかしミゼットたち高度な魔法知識をもつ者たちにはそれが分かった。

 タイムリミットが来たのだ。界綴強化魔法の。


「……イリス」


 ミゼットは水上で停止する『ディアエーデルワイス』の姿を見て奥歯を噛みしめる。

 強化界綴魔法の継続時間は本来ならもう少し長い。だが、おそらくだがイリスは自分と出会う前にも、通常詠唱の界綴強化魔法を使っていた。

 その間に経絡を損傷していた分、魔法の発動時間が削れたのだろう。

 直前で加速装置の一部が故障していたことも、魔力のロスにつながったはずである。

 そして。

 ピキィ!! と。

 その残った加速装置もあまりの加速と出力に根本から折れて、水の中に落ちていく。

 仮に魔力が残っていたとしても、もう進む事はできない。

 少女の戦いは、命を捨てた決死の戦いは、こうして悲劇に終わったのだ。


   □□□


「効果時間の限界ですか」


 エリザベスは前方で停止したイリスを見て、正確にそう判断した。

 元々魔力障害のエルフだ。普通のエルフが全文詠唱を使うよりは効果時間も短いだろう。


「……残念です」


 不意にそう口にした。


「……?」


 自分は今、何を言ったのだ?

 残念と、そう言ったのか?


(ああ、なるほど)


 そうか、とエリザベスは納得する。

 自分はあの少女の走りをもっと見ていたかったのだ。

 荒々しくて無謀で、なのに自分に匹敵する技術をもっていてどこまでも熱い走り。

 エリザベスはそれを「美しい」と思ったのだ。

 完全で無機質な自分とは全く逆の存在。

 今回だけじゃない、この先ももっとあの少女の走りを見たい。そして戦いたい。

 もしかしたら自分は生まれてはじめて、まともな望みというものを持ったかもしれない。

 だが……。

 その望みはもう叶わない。

 エリザベスも界綴強化魔法の代償は知っている。

 あの少女の経絡は膨大な量の自然魔力エネルギーに破壊され、エルフとしての生命力である魔力をためておくことができなくなった。

 少なくとも来年まで命は持つまい。


(面白くないですね)


 オズワルド大公たちが、レース前に何やら仕込んでいたのは何となくだがエリザベスも気づいていた。

 しかし自分と勝負になる相手はいないと思っていたため、気にもとめていなかった。


(……余計なことをしなくてよかったのに)


 才能や環境だけでなく、こういう面でも勝手に恵まれてしまうというのを始めて煩わしく感じた。

 そんなことを思いつつ、エリザベスはホームストレート前の最後のターンを回る。

 そして、もうすぐイリスが途中で止まってしまっているホームストレートに差し掛かるところで。


 コオォォォ。


 という、龍脈式加速装置の噴出音が聞こえてきた。


「……?」


 エリザベスは後方を振り返るが、付いてきているボートは無い。

 そして、コレは自分の『クリアウィング』の音でもなかった。

 となると、残る可能性は……。


「……嘘」


 前方の『ディアエーデルワイス』が突如動き出したのだ。


   □□□


「……いったい、何が起きてるんや?」


 ミゼットはその様子を驚愕と共に見ていた。

 完全に停止したはずの『ディアエーデルワイス』が加速していく。

 それも、驚くことに龍脈式加速装置の力で進んでいるのである。

 一体なぜ?

 確かにあの機体には魔石式だけでなくそちらも搭載している。

 だが、今のイリスは界綴強化魔法使用の代償として、体中の魔力を使い切っているはずだ。

 なのにその加速は自然でスムーズ。

 おかしい。

 イリスは仮に万全でもあんなふうに、龍脈式加速装置を動かせないはずだ。

 まるで魔力障害など無い普通のエルフが魔力を込めて走っているかのようではないか。


 なぜ?

 ミゼットは高度な魔法学の知識を元に一つの結論を導き出す。


「……経絡の塞がりが壊れたんや」


 イリスの魔力障害は生まれた時からのものではなく、後天的に経絡が塞がりながら成長してしまうというものである。

 界綴強化魔法の全文詠唱によって流れ込んだ大量の自然魔力エネルギーが機能している経絡だけでなく、その塞がっている部分まで壊したのだろう。

 もちろん、だからといってイリスの命が助かるわけではない。生命力を貯めておける器は壊れたのだ。

 だが、今、このときだけは。イリスは塞がっていた部分から流れ込んで来る「本来あるはずだった自分の魔力」が体に満ちている。

 つまり。

 今からラストの一周だけ。

 イリスは普通のエルフとして、なんのハンデもなしに走ることができる。


「……奇跡ってゆうたらええのかな、これは」


 できれば彼女の命を助ける奇跡を望んだミゼットはそう呟いた。


 『ディアエーデルワイス』がホームストレートを加速する。

 後方からはすでにスピードに乗った『クリアウィング』が迫る。

 ちょうどゴールラインを過ぎた時。

 二つの機体は加速のついた状態で完全に並んだ。

 『エルフォニアグランプリ』十五周目のラストラップ。


 泣いても笑っても最後の一周を、イリスとエリザベスは同時にスタートした。

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