第112話 ミゼット過去編16
「待ってろ、イリスちゃん。今下に降りる。この周が終わったらピットインや!! すぐに修理したる」
ミゼットはそう通信機に向かって言うと、急いで観客席からピットの方へ降りていく。
「クソ、いったいどこの貴族や!! これを仕組んだのは!!」
このレースが終わったら必ず見つけて後悔をさせてやる。
覚悟しておけよ、と思いながらミゼットは階段を駆け下りる。
□□□
『待ってろ、イリスちゃん。今下に降りる。からこの周が終わったらピットインや!! すぐに修理したる』
そんな声が通信機から聞こえてきた。
しかし、現実的にそれは厳しいと言わざるを得ない。
なにせすでにレースは終盤。残るはたった四周である。
今ピットに入って修理をしてもそこからエリザベスに追いつくのは至難の技だろう。
それでも速度が出ないまま走ったところで勝てるわけもないのだから、一刻も早くピットインしなくてはならない。
しかし、間の悪いことに接触する少し前にピットを過ぎたばかりであり、ほとんど一周分距離が残っていた。少なくとも、その間はこの状態で走らなくてはならない。
それでも諦めずになんとか先を急ごうとするイリスだったが。
「……くっ、こんなことに技術使うんじゃないわよッ!!」
最下位集団はレースの流れに紛れながら、絶妙に意図していないように見せかけてイリスが最下位集団から飛び出すコースを塞いでいた。
機体が完全なら直線の速さを生かして大きく膨らんで躱すことも可能なのだが、いかんせん今は速度が出ない。
(……どうする?)
イリスはなんとか最下位集団の囲いを突破しようと、動きながらも他の可能性を探っていた。
とにかく諦めないのが自分の戦い方だ。
何か手はないか。
考えて考えて考えて考えた。
しかし。
そうしている間に、先頭のエリザベスとの距離は見る見る開いていく。
まだ差は4mほど。相手のミスがあればもしかしたら巻き返せるかもしれない距離だが、コレが10m以上離されればもう逆転は不可能だろう。
「……くっ、ここまで来て、こんなことで」
意識の外に置いてあった現実が頭の中に忍び寄ってくる。
今年勝てなければ、来年から『ディアエーデルワイス』の魔石式加速装置に規制がかけられる。
この機体には乗れなくなるのだ。
そう、今年が最初で最後のチャンスなのだ。
なにか、何か方法は……。
しかし、現実はやはりどこまでも残酷だった。
「女王がもうあんなに先に」
「……ああ、結局無理だったか」
そんな観客たちの落胆の声が響く。
ようやくコースの四分の三を進んだイリスだったが、いつの間にかエリザベスの機体との差は絶望的なものになっていた。
その差……約30m。限界ギリギリと判断した差の三倍。ここから更にピットに入り加速装置を修理しなければならないのである。
しかも残るはたった三周しかない。
「……」
詰んでいる。
完全に詰んでいた。
イリスはレース中だったが、一度走行姿勢を崩し無言で天を仰いだ。
「……ああ」
イリスという少女は呪われでもしているのだろうか?
何度破っても襲いかかってくる理不尽や不条理。
怒りや憎悪や嘆きが今、彼女の中を渦巻いているに違いない。
が、しかし……。
「……うん」
再び前に向き直った表情はとても穏やかで。
そんな自分の運命すら愛しいものだと受け入れたように優しくて。
「うん……しょうがないわよね」
□□□
――嫌な予感がした。
と、後にミゼットはその時のことを語っている。
ピットでイリスの到着を待っていたミゼットに通信が入る。
『ミゼット……』
「イリスちゃんか!! こっちは準備できとる到着したらすぐに修理を」
そんなことを言いつつミゼットも、今ピットインしようとも間違いなく追いつくのが不可能なのは分かっていた。
『大丈夫よ……それから、ごめん』
通信機から聞こえてきたイリスのその言葉に、ミゼットは自分の悪い予感が的中したことを確信した。
「……おい、待てイリスちゃんまさか」
ミゼットにはイリスのやろうとしていることが手にとるように分かった。
分かってしまった。
「確かにそれを使えば可能性はある。せやけど、それは、それだけは……」
今イリスのやろうとしていること……それは禁忌中の禁忌。
『界綴強化魔法の全文詠唱』である。
ミゼットと会う前に使っていた界綴強化魔法は、使用することで強力な自然魔力エネルギーを体に取り込み、それをボートにも伝えて驚異的な加速を実現する。
しかし普通の詠唱で使用した場合その発動時間はせいぜい十秒かそれくらいである。とても今の状態を逆転できるものではない。
だが、全文詠唱であれば話は別だ。
効果時間も魔力の上がり幅も通常詠唱とは比較にもならない。まさに禁忌にして最強の魔法。
そしてそれは同時に、ほんの十数秒しか効果が持続しなくても寿命を縮める自然魔力エネルギーを長時間体内で暴走させ続けるということである。
その代償は……確実な死。
寿命を縮めるなどという生ぬるいものではない。
「待て、早まるなよイリスちゃん!! 死ぬんやぞ、ホントに分かっとるのか!?」
ミゼットは必死で通信機に話しかける。
『……ごめんね』
「約束がちゃうやろ。ワイが協力するならそれは使わない、そうやろ!?」
『……ごめんね』
「謝らんくてええ!! そういう事やないねん!!」
ミゼットの瞳の奥から熱いものがこみ上げてきた。
ああ、クソ、母親が冷たくなっていくのを見た時以来だこんなことは。
「……なあ、イリス」
ミゼットは語りかけるような声で言う。
「ワイはお前のことが本気で好きなんや。そうや……結婚して一緒に住もう。こんな国じゃない別の場所で、二人で。大丈夫や、絶対に不自由はさせへん。夢なんか叶わんくても、ワイが必ず幸せにする。してみせる……」
それは掠れた声で、涙混じりに、懇願するようなプロポーズの言葉だった。
「……だから頼む。生きてくれ。生きて……ただ側にいてくれ。それだけで、それだけでいいんや……」
『……ミゼット、ありがとう。嬉しい。アタシもアンタが好きだよ』
通信機からイリスの声が聞こえる。
もうすぐイリスの機体がピットのある位置にやってくる。
ミゼットは祈る。そのままピットに入ってくれ、と。
『……でも、ごめんね』
しかし『ディアエーデルワイス』は……自らの開発した彼女をここまで運んできたボートは、そのままミゼットのいるピットの前を通り過ぎて行った。
『アンタは「勝ててしまう人」だから……きっと分からないと思う』
プツン。
と通信が切れる音がした。
「……ああ」
ミゼットは膝をつく。
ピットを通り過ぎた時に見せたイリスは申し訳なさそうに、でも少し嬉しそうに笑っていた。
□□□
「……すぅ」
イリスは深く、深く吸い込んだ。
そして唱える。その禁断の詠唱を。
「……私に力を」
体を蝕む、滅びの魔法を。
「届かないこの両手に、追いすがれないこの両足に、限界を叫ぶこの弱い心臓に。
私に力を。歯を食いしばり、血のにじむほど握りしめたこの手に掴みたい勝利があるから。
寝ても覚めても……どれだけ時間がたっても忘れることのできない、思い描いた刹那の栄光があるから」
運命を受け入れてなお、たった一つを掴み取るために。
「これまでの苦しみと、これからの幸せの全てを捧げます……界綴強化魔法『贄体演舞(サクリファイス・ゲイン)』」
直後。
『ディアエーデルワイス』の周囲の水面が爆発し凄まじい勢いで加速した。
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