第111話 ミゼット過去編15
体が軋む、全身の筋肉が悲鳴を上げる。
一度のターンだけでも息が上がり、重い疲労が全身を襲う。
それでも心の奥から湧き上がってくるのは、燃え上がるような闘志だった。
当然だろうそんなことは。
「ああああああああああああああああああああああ!!」
叫ぶ力の限り。
叫びながら舵をきって豪快に曲がる。
だって今、イリスはこの場にいるのだ。
憧れて夢見て、無理だと言われようとも手を伸ばした最高の舞台に。
体が痛い? 一つ間違えればコースアウト?
そんな些末なことはどうでもいい。
今はただ、とにかく速く強く、この戦いに集中するのだ。
連続ターンが終了する。
この時点でイリスは完全にエリザベスに並んだ。
ターンエリアに入った時にはエリザベスのほうがリードしていた。つまり、このターンエリアにおいて、イリスはエリザベスのタイムを僅かにだが上回ったのである。
そのことを理解した観客の平民たちは、歓喜の拍手を送る。
しかし。
今から入るのは連続のカーブエリア。
当然だがイリスの強引な曲がりはコースの横幅が広いターンにおいて有効なものでありカーブに関してはあんなスピードで突っ込んだら曲がりきれない。
となれば、高い安定性を誇るエリザベスと『クリアウィング』の独壇場だった。
エリザベスはコレまでと同じく、ほとんど最高速に近い速度でカーブに飛び込むと、そのまま芸術的なまでの効率的なコース取りで走っていく。
「……くっ!!」
イリスも高い技術で的確にコース取りしてついていこうとするが、『ディアエーデルワイス』は悲しいほどに直線特化。繊細な速度調節や安定した重心などとは無縁の代物である。
よって、どれだけギリギリをせめてもエリザベスに速度で劣る。
そしてコーナーエリアを抜けた時には、再びエリザベスとの差は大きく広がっていた。
観客はため息をつく。
やはり女王は強い。圧倒的に安定していて、圧倒的に上手いのだ。
コーナーでは勝負にすらなっていない。
しかし。
「まだまだぁ!!」
次は直線。
イリスは身を低くして走行姿勢をキープ。すでにそれだけでも体が悲鳴を上げるほどの疲労だが、知ったことではない。
グングンと追い上げていくイリス。
だが、この直線では追いつかず。
しかし。
次はターンだ。
「はあああああああああああああああああああああああ!!」
曲がる。
体を軋ませ、体力を大量に消費して。
そして再びエリザベスに並んだ。
再び会場から割れるような歓声と拍手。
コレは立派なデットヒートだ。これまで七年、エリザベスの登場から見ることができなかったトップ争いが今、繰り広げられているのだ。
もはや、走行タイムは完全に同等。
直線ではイリスが有利、カーブではエリザベスが圧倒的に有利、ターンではややイリス、しかし消耗は激しい。
もはや勝負はどちらに転ぶか分からない。
それからも二人は抜いて抜かれての戦いを繰り返した。
エリザベスが美しい走法でコーナーを走り抜ける。
イリスが豪快な走りでターンをねじ伏せる。
互いに譲らす、その速さはお互いを引き上げるように上がっていく。
「……おい、見ろよあれ」
観客たちは掲示板に記されたラップタイムを見る。
エリザベス・ハイエルフ 04:00:4
イリス・エーデルワイス 04:00:4
双方同タイムにして、コースレコードを更新してた。
つまり、今目の前で繰り広げられているのは、紛れもなく歴代最速の戦いということである。
気がつけば観客たちは声援を送るのも忘れて、固唾を飲んで二人の戦いを見守っていた。
そしてこの状況に驚愕しているのは、観客だけではない。
「どうして……」
並走するエリザベスはこちらの方を見ながら言う。
「どうして、アナタは諦めないの?」
他のレーサーたちのように、観客たちのように。
普通は諦めるのになぜ諦めないのか? この天才はそう言いたいのだろう。
「……当たり前よ」
イリスは息を切らしながら言う。
「アンタが最強で完璧なくらいで諦めるなら、七年前に諦めてるわ」
元々夢を持っていた。
だが、障害に魔力を奪われ、家族を失い、大好きだったボートで人並みに駆ける権利を失った。
普通ならそこで諦めるだろう。
でもなぜか、思ってしまったのだ。
この夢だけは捨てたくないと。
他の何も無くていい。だけど、この夢だけは。
そうして無謀な挑戦を続けてきた。
希望の無い苦しみに何度も何度も自分から身をさらし。それでも何も得られずに。
なぜ自分はこんなことをしているのかと、何度考えたか分からない。
それでも。
それでも、それでも、それでもと。
気がつけば、絶対にまたボートに乗っていたのだ。
そして今。
愚か極まりない少女の執念が、女王の喉元を捉えている。
「超えるわ」
イリスは尽きぬ闘志と共に言う。
「あと七周。このレース中にもう一度速くなって、アタシはアンタを超える!!」
「……」
そんなイリスの言葉に、エリザベスは操縦は正確に行いつつも、しばらく呆然としていた。
そして。少しだけ、無表情が小さく笑った。
「ホントに、変わった人ですね……」
そして。
「だからこそ……残念です」
そんなことを言った。
□□□
『ああ、私だ』
観客席にいるオズワルド大公は『ホーリ・チェンネル』で部下に連絡を取る。
『それでは手はず通りに……なに? 渋るようなら資金提供でも技術提供でもなんでもくれてやれ。そして、これは伝統を愛する貴族の総意であると伝えろ。どうせ今年は優勝はおろか上位入賞すらできないだろう。まともな損得を計算する脳があれば、ここで意地を張るよりも来年以降に我々の支援を受けて戦いったほうが得だと分かるだろう。断るようなら覚えておけと脅すのも忘れずにな』
そう。今年さえ優勝しなければなんとでもなる。
『魔力血統主義』はこの国の秩序であり、神が定めた絶対の法則なのである。
神と初代国王に選ばれた貴族としてそれを守るのは使命なのだと、オズワルド大公は自分の中で反芻する。
例え、あの魔力障害の小娘の優勝の妨害に成功すれば土地の所有権を保証する約束が無いとしても、自分はこの使命をやり遂げただろう。
そんな風に自らに言い聞かせるのだった。
□□□
「……ん?」
その違和感を感じ取ったのは、会場でもミゼットだけだろう。
白熱するエリザベスとイリスのトップ争い。
そこから大分遅れたところにいる最下位集団のペースが落ちたのだ。
それ自体は珍しいことでもない。すでにここからトップ争いに食い込むのは不可能である。手を抜くまでとはいかないが、安全に走行しつつも様子を見て集団から飛び出し、最終的な順位を少し上げようとするというのは定石である。
ミゼットが感じ取ったのはレース展開の違和感ではなく、高レベルの戦闘者としての嗅覚が感じ取った敵意のようなものである。
「……いや、まさかアイツら」
ミゼットの顔が険しくなった。
再びトップ争いをするイリスに目をやる。
と言っても、そこまで視点を動かす必要は無かった。すでに最下位集団とかなり近くまで接近しているのだ。
実力差はあれど参加者全員が一流レーサーの『エルフォニアグランプリ』では珍しい周回遅れである。
ミゼットは急いで通信機に向かっていう。
「イリスちゃん!! 前にいる集団を避けて走るんや!!」
□□□
『イリスちゃん!! 前にいる集団を避けて走るんや!!』
イリスの耳に通信機から入ってきたミゼットの言葉が響く。
(……前の集団?)
しかし、気づくのが少しだけ遅かった。
今まさにその周回遅れになった最下位集団に追いついたところだからだ。
そして。
カーブを抜けたばかりでリードしていたエリザベスが彼らを追い抜いた直後にそれは起こった。
散り散りに走っていた最下位集団が、まるでイリスの進行を阻むかのように互いのボートの間を詰めてきたのだ。
「!!」
イリスは素早く反応したが遅かった。『ディアエーデルワイス』は急な減速ができない。
ガン!! ガン!!
と二回に渡り激突音が響く。
「……くっ!!」
凄まじい衝撃に大きくボートが傾いたが、イリスは絶妙なタイミングで左側に体重を移すことで転覆を免れる。
しかし、代償は大きかった。
この間にエリザベスのボートはかなり先まで行ってしまっていたのである。
こうして、二人のデットヒートは終焉を迎えた。
それは思わぬアクシデントであった。
確かに周回を遅れたレーサーを抜く際に、接触してしまうことは珍しくはない。
それを避けるだって技術の一つだ。
それにしても運悪くこんなところで。
観客たちはあまりの理不尽に言葉が出ない。
だが、イリスは全く別のことを思っていた。
(今の動き……わざと……!!)
おそらく分かるのはよほどの目利きか、実際にこうして走ってるレーサーだけだろうが、確かに意図的な動きでイリスを遮ってきたのだ。
「なんで……」
『有力貴族の連中や。たぶん、勝てなそうな連中に資金援助あたりを餌に、イリスちゃんを妨害させたんや。すまん、ワイが早く気づいていれば……』
イリスはミゼットからの通信を聞いて愕然とする。
なんだそれは。
自分の周りを走っているレーサーたちを見る。
どうして彼らはこの最高の舞台でそんな真似ができるというのだろう?
だが、そんなことを言っても始まらない。
イリスは再び加速して、エリザベスを追いかけようとするが……。
(……速度が、出ない!?)
最高速度を出しているはずなのに、全く本来の『ディアエーデルワイス』の速度が出せていなかった。
イリスはとっさに、自分の機体の加速装置を確認する。
二箇所。左右の一番前の加速装置にヒビが入っていた。
最悪の状態だった。
いや、最悪は免れたのかもしれない。左右同時に壊れてくれたのは奇跡的な状況ではあるともいえる。これが左右どちらかのみが故障したのであれば、さすがのイリスもバランスを保ちきれず転覆している。
しかし、コレでは最高速度が出せないのは間違いなかった。
最悪ではないが、絶望的な状況だった。
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