第110話 ミゼット過去編14
レースはすでに七周目。
トップは依然変わらずエリザベスが走っていた。
二位にイリスとの差はボート二つ分といったところである。最初よりも開いてきたが、それでもよく粘っていると言っていいだろう。
しかし。
(私はただ、一番速く効率よく走る。それだけ)
トップを走っているエリザベス本人は、後ろに誰が来ているかなど気にしていなかった。
というかそもそもエリザベスはレース中に後ろを振り返って後続を確認したことが一度もない。
エリザベス・ハイエルフは生来、主体性というか熱意のようなものが薄かった。
だが運のいいことに、どうやら自分は高貴な家に生まれて、様々な才能に恵まれ、特に努力をするのを苦にしない性分だったようである。
そんな自分の一番の才能は、国民的競技であるマジックボートレースにあるようだった。
始めて乗ると本来はまともに方向転換すらできず振り落とされるのがレーシングボートである。
しかしエリザベスは、始めて乗ったその日のうちに練習用のコースをマイナーレーサの平均タイムを超える速さで走りきったのだ。
周囲の貴族たちがざわついたのをよく覚えている。あの時に、エリザベスの将来は決まったのだ。
「エリザベス。アナタ、マジックボートをやりなさい」
そう言ったのは自分を生んだ第三后妃だった。
特にやりたいことがなかったエリザベスは、無論母の指示に従った。
そういうわけで、ハイエルフ家の用意した最高の専用コース、最高の指導者、最高の機体という最高の環境の中で、エリザベスはその最高の才能を開花させることになる。
その後は言わずもがな。
初出場した十一歳の時から今日まで七連覇、たった一度の敗北もなくエリザベスは水上の女王に君臨した。
そして、今もエリザベスはたった一人、先頭を走っている。
(……熱意はない。さして興味もない。ただ才能があって、やれと言われたから徹底的に努力した。それだけ)
八周目に突入。
最初のターンを教科書どおりの理想的な動きで曲がり切る。
当然ミスなど無い。
その時。
「だあああああああああああああああああああああああああああ!!」
後方から叫び声が聞こえてきた。
あの変わった魔力障害のレーサーの声である。
だがエリザベスは振り返らない。
(それでどうせ誰も付いてこれないのだから)
「たああああああ!!」
再びターン時に咆哮。
だが、これもいずれ聞こえなくなる。
今までもそうだった。
皆最初は、自分を倒そうと気合を入れて勝負を挑んでくるのだ。
だが、そのうち全員大人しくなる。
単純に自分のほうが才能があって、自分のほうが恵まれていて、そして自分は失敗をしないから。
いつもそうだ。
気がつけば追いすがる足音と勇ましい声はいつしか消え去りエリザベスは再び孤高の先頭で、一人駆けている。
だから。
「はああああああああああああ!!」
また。こうしてターンすると聞こえてくる声も。
「ああああああああああああああああああああああああああああああ!!」
いずれ消えていき、また一人で。
「おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!」
「……!!」
コースを半分ほど進んだところで、エリザベスはあることに気がついた。
(声が聞こえてくる距離が……ほんの少しだけど、近くなっている?)
それはほとんど無意識のことだった。
エリザベスは加速姿勢を少しだけ緩め。
人生で始めて、レース中に後方を振り返ったのだ。
「ぐっ……ぎぎぎ、があ!!」
そこには凄い勢いで体を傾けながら先程自分が曲がったターンを「バカみたいに大回りする」イリスの姿があった。
ターンにおいて旋回半径は小さいほどいい。
マジックボートレースの常識である。
小さく回るほど実質的な走行距離は短くなるのだから当然といえば当然である。
もちろん、小回りを意識しすぎて速度を落としすぎるのは悪手だが、速度を落としすぎない範囲でいかに小さく回れるか。というのが、レーサーの腕の見せ所というやつである。
イリスの走りはその定石を明らかに無視したメチャクチャなものである。
原理は分かる。
これは『ディアエーデルワイス』という速度調整が苦手すぎる機体の特性を最大限に活かすための荒療治だ。
それまでのイリスは定石通り、なるべく小さく旋回しようとしていたがそのためにかなり手前で減速をしておかなくてはならない。段々と減速のタイミングは遅くなってきていたのだが、それでも普通の直線型ボートよりもはるか手前での減速である。
よって、その間に差をつけられてしまうという弱さがあった。
なのでイリスはこのタイミングで、せっかく身になった技術をあえて捨てたのだ。
すなわち、もう綺麗に曲がるのとかいいから吹っ飛ばない限界ギリギリまで加速してしまえ……と。
それが上手くハマった。
『ディアエーデルワイス』は水しぶきを巻き上げながら、コースの壁に激突するスレスレまで膨らみながらもなんとか曲がり切り、そして大外から物凄い速度で斜めの角度から追い上げてくる。
そして、連続ターンポイントを回り次ターンポイントにいくまでの速さは……僅かだが、確実に自分を超えている。
それは普通に見たら暴挙である。
培ってきた安全に曲がれる技術をあえてこの本番で捨てて、凄まじく危険度の高い曲がり方を敢行するなど正気の沙汰ではない。
確かにこのまま走ってもチャンスが無いというのは理屈では分かるが。
「……はあ、はあ」
見ての通りこの連続ターンだけで全身に汗をかき、息も上がっている。
当然だろう、凄まじい勢いで横滑りする機体を力技で抑え込み続けるのだから。普通のターンとは疲労が比較にならない。
その時。
「……しまった」
イリスの走りに意識を持っていかれていたせいだろう。
エリザベスは次のターンに入る時の減速のタイミングを、少しだけ速くしてしまった。
『完全女王』のキャリア始めてのミス。
いや。ミスと言ってもほんの僅かなものであり、目が肥えているものでもなければミスしたかどうかも分からないものだった。
だがしかし。後方に迫っていた狂気の挑戦者にとっては、あまりにも十分な隙だった。
「はああああああああああああああああああああ!!」
勢いよくターンポイントに突っ込み、大きく膨らみながら挑戦者は再び雄叫びとともにボートを抑え込む。
見事に、今度は壁を掠めるくらいギリギリで曲がり切り、再び直線で加速。
そして……ついに。
「……どうして、どうしてアナタは」
エリザベスが驚愕と共にそう呟く。
観客たちから歓声が上がった。
「すげえ!!」
「こんなことって起きるのかよ」
「本当に『完全女王』に並んじまったぞ!!」
そう、それは観客たちにとってここ七年で初めての光景だった。
『完全女王』に他の機体が並走している。
しかも、それが魔力障害の少女なのだ、
コレが盛り上がらなければ観客は全員不感症かなにかだろう。特に平民たちの座る一帯からは会場を割らんばかりの大声援が上がった。
そして少女は。
「……はあ、はあ」
息を切らしながらも。
「ようやくこっち見たわね、失礼女王」
髪は赤黒くくすんだ色で、手には差別を象徴する黒いミサンガ。
しかしその瞳の奥にはどこまでも闘争心を燃やしながら。
「さあ!! 言ったとおり、アンタと勝負させてもらうわよ!!」
力いっぱい叫ぶように、そう宣言したのだった。
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